1990年代、サッカー界にはひとつの予言が生きていた。
「近い将来、アフリカの国がワールドカップを制する」。
王様ペレがそう言い、世界が本気でうなずいた。
90年イタリア大会、カメルーンの躍進。38歳のロジェ・ミラがコーナーフラッグの前で腰を振った。96年アトランタ五輪、ナイジェリアが金メダルを獲った。時代はアフリカに向かっている。誰もがそう思った。
あれから30年。
アフリカの国は、まだ優勝していない。2022年、モロッコのベスト4が最高到達点だ。
予言は外れたのだろうか。
私は、そうは思わない。
予言はとっくに成就していた。ただし、アフリカの緑でも黄色でもなく、トリコロールの青をまとって。
1998年7月12日、サン=ドニ。
ワールドカップ決勝でブラジルを沈める2発のヘディングを叩き込んだのは、アルジェリア移民の息子だった。
ジネディーヌ・ジダン。マルセイユ北部の団地、ラ・カステラーヌで育った男。
そして2026年。フランス代表の26人のうち、親か祖父母がアフリカ大陸で生まれた選手は16人を数える。
アルジェリア、カメルーン、マリ、セネガル、コートジボワール。国名を並べると、そのまま旧フランス植民地の地図になる。
偶然じゃない。
そして、誤解しないでほしい。彼らは外から連れてこられたのではない。縁もゆかりもないアフリカの逸材を、帰化させてかき集めたわけでもない。
16人のほとんどはフランスで生まれ、フランスの街で育ち、フランスの仕組みに磨かれた——ルーツが海の向こうにあるだけの、正真正銘のフランス人なのだ。
では、なぜこれほど多くのアフリカにルーツを持つ子どもが、この国にいたのか。
歴史が答えだ。
戦後のフランスは、復興を支える労働力を旧植民地に求めた。海を渡った労働者たちは、パリの郊外に、マルセイユの北の丘に、巨大団地をつくって住み着いた。倉庫番や夜警をして家族を養ったジダンの父も、そのひとりだ。
学歴でも就職でも報われにくい土地で、ボールだけが平等だった。
やがてこの国は、その土地に照準を合わせる。
プロクラブの育成組織は国の認可制で、家計の負担は原則ゼロ。全国を覆う発掘の仕組みが、13歳までに才能をすくい上げる。頂点には国立の養成所クレールフォンテーヌ。
団地の広場でボールを覚えたジダンの、ひと世代あと。パリ郊外ボンディの少年キリアン・ムバッペは、完成されたそのレールに乗って19歳で世界を獲った。
移民の歴史という鉱脈の真上に、国家が精密な採掘装置を建てた。それがフランスだ。
「アフリカが優勝する」という予言を、この国は自分の歴史で翻訳してみせた。
ついでに言えば——冒頭のモロッコだ。
ベスト4に駆け上がったあの2022年のチームは、26人中14人が国外生まれ。フランスやオランダで生まれ育った選手たちを、祖国が呼び戻したのだ。率いた監督自身、パリ郊外の生まれだった。
同じ予言を、逆向きに訳そうとしている国。この話は、稿を改めて書く。
では同じ30年、日本は何をしていたのか。
93年、Jリーグ開幕。ドーハの悲劇。98年、初めてのワールドカップ。以来8大会連続出場。
胸を張っていい30年だと、私は思う。
日本の育成は、フランスとは似ても似つかない。
学校の部活があり、街クラブがあり、Jのアカデミーがあり、その先に大学まである。何重にも張られた、目の細かい網だ。
18歳で選別が終わらない国。
三笘薫を思い出してほしい。川崎からプロ昇格を打診され、断って大学へ行った男だ。24歳で欧州に渡り、代表の看板になった。
フランス式の漏斗——早くふるいにかけ、少数を磨き上げるやり方——なら、たぶんこぼれていた。
海外組は、いまや約170人。アジアでは断トツだ。
ただし、フランスは約1200人。
7倍。この差が、そのまま層の厚みの差になる。
そして今大会も、日本は決勝トーナメント初戦で散った。ブラジルに1-2。シュート数は5対19。5度目の挑戦だった。
壁は、まだそこにある。
フランスが羨ましいか。
正直、羨ましい。
だが、真似はできない。
現にJFAアカデミー福島は、クレールフォンテーヌを手本に作られた。20年が経ち、同じ果実は実らなかった。
当然なのだ。あれは「箱」じゃない。世界最大級の才能鉱脈の真上に建つ、採掘装置なのだ。箱だけ運んでも、鉱脈はついてこない。
日本に移民の郊外はない。ハングリーな団地もない。それを嘆いたところで、選手は一人も生まれない。
ここから先は、提言ではない。
私は育成の専門家じゃない。方法を断言する資格はない。
だから、これはただの願いだ。
ひとつ。日本の宝である「網」——部活と街クラブとアカデミーと大学が幾重にも張られた、遅咲きを見捨てない仕組み——が、これからも破れないでほしい。部活が地域へ移りゆくいま、月謝の壁で子どもがボールから遠ざかる国にだけは、なってほしくない。フランスの強さの核心は施設ではなく、貧しい家の子にも入口が開いていることなのだから。
もうひとつ。その網のどこかに、「団地の広場」に代わる何かが生まれてほしい。
一人で局面をこじ開ける力。囲まれても急がず、自陣のゴール前でボールを持ち、パスを乱さない技術。そして敵のゴール前で、慌てずに打ち切るシュート。
ブラジル戦に足りなかったのは、走力でも組織でもなく、たぶんそれだった。
ジダンのあの落ち着きは、教科書からは生まれていない。削り合いと遊びの中でしか育たない何かを磨ける場が、この几帳面な国の仕組みの中に残るなら——それは希望だ。
予言をどう翻訳するか、なのだと思う。
あちらの青は、移民の歴史で訳しきった。
こちらの青は、まだ訳の途中だ。ただ、日本には日本の原文がある。
遅咲きの国が、早熟の国を食う日。それは、真似の延長線上にはない。
