移籍報道を読むのが、年々少し苦手になってきた。 どこが獲りにきた、いくらの値がついた。そういう数字は躍るのに、いちばん知りたいことが、たいてい抜け落ちている。 この選手は、次の場所で何を手に入れるのか。何を伸ばすために、海を渡るのか。 佐野海舟の名前が、またイングランドのメディアに出ていた。 英『TeamTalk』は5月、ブライトンとブレントフォードが佐野の獲得を争っていると伝えた。マインツは5,000万〜6,000万ユーロ規模の移籍金を期待しているという。契約は2028年まで。今季ブンデスリーガで34試合。鹿島から渡って、わずか二年での跳ね上がり方だ。 記事は、彼にこんな異名を添えていた。 "Iron Man" 鉄人。休まない。計算が立つ。たしかに、いい呼び名だ。 だが、ふと立ち止まる。この称賛が語っているのは、彼がすでにできることだけ、じゃないか。
先に、言いたいことを書く。 佐野を「どこへ送るか」ではない。佐野に何を伸ばさせるために、どこへ送るか。報道の熱から、その視点がきれいに抜け落ちている。 私の見るところ、佐野の守備はもう世界の水準にある。これはもともと私の主観に過ぎなかった。けれどプレミアのクラブが本気で札束を並べ、代表でも信頼を勝ち取りはじめた今、外の評価が主観に追いついてきた。少しずつ、事実に変わりつつある。 問題は、攻撃のほうだ。 正直に書いておく。私は欧州組のプレーを、フルマッチではなくダイジェスト中心で追っている。だからこの先は、断定ではなく、見えている範囲での話だ。その範囲で言えば――佐野の攻撃は、まだ並だ。ボールを持って局面を変える、最後の一本で違いを作る。そこは、守備ほど完成していない。 ここで、記事の言葉がもう一度引っかかる。TeamTalkは佐野を、信頼性を求める中堅クラブにとって万能な駒だと位置づけていた。ブライトンは技術的でハイプレスの中盤に合うと見て、ブレントフォードは中盤の底を厚くしたい、と。 褒めている。けれど、よく読むと、これは「いま持っているもの」を数え上げる言葉ばかりなのだ。信頼性。安定。運動量。――現状維持の依頼書、と言ってもいい。攻撃を伸ばしてくれ、とはどこにも書いていない。
ピッチに立ったことのある人間なら、肌で知っている。 うまくなるのは、結局、自分より上手い相手と、本番でやり合うときだ。練習場の反復ではない。試合の、削られる時間の中でしか伸びない部分がある。とくに攻撃は、そうだ。 そして攻撃が伸びるには、ボールを持つ「余裕」が要る。半秒、考える時間。顔を上げて、選択肢を選ぶ間。その余裕の中でしか、パスもドリブルも磨かれない。 プレミアリーグは、その余裕を許してくれないリーグだ。 守備の強度が高すぎる。寄せが速く、間延びがない。持った瞬間に潰される世界で、技術を「育てる」のは相当に難しい。三笘薫のように、そもそも別格の武器を携えて渡る選手なら話は別だ。あれは例外として、横に置く。 だが、攻撃が未完成な選手を、世界でいちばん削ってくる場所に放り込む。それで攻撃が花開くと、本当に思うだろうか。守備の選手として、さらに研ぎ澄まされて終わる――その絵のほうが、私にはずっと現実的に見える。
私たちは、似た道を一度見ている。遠藤航だ。 忘れられがちだが、湘南にいた頃の遠藤は、ディフェンダーでありながらPKキッカーを任され、2012年には7得点を挙げている。19歳でキャプテンも背負った。攻撃の匂いのする選手だった。ドイツに渡ってからも、シュトゥットガルトで一試合に2得点2アシストを記録したことがある(経歴はウィキペディアの記述による)。 その遠藤が、プレミアではどう評価されているか。ルーズボールを拾い、ポゼッションを組み立て直す。デュエルで負けない。――つまり、守備とつなぎの人、になった。ブンデスで二年連続のデュエル王に上り詰めた、その強みのほうへ、どんどん純化していった。 それが悪いと言いたいのではない。世界水準の、立派な守備の選手だ。ただ、湘南で7点を取っていたあの攻撃の芽が、プレミアという環境で大きく育ったかと問われれば、私の目には、そうは映らない。守備を求められすぎた。求められたものに、応えすぎた。 佐野に、同じ道を歩ませたいか。という話だ。
もうひとつ。佐野は25だ。 25は、もう若くはない。攻撃を一から伸ばすには、一年が重い。世界トップのクラブでも通用する選手だとは思う。だが攻撃が未完成なぶん、序列を上げきれずベンチで一年、ということも起こりうる。その一年は、いまの佐野には高くつく。出られなければ、伸びない。これだけは、どのリーグでも変わらない。 だとすれば。 ボールを持たせてくれる場所。半秒の余裕がある場所。守備の貢献は当然として、そのうえで「攻撃にも出てこい」と要求してくれる場所。――私は漠然と、スペインのあたりにそれがある気がしている。具体のクラブ名を挙げる材料は、いまは手元にない。だからこれは、あくまで仮説だ。ただ、削り合うより持ち合うリーグのほうが、いまの佐野の伸びしろには合っている。そんな手触りがある。
鉄人、という異名は、守備の佐野に贈られたものだ。 攻撃の佐野には、まだ名前がない。 その名前が、どこのピッチで生まれるのか。獲得競争の金額よりも、私はそちらを、ずっと見ていたい。
