2013年、ブラジル。コンフェデレーションズカップのグループステージ、日本対イタリア。
あの長友を覚えているだろうか。
走力だけじゃなかった。ボールを持ったときの、あの無敵感。ピッチの外から見ていても、本人がそういうメンタルでやっているのが伝わってくるプレーだった。抜ける、と思ったら本当に抜けた。仕掛けた、と思ったら本当に仕掛けた。ためらいがなかった。体が正直だった。ああいう状態になっている選手は、もう何をやっても止まらない。
それを知っているから、今も期待してしまう。
イタリアの地方紙「sport.quotidiano.net」が、長友のキャリアを振り返る記事を掲載している。
視点はチェゼーナから、だ。
2010年の夏、フィッカデンティ監督の推薦でFC東京から期限付き移籍してきた無名の日本人サイドバック。マヌッツィ・スタジアムに大勢の日本人記者が押し寄せた——という記述が、すでに当時の空気を物語っている。長友が着いたとき、チェゼーナはすでに特別な磁場を帯びていた。
16試合。それだけの時間でインテルへの道を切り開いた。
インテルでの7年間、170試合出場。ガラタサライ、マルセイユ、そして2021年のFC東京帰還。代表144キャップ。今年9月に40歳になる。
記事が最も力を込めているのは、この一文だ。
"5大会連続W杯出場を達成した6名のフィールドプレイヤーの仲間入り"
カルバハル、マルケス、ロナウド、メッシ、マテウス、グアルダド。その列に、長友の名前がある。アジア人として初めて。
数字としての事実はそれで十分だ。問題は、その先にある。
ここ数年の長友を見ていると、若い頃とは確かにプレーの質感が変わっていた。
攻撃に出る場面が減った。前に向かう推進力より、守備の安定を優先するような動き。それは衰えだったのか、それとも求められてそうなっていったのか。おそらく後者だと思っている。チームに「前に出るな」という空気があれば、選手はそれを読んで動く。ピッチに立てばわかる。監督の設計図が体に入ってしまえば、自分らしさより役割が先に出る。
だから消えたわけじゃない、と思いたい。
5月末のアイスランド戦でも、長友は先発で元気なプレーを見せていた。39歳が、先発で、ちゃんと動けている。それだけで既に十分すぎるほどの事実だが、こちらが求めてしまうのはそれ以上のものだ。
2026年のW杯、北中米の舞台。6大会連続というのは前人未踏の域だが、そこに辿り着くことより、辿り着いたときに何をするかの方が気になる。
チェゼーナはその出発点だった。
無名だった選手が、ロマーニャの地で「空飛ぶサイドバック」として覚醒し、インテルへ、世界へ羽ばたいていった。あのクラブがなければ、コンフェデ杯のあの夜も、メッシやロナウドと並ぶキャリアの記録も、存在しなかった。
記事はそこに対して、長友は今も深々と頭を下げるだろう、と書いている。そういう人間だということも、長く見てきた者にはよくわかる。
だから、ではなく——だからこそ、と言いたい。
真面目に守れる選手は今の代表にもいる。役割を全うできる選手は何人でもいる。でも、あの2013年のように「今日は俺を止められない」という顔でサイドを駆け上がれる39歳は、世界にそう多くはいない。
年齢のことは、一旦忘れてほしい。
本人が一番よくわかっているはずだから。それでも残っている、ということの意味を、ピッチで見せてくれればそれでいい。
