選ばれること自体が、もはやニュースではない選手がいる。
堂安律は、そういう選手になった。
日本サッカー協会が今夏のW杯代表メンバーを発表した際、フランクフルトのウィングが26名に名を連ねることを、誰も疑っていなかった。Hessenschauが伝えたように、「予想通り」という言葉が記事の冒頭に置かれた。それは称賛でも批評でもなく、ただの事実の確認だった。
だが、その「予想通り」という言葉の裏側に、私はひとつの問いを見る。
「予想通り」であることが、どれほど難しいか。
サッカーにおいて、常にリストに載り続けることは、一見すると当たり前のように見える。しかし実際には、怪我、不調、監督交代、クラブでの立場の変化——その全てをくぐり抜けて初めて、「呼ばれて当然」という評価が定着する。
今シーズンの堂安は、フランクフルトで「波乱含みのシーズン」を過ごしたと記事は伝えている。具体的な内容には踏み込まれていないが、波乱を経ながらも代表の序列を揺るがさなかった、という事実は重い。
W杯で言えば、これが2度目になる。前回のカタール大会でも、日本代表の象徴的な場面に彼はいた。ドイツ戦の逆転弾。あの一撃が、今も彼を「絶対的レギュラー」たらしめている部分はある。だが、あれから3年以上が経った。一発のゴールで勝ち取った地位を、結果と継続によって「当然の席」に変えた——その歩みの方が、私には興味深い。
キャリアを俯瞰すると、堂安は決して一本道を歩んできたわけではない。
PSVでのローン、ビーレフェルト、再びPSVへの完全移籍、フライブルクを経て、昨年フランクフルトへ。参考情報を照らせば、ここ数年だけでも複数のクラブを渡り歩いている。ドイツ・ブンデスリーガの中でポジションを変え、チームカラーに適応し続けてきた選手だ。
こういうキャリアの選手は、時にスター選手としての求心力を失う。「あのクラブの堂安」という固定イメージが形成される前に次の場所に移るから、熱狂的なファンベースが根付きにくい。でも反面、どこでも一定以上のパフォーマンスを示せる汎用性が磨かれる。代表のユニフォームこそが、最も彼に似合う衣装になっていくような選手に。
キャップ数64。直近では主将も務めた。それが今の堂安律という選手の座標だ。
今大会、日本はグループステージでオランダ、チュニジア、スウェーデンと対戦する。
オランダは強い。FIFAランキングという数字を持ち出すまでもなく、個の質でいえば日本を上回る部分が多い。そういう相手との試合で問われるのは、戦術的な整合性よりも、個人が局面で何かを起こせるかどうかだ。
ウィングとして、堂安にはその役割が求められる。仕掛けてファウルをもらう、あるいは無理と見えた体勢からシュートを打つ。ピッチに立った経験があれば分かるが、あの角度から「打てる」と判断できるのは特別な感覚で、それは訓練と積み重ねで磨かれるものだ。カタール大会での記憶がそのまま2026年に続いているのではなく、3年分の試行錯誤の末に今の堂安がいる。
記事はまた、元チームメイトの田中碧(リーズ・ユナイテッド)や、元選手の長谷部誠がモリヤス監督のスタッフとして帯同することにも触れている。
フランクフルトとの縁が、複数の形でこのW杯に交差している。それ自体は小さな事実に過ぎないが、堂安がドイツで過ごしたこの数年が、単なるキャリアの中継地ではなかったことを示している気もする。
「予想通り」選ばれた選手が、予想を超える何かを見せるとき——それがW杯というものの、飽きない理由だ。
