9月10日、アイントホーフェン。
チャンピオンズリーグのアンセムを、佐野航大は初めてピッチの上で聞いた。
前半、ボールを失った。
ベンチのペーター・ボスが身振りで伝えた。落ち着け、と。
試合後、監督は現地メディアにこう説明している。普段の彼はボールを持てば常に冷静で、正しい解決策を先に見ている選手だ、今日は緊張があったのかもしれない、と。
そして後半、相手のフェイントに釣られず、きれいにボールを奪い、そのまま独走でカウンターに持ち込んだ。
日本のファンの反応が、面白かった。
ほぼ海舟やん、と。
兄と比較される。
佐野航大は、たぶん一生それと付き合う。
兄の海舟はW杯でブラジルからゴールを奪った男で、日本のボランチで今いちばん名前が売れている。
ただ、9月10日の1本のカウンターを見て、ほぼ海舟、と言うのは半分しか合っていないと思う。
2人は同じ燃料で走っている。
回しているエンジンが、違う。
このコラムで書きたいのは、その違いだ。
兄のエンジンは、守備でかかる。
海舟の経歴は、遠回りに見える。米子北から鳥取、町田、鹿島、そしてマインツ。
2024-25のブンデスリーガで、走行距離393.7キロはリーグ1位だった。
翌2025-26はリーグ戦34試合をすべてフル出場し、401.1キロ。前の年より走って、順位は3位に下がった。デュエル勝利数362はリーグ2位タイ。
一言でいえば、奪う人だ。
W杯のブラジル戦、29分。
ハーフウェーライン付近で相手サイドバックのパスを読み切ってインターセプトし、そのままボールを運んで、アリソンの左を破った。
奪ってから、全部ひとりでやった。
海舟のチャンスメイクは、守備から始まる。守備が飛び抜けているから、その延長線上に、時折ああいうゴールが乗る。
本人は昨年末の映像インタビューで、走ればいいわけでも、ボールを取っているからチームが良いわけでもない、と量から質への転換を語っている。走行距離1位の男が、走ることを自分で相対化していた。
弟のエンジンは、ボールを持ってからかかる。
航大は米子北で1年生から10番を背負い、3年連続で選手権に出た。3年時のインターハイは準優勝。
J2の岡山で1年半プレーして、2023年夏にNECへ渡った。
オランダの3年目、2025-26は、リーグ戦34試合で3060分。フィールドプレーヤーで全試合フルタイム出場したのは、エールディヴィジで彼ひとりだった。
3得点7アシスト。NECはクラブ史上最高の3位で、チャンピオンズリーグ予選に届いた。
この夏、PSVが1450万ユーロを払った。NECの記録売却で、契約は2031年まで。
そして加入後、リーグ4連勝。開幕節に途中出場して以来、1分も欠場していない。
数字で見ると、リーグ戦のパス成功率は93〜94パーセントで推移している。奪う人ではなく、失わない人だ。
ピッチに立ったことのある人間なら分かると思うが、90分走れる選手と、90分走ってもボールを失わない選手は、別の生き物である。前者は鍛えれば作れる。後者は、走りながら考えられる頭が要る。
現地の評価も、そこを見ている。
公共放送の解説でフット・ヒュリットが中盤での出来を絶賛し、VIのピーテル・ズワルトは掘り出し物と書いた。
そのなかで、記者ヤールン・カプテインスの一文がいちばん正確だと思う。
"ボールを持てばうまく、デュエルでは鉄のように強い。そして疲れを知らない"
順番に注目してほしい。うまい、が先にきて、強い、走れる、が後ろに付く。
兄なら、順番が逆になるはずだ。
では、同じ燃料とは何か。
走ることだ。
2人は岡山の津山で育った。父がコーチをしていた地元クラブ、FCヴィパルテで小中を過ごした。
父はスニーカーを嫌い、子どもの頃の2人に下駄を履かせた。乾いた田んぼでもボールを蹴らせた。
海舟の足の裏が分厚く、指が長いのは、そのせいだと本人の周囲は言う。
そして、これは海舟本人が以前インタビューで語っていたと記憶しているのだが、兄弟はかなり遠い学校まで、2人で走って通っていたという。
走る、が生活だった家の話である。
父によれば、航大は兄に勝てないのが悔しくてサッカーにのめり込んだ。
その兄が守備で突き抜けた以上、弟は同じところで勝負しても勝てない。
同じ燃料で、違うエンジンを組んだのは、必然だったのかもしれない。
もうひとつ、航大自身が明かしているきっかけがある。
U-20日本代表のスペイン遠征で、内田篤人がミーティングを開いた。海外で成功するには、スカウトに見られている時間にどれだけ魅せられるかだ、と。
あれで火がついた、と航大は後に語っている。
NECの1年目、前半戦は途中出場が続いたが、後半戦で定位置を奪った。
走り続けてきた男が、一度だけ走らなかった試合がある。
この夏、NECのチャンピオンズリーグ予選、オリンピアコス戦。
航大はギリシャまで帯同しながら、出場を拒んだ。NECの会長は、出たくない選手をチームに置きたくなかった、と現地メディアに語った。
本人はテレグラーフ紙に、それまで移籍の機会があるたびに破談になってきた、怪我で今回も壊れるリスクを冒してプレーすべきだったのか、と話している。
NECは彼抜きで、延長の末にオリンピアコスを退けた。次のプレーオフでボデ/グリムトに敗れ、本戦には届かなかった。
美談ではない。
ただ、走らなかった90分の重さを、本人がいちばん分かっている。
だからCLの初戦で1分も休まず、最後まで走ったのだと思う。
2025年5月、兄弟はそろって日本代表に呼ばれた。
航大は、ライバルであり自分を一番理解してくれる兄と代表で一緒にプレーするのは子どもの頃からの夢だった、とコメントを出した。
海舟のほうは今年の年明けに、兄弟というより刺激し合えるサッカー友達のようだ、と語っている。
1年後、兄はW杯のピッチでブラジルから点を取り、弟は名簿に入れなかった。
今、弟はチャンピオンズリーグを走っている。
今年6月、4年後のW杯は絶対に出る、と古巣の地元紙に言い切っている。
ほぼ海舟、ではない。
同じ燃料で、違うエンジン。
その音が兄と聞き分けられるようになったとき、比較は終わる。
