ウェステルローは、アントワープ州の田舎町にある。人口はおよそ2万4千。スタジアムは8千人ほどしか入らない。
2019年にクラブを買ったトルコ人実業家オクタイ・エルジャンは、地域の家族的なクラブであり続けると約束した。
その小さなクラブが、この1年半で日本人を3人集めた。
最初は坂本一彩。2025年1月、ガンバ大阪からのレンタルだった。
熊本の生まれ。ガンバのユースから、まだ高校生のうちにJ3でデビューし、2023年はJ2の岡山で修行。開幕戦でいきなり2点を取った。
ガンバに戻った2024年、J1で10得点。自身初の二桁だった。
ベルギーでは2試合目のゲンク戦で初ゴール。残留争いの半年で6点を挙げ、チームを1部に残した。
夏、ウェステルローは買い取った。移籍金60万ユーロ、3年契約。
次が木村誠二。2025年8月、FC東京から4年契約。
千葉の市川で育ち、FC東京の下部組織からJ1に上がった。
そこからの4年で、レンタルが4回。京都、相模原、山形、鳥栖。
転機は相模原にいた2021年の後半で、当時の高木琢也監督が対人の強さとフィードを買い、3バックの一角に据えた。
2024年、鳥栖でフルシーズンを戦い、パリ五輪のメンバーに入る。準々決勝のスペイン戦、4バックの一角で先発した。隣のセンターバックは高井幸大だった。
ベルギーへ渡るとき、移籍金180万ユーロを現地メディアは高すぎると書いた。A代表歴のない選手にその額か、と。
そして齋藤俊輔。2026年1月、水戸ホーリーホックから3年半契約。
横浜生まれ。名前は中村俊輔からもらった。
マリノスのジュニアユースまで進んだが、ユースには上がれず、桐光学園へ。中村俊輔も歩いた道である。
高校3年でインターハイ準優勝。プロからのオファーは水戸だけだったと、本人は後にインタビューで明かしている。高卒でプロになりたかったから、迷わなかったのだと。
齋藤の2025年は、少し異常だった。
J2で8得点。月間ベストゴールを1シーズンに3回。7月は月間MVP。J2のベストイレブン。
9月にはU-20ワールドカップでチリへ飛び、負けて帰ってきた。
帰国後の練習場で、今季は絶対に優勝すると気持ちを切り替えた、と地元メディアに語っている。
11月29日の最終節。水戸はクラブ史上初のJ2優勝と、J1昇格を決めた。
J2に26年間いたクラブの、初めての昇格だった。
その1か月後、齋藤の欧州行きが発表される。
J1の舞台に立たないまま、20歳で海を渡った。
ウェステルローが彼に見ていたのは、得点ではなかった。
加入を伝えた現地報道は、見事な経歴を持つ中盤、創造性のあるチャンスメイカーと紹介している。
実際、加入から半年の齋藤は、リーグ戦18試合で1ゴール。
それが今季、開幕から2週間で3点。
8月30日のズルテ・ワレヘム戦で直接フリーキック。9月5日のメヘレン戦で2発。
公共放送スポルザは齋藤をマン・オブ・ザ・マッチに選び、メヘレンの守備陣には手に負えなかったと書いた。
ここで、冒頭の問いに戻る。なぜ今なのか。
シャライ監督は、パワーの問題が大きい、スタッフがそこに多く投資したと説明したうえで、こう言った。
"以前は60分が限界だった。いまは、もっと出せる"
昨季の齋藤は1月加入で、プレシーズンを経験していない。今季は夏合宿を最初から走った。
監督の説明は、それだけだ。
ピッチに立ったことのある人間なら、この60分という数字の重さが分かると思う。
60分まで走れる選手と、90分走れる選手の差は、30分ではない。
残り30分、相手の足が止まった時間帯に、まだ切り返せるかどうか。
齋藤の2点目は67分、コングリーブの落としをワンタッチで沈めた。
昨季なら、ベンチに下がっていた時間である。
Jリーグは、長く春に開幕してきた。
だから1月に欧州へ渡る日本人は、向こうのシーズン後半にいきなり放り込まれ、夏合宿を知らないまま最初の評価を受けてきた。
その暦が、今年変わった。Jリーグは2026-27シーズンから秋春制に移り、この8月に開幕している。移行期の2月から6月は、百年構想リーグという特別シーズンだった。
これからは、Jから欧州へ渡る選手も夏に動きやすくなる。プレシーズンを最初から走れる日本人が、増えていくはずだ。
齋藤と坂本は、旧い暦で渡った最後の世代ということになる。
坂本は2025年1月加入で、その夏にプレシーズンを初めて経験し、昨季は主力として6得点。今季もすでに1ゴール2アシストだ。
木村は8月加入で、合宿の途中から合流した。今季ここまで全6試合、540分を1分も欠かさず戦っている。
高すぎるという声は、いまのところ聞こえてこない。
つまり、3人が今年そろって浮上してきたのは偶然ではない。
3人とも、初めて最初からいたシーズンなのだ。
監督の話には、続きがある。
セットプレーのとき、齋藤が味方に指示を出す姿をよく見る。英語はまだ発展途上だが、と笑ったという。
坂本については、多くの資質を持つ選手で、まだ自分たちのところにいてくれて嬉しい、目標は日本代表であるべきだと語った。
まだいてくれて。
この夏、坂本の名前が市場で動いていたことを、監督自身が認めた格好だった。
チームメイトのラパージュの言葉が、いちばん端的だ。彼らは口より足でしゃべる、と。
ひとつ書き添えておく。
日本の一部報道は齋藤を5試合4得点、得点ランク首位タイと伝えた。
8月15日のゲンク戦で齋藤のクロスが相手DFに当たって入った1点を、齋藤の得点に数えたものだ。
ベルギーの公式記録では、あれはオウンゴール。齋藤は3得点で、リーグ9位タイ。
それでも、日本人では最上位である。
チームは第6節を終えて13位。
開幕3連敗から、引き分けを挟んで2連勝。
9月12日のスタンダール戦は4-2で勝ったが、齋藤と坂本は72分にそろって交代し、得点はなかった。
量産と書くには、まだ早い。
次は9月20日、アウェーのシント・トロイデン。
向こうには、9月1日にトッテナムからレンタルで加わったばかりの高井幸大がいる。
ただし、この稿を書いている時点で高井は非EU選手の書類手続きが遅れ、9月12日の試合でようやくベンチに入ったところだ。20日に木村と向き合えるかどうかは、まだ分からない。
もし実現すれば、パリ五輪でスペインと戦ったセンターバックのコンビが、ベルギーの地方リーグで敵と味方に分かれることになる。
小久保、石渡、荒木、松澤。相手の日本人も多い。
人口2万4千の町のクラブが、その試合で何を見せるのか。
60分が、90分になった男たちの話は、まだ始まったばかりだ。
