試合まで一週間以上ある。 だからなのか、日本側もスウェーデン側も、どこかのんびりしている。
SNSを眺めても、主要なスポーツサイトを覗いても、「日本はスウェーデンに勝てるか」という問いに対して、深刻に悩んでいる人がほとんどいない。ちょっと前まで、W杯の組み合わせが決まった瞬間から日本のサポーターはカウントダウンしながら不安を募らせていたものだが——今はちがう。むしろ「勝てるんじゃないか」という空気のほうが、静かに、しかし確かに広がっている。
これは、なかなかに興味深い変化だ。
思い起こせば、2000年代のスウェーデンには怖い顔がたくさん並んでいた。
フレドリック・リュングベリの走り、ズラタン・イブラヒモビッチのあの不敵な視線、そしてセルティックで点を取り続けたヘンリク・ラーションの静かな凄み。あの時代の日本のサッカーファンにとって、スウェーデンは「格上」というより「憧れ」に近い存在だった。ワールドカップの舞台でぶつかることすら夢のまた夢で、もし対戦が決まっていたとしたら、日本中がため息をついていただろう。
それが今や、「スウェーデンに負けるとは思わない」という感覚が、特に理由も検証もなく漂っている。 隔世の感、という言葉しか出てこない。
ただ、スウェーデンが弱くなったというより、日本が強くなった——というのが正確なところだろう。
そしてその「強さ」の中身を、メディアはまだうまく伝えきれていない、とも感じている。
スウェーデンのサッカー専門メディア「フォトボールスカナーレン」は、三笘薫と南野拓実の欠場を取り上げ、両者不在で日本の攻撃に失われた創造性を指摘した上で、"攻撃の多くの責任は久保建英に集まることになるだろう"と書いている。
それ自体は間違っていない。久保が軸になるのは事実だ。
だが、その記述の裏に透けて見えるのは、「2人が欠けた日本は怖くない」という含意であり、それはおそらく誤読だ。
伊東純也のスプリント。中村敬斗のカットイン。堂安律のミドル。前田大然の球際の圧力。鎌田大地のゲームメイク。久保の影に隠れるように、これだけの個性が中盤以降に並んでいる。スウェーデン側がそこまで把握しているかどうか、正直なところ、怪しい。
相手が情報不足で油断してくれるなら、それは日本にとって悪い話ではない。
翻って、日本のサポーターはスウェーデンのことをどれだけ知っているか。
ゴールキーパーの序列さえ、スウェーデン国内で定まっていないらしい。同メディアの報道によれば、監督のグラハム・ポッターはメンバー発表の場でも第1GKを明言しなかった。3月のW杯プレーオフで守護神を務めた36歳のノードフェルトも、今春のリーグ戦では安定したパフォーマンスを見せられていないという。
こういう内情は、向こうのメディアを追っていなければなかなかわからない。
日本側が「なんとなく大丈夫」と思っている一方で、スウェーデン側にも解決しきれていない不安がある——そういう現実が、表層的な報道の向こうに静かに横たわっている。
ポッターという監督もまた、面白い存在だ。世論と衝突することも厭わない選手選考、それが吉と出るか凶と出るかはW杯の結果が証明する。選んだ以上は信念で行くしかない、という覚悟は、それはそれで見ていて悪くない。
本番まで、まだ時間がある。
この「のどかさ」が試合前日まで続くとは思えない。どこかで誰かが火をつけるだろうし、両国のメディアが本腰を入れて掘り下げ始めれば、お互いの実像がもっと鮮明になってくるはずだ。
ただ、今の空気の中に、かつての日本にはなかった何かが漂っているのは確かだ。
スウェーデンに怯えていない日本。それ自体が、もうひとつの結果なのかもしれない。
