キーパーというポジションは、面白いほど目立たない試合のほうが、実はいい仕事をしている。
派手なセーブがない。ビッグプレーがない。それでも試合後、「落ち着いてたね」という感想だけが残る——それが本物のゴールキーパーの証明だと、ピッチに立ってきた人間なら肌感覚で知っている。
月曜夜のビラ・パーク。アーセナルを迎えたプレミアリーグの開幕ホーム戦で、鈴木彩艶が初めてビラのゴールに立った。
「見出しになる瞬間」は、なかった。
ただ、それでいい。というか、それがいいのだ。
スポーツメディアの現地レポートによれば、鈴木の足元の技術と配球に対してライターが「非常に大きな感銘を受けた」と記している。左右両足からのパスが単なるポゼッションの維持にとどまらず、それ自体がビラの攻撃の起点になる場面があったというのだ。
キーパーのパスが「攻撃の起点」になる。
この表現を軽く受け流してほしくない。
私が長くサッカーをやってきて感じるのは、ゴールキーパーのロングキックには、蹴ってみないとわからない難しさがある、ということだ。スピードだけなら蹴れる。距離もなんとかなる。だが、タイミングと落とし所、そしてボールのスピン——この三つが揃ったとき初めて、受け手が「走りながらトラップできる」パスになる。それはフィールドプレーヤーが蹴るキックとはまた違う難しさがあって、キーパーはその重心のまま、ゴールライン際から一球に全身を乗せなければならない。
鈴木彩艶のキックについて語る声を聞くたびに、その「乗せ方」が尋常じゃないという実感がある。プレッシャーをかけてきたアーセナルを相手に、落ち着いてボールを裁き続けた——という記述の裏にある緊張感は、やったことがある人間にしか本当にはわからない。
もうひとつ、個人的にずっと興味を持ってきた視点がある。
鈴木彩艶という選手の「二重性」だ。
体格的な話ではない。もっと内側の話だ。
アフリカにルーツを持つ身体。190センチを超えるサイズとフィジカルの強度。それを持ちながら、彼は日本でサッカーを学び、日本の文化の中で育ってきた。
日本のキーパー文化には、独特の繊細さがある。細かいポジショニングの修正、コーチングの声のかけ方、チームへの気配り。あるいは失点した後の、顔の上げ方。そういうものが、長く日本でサッカーをやることで染み込んでいく。
鈴木にはその「染み込み方」と、稀有なフィジカルが同居している。
世界中を見渡しても、そうそういるタイプじゃない。
24歳という年齢も、また際立っている。
パラグアイ、ブラジル、そしてヨーロッパ——段階を踏んだキャリアの中で、彼はアストン・ビラという、チャンピオンズリーグにも出場するクラブのレギュラー争いに加わった。一足飛びではなく、ちゃんと階段を上ってきた。
デビュー一発で何かを証明しなくていい。
それより、24歳のゴールキーパーが世界屈指のプレッシャー環境で「自信を持って、エメリの求めるスタイルでプレーし続けた」という事実のほうが、ずっと重たい。
日本代表のゴールキーパーポジションは、長い間、選手間の競争と世代交代が繰り返されてきた。
川口能活から楢崎正剛へ、川島永嗣へ——それぞれの時代を担い、それぞれに役割を果たしてきた系譜がある。鈴木彩艶は、おそらくその次の、そして最長の章を担う人間になる。
今夜の試合は、その序章の序章に過ぎない。
でも、序章の序章から、これだけのものが見えた。
それだけで十分だ、と思う。
