Alkmaar Zaanstreek
2011年9月、ヨーロッパリーグのマルメ戦キックオフ前のスタンド(2019年の崩落前の旧屋根)
チーズ市場が開かれる広場に建つ計量所(ワーフ)と運河の遊覧船
旧市街の運河アウデ・フラフトと跳ね橋
写真: Picasdre(2011年)・CC BY-SA 3.0・Commons / Txllxt TxllxT(2011年)・CC BY-SA 4.0・Commons / Michielverbeek(2024年)・CC BY 4.0・Commons(いずれもトリミング加工)
アムステルダムの北西約40キロ、チーズ市場で知られる北ホラント州の古都アルクマールを本拠とするクラブ。1981年と2009年の2度、アヤックス・PSV・フェイエノールトの「3強」の牙城を崩してリーグを制した。オランダ屈指のアカデミーを持ち、2023年にはUEFAユースリーグも制した。2019年に加入した菅原由勢が5シーズンでクラブの欧州カップ戦最多出場記録を作り、現在は毎熊晟矢と市原吏音がプレーしている。
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2026-27シーズンのエールディヴィジで5位(18チーム中・勝ち点20)順位表 →
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
ルーツは1954年、オランダでプロリーグが始まった年に生まれたプロクラブ「アルクマール'54」。1954年8月14日、フェンロ'54を3-0で破った試合はオランダで最初のプロの公式戦とされる。1967年5月10日、このアルクマール'54と、ザーン地方のFCザーンストレークが合併して「AZ'67(アルクマール・ザーンストレーク)」が誕生した。1986年に名前を現在の「AZ」に短縮している。
まもなく財政難に陥ったクラブを1972年に救ったのが、家電チェーンを営むクラースとセースのモレナール兄弟だった。兄弟の投資で力をつけたAZ'67は1977-78シーズンにKNVBカップで初タイトルを獲得。ゲオルク・ケスラー監督のもと、エースのケース・キストらを擁した1980-81シーズンには34試合で27勝・101得点という圧倒的な強さで初のリーグ優勝を果たし、KNVBカップとの2冠を達成した。同じシーズンにはUEFAカップ決勝まで勝ち進み、イプスウィッチ・タウンに2試合合計4-5で敗れて準優勝だった。
1979年にセースが亡くなり、1985年にクラースもクラブを離れると勢いを失い、1988年に2部へ降格。1990年代半ばに実業家ディルク・シェリンハが支援に乗り出して再建が進み、1998年に2部優勝で1部に定着した。2006年に新スタジアムへ移転し、ルイ・ファン・ハール監督のもとで迎えた2008-09シーズン、開幕2連敗から28試合無敗の快進撃で28年ぶり2度目のリーグ優勝を飾った。
2009年秋、メインスポンサーだったシェリンハのDSB銀行が破綻し、クラブは財政面で一歩後退する。それでも2013年にはKNVBカップを制し、外部の大口出資者に頼らずに獲得した初のタイトルとなった。2019年にはアルネ・スロット監督のもと、トゥーン・コープマイネルスら自前のアカデミー出身者がアヤックスと優勝を争ったが、新型コロナでシーズンが打ち切られ、勝ち点で並んだまま得失点差で2位に終わった。この年に加入したのが菅原由勢で、スタジアムの屋根が強風で一部崩落し、本拠地を一時ハーグに移したシーズンでもあった。
2020年代は欧州カップ戦の常連として、2022-23シーズンにはカンファレンスリーグで4強入り。2024年1月にはクラブOBのマールテン・マルテンスが監督に就き、2025年にはKNVBカップ決勝に進んだが、ゴー・アヘッド・イーグルスにPK戦で敗れた。2026年1月にマルテンスが解任され、暫定監督のリーロイ・エヒテルトが率いたチームは同年4月19日のKNVBカップ決勝でNECを5-1で破り、13年ぶり5度目のカップ優勝を果たした。エヒテルトはそのまま正式な監督となり、2026-27シーズン初戦のヨハン・クライフ・スハールでもPSVを4-0で下し、2度目のスーパーカップを手にした。
愛称: カースボーレン(De Kaasboeren=チーズ農家) / カースコッペン(Kaaskoppen=チーズ頭)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | エールディヴィジ | 5 | カンファレンスリーグはラウンド16でボデ/グリムトに延長戦の末に敗退。KNVBカップ4強。欧州カップ戦プレーオフを勝ち抜く[2][6] |
| 2022-23 | エールディヴィジ | 4 | カンファレンスリーグでラツィオ、アンデルレヒトを破り4強(準決勝でウェストハムに敗退)。U-19がUEFAユースリーグ優勝[1][2][6] |
| 2023-24 | エールディヴィジ | 4 | 菅原由勢の在籍最終シーズン。2024年1月にパスカル・ヤンセン監督を解任し、マールテン・マルテンスが後任に。カンファレンスリーグはグループステージ敗退[1][2] |
| 2024-25 | エールディヴィジ | 5 | 毎熊晟矢の加入1年目。ヨーロッパリーグはラウンド16でトッテナムに敗退。KNVBカップ決勝はゴー・アヘッド・イーグルスにPK戦で敗れ準優勝[1][2][6] |
| 2025-26 | エールディヴィジ | 7 | 1月に市原吏音が加入。KNVBカップ決勝でNECを5-1で破り13年ぶりの優勝。カンファレンスリーグは準々決勝でシャフタール・ドネツクに敗退[2][6][7] |
公式戦259得点(リーグ戦212得点)を挙げたクラブ歴代最多得点者。1978-79シーズンにリーグ戦34得点で、オランダ人として初めて欧州ゴールデンシューを受賞し、1980-81シーズンの初優勝の原動力になった。[2][8]
モレナール時代の10年間をAZで過ごし、公式戦363試合104得点を記録したデンマーク代表FW。1981年のUEFAカップ決勝進出にも貢献した。AFASシュタディオンのクラブショップは彼の名前を冠している。[1][9]
プロキャリアのすべてをAZで過ごし、リーグ戦399試合(公式戦470試合)でクラブ最多出場記録を持つ。2度の1部昇格と2005年のUEFAカップ4強を経験し、「ミスターAZ」と呼ばれた。[2][10]
2008-09シーズンに開幕2連敗から立て直し、クラブに28年ぶりのリーグ優勝をもたらした。その後バイエルン、マンチェスター・ユナイテッド、オランダ代表を率いた名将。[1][11]
ファン・ハール監督のチームの中心選手として2008-09シーズンのリーグ優勝に貢献。のちにフラム、トッテナムで活躍した。[12]
アシスタントコーチから2019年に監督へ昇格し、アカデミー出身の若手を軸にアヤックスと優勝を争った。菅原由勢をトップチームで起用した監督でもあり、のちにリヴァプールでプレミアリーグを制した。[2][13]
近郊のカストリクム育ちのアカデミー出身者。若くして主将を務め、2019-20シーズンの躍進を支えた。アタランタ、ユヴェントスへと羽ばたき、オランダ代表にも選ばれた。[1][14]
2019年6月、スキポール空港に到着した際に、AZでキャリアを続けられることを喜び、クラブカラーの赤は自分に「完璧に似合う」と笑顔を見せた。[24]
— 菅原由勢
加入1年目の秋には、途中出場のたびに大きな歓声が上がるほどサポーターの人気者に。本人は自分が人気者だとは思わないとしつつ、性格は受け入れてもらえていると感じ、サッカー選手としては結果がすべてだと語った。[25]
— 菅原由勢
2024年の退団時、オランダに来た当初は英語もオランダ語も話せず、身ぶり手ぶりで溶け込んだと振り返った。5年間で特別な試合を一つに絞るのは無理だとし、AZを素晴らしいクラブだと表現した。[16]
— 菅原由勢
加入時、海外移籍を本気で考えたきっかけは2022年カタールW杯の観戦だったと明かした。菅原の後釜として迎えられたことを自覚しつつ、菅原を攻撃面で素晴らしい選手と評し、自分は違ったアクセントを加えたいと語った。[19]
— 毎熊晟矢
日本だと三重県伊勢市(約11.9万人)くらいの規模
アムステルダムの北西約40キロ、北ホラント州の北部にある街。10世紀の文書に名前が現れ、1254年に都市権を得た古い商業都市で、歴史的な中心部には399の国指定文化財が残る。チーズ市場を目当てに多くの観光客が訪れる文化的な観光地でもある。
「チーズの街」として知られ、旧市街の計量所(ワーフ)前の広場では4月から9月にかけて毎週金曜の午前10時から13時まで、伝統のチーズ市場が開かれる。チーズ運搬人の組合は1593年に設立されたとされ、運搬人が担架のような台でチーズを運ぶ姿が名物。住民がくだけて「カースコップ(チーズ頭)」と呼ばれるのもこの土地柄からで、AZの愛称にもなっている。
1573年、八十年戦争でスペイン軍に包囲された街は、市民が煮えたぎるタールや燃えるそだ束で城壁を守り抜き、包囲を退けた。「勝利はアルクマールから始まる」という言い回しはこの出来事に由来し、毎年10月8日に解放を祝う祭りが開かれる。スタジアムの設計段階で使われた呼び名「フィクトリー(勝利)・シュタディオン」もこの故事にちなむ。
市の南端に建つクラブ所有のスタジアム。2006年8月4日、アーセナルとの親善試合(0-3)でこけら落としを迎えた。開場時の収容は17,023人。当初は「DSBシュタディオン」と呼ばれ、2010年からソフトウェア会社AFASの名を冠している。UEFAの大会では「AZシュタディオン」の名で使われる。
2019年8月10日、強風で屋根の一部が崩落(無人のため負傷者なし)。AZはハーグのADOの本拠地で数か月間ホームゲームを戦い、同年12月15日のアヤックス戦(1-0で勝利)で本拠地に戻った。2020-21シーズンに、クレーンのような腕で吊る新しい屋根が架けられた。
メインスタンドは「フィクトリー」、ゴール裏は旧本拠地にちなむ「アルクマーデルハウト」、向かいのスタンドは創設者兄弟の名を取った「モレナール」、熱心なサポーターが陣取るスタンドは「ファン・デル・ベン」と、スタンド名にもクラブの歴史が刻まれている。
1967年から2006年まで本拠地だったアルクマーデルハウト。1981年のUEFAカップ決勝のホーム戦は、アルクマーデルハウトでは小さすぎるとしてアムステルダムのオリンピックスタジアムで行われた。
トップチームの半数を自前の育成選手でまかなうことを掲げるオランダ屈指の育成組織。2014-15・2015-16シーズンにはオランダのプロクラブで最も優れたアカデミーに贈られるリヌス・ミケルス賞を受賞した。2022-23シーズンにはU-19がバルセロナやレアル・マドリードを破り、オランダのクラブとして初めてUEFAユースリーグを制覇。2023年4月24日、ジュネーヴでの決勝でハイドゥク・スプリトを5-0で下し、クラブ史上初の欧州タイトルとなった。
セカンドチームのヨングAZは2016-17シーズンに3部(トゥエーデ・ディヴィジ)で優勝し、2017年から2部のエールステ・ディヴィジで戦っている。トップチームの選手が出場機会を得る場にもなっており、菅原由勢や市原吏音もここで公式戦に出場した。
主な出身選手: フィリップ・コクー、ロン・フラール、トゥーン・コープマイネルス、カルヴィン・ステングス、マイロン・ボアドゥ、オーウェン・ワインダル、メックス・メールディンク
熱心なサポーターの集まりは「ベン・サイド」と呼ばれる。名前の由来は、合併当時のアルクマール'54会長で、熱狂的なファンの居場所づくりに尽力したヤン・ファン・デル・ベン。旧本拠地に彼の名を冠したスタンドができ、1977年ごろからその一角に陣取る人々がこう呼ばれるようになった。2015年からは新スタジアムのW・X1ブロックが応援席に指定され、2020年夏には立ち見の安全席(セーフスタンディング)に改修された。
親しみを込めた愛称は「チーズ農家」を意味するカースボーレン。2023年5月のカンファレンスリーグ準決勝ウェストハム戦では、一部のファンが相手選手の家族のいる区画に押しかける騒ぎを起こし、監督が謝罪する事態にもなった。
日本からはアムステルダムに入り、鉄道で北上するのが基本。アルクマール駅はアムステルダムの北西約40キロにあり、アムステルダムからはインターシティ(急行)が1時間に複数本走っている。
試合日には、アルクマール駅の裏手(送迎用の乗降スペース)からスタジアム近くのアルカディアラーンまで、無料のシャトルバスが試合開始の2時間前から運行される。試合後はスタジアムと駐車場P8の間の高架下から駅行きが出る。スタジアムの住所は Stadionweg 1。
チケットはクラブ公式のチケットショップで販売される。クラブ会員証「AZクラブカールト」が購入権の基本で、一部の試合はオランダの本人確認サービス(iDIN)で認証を済ませた会員しか買えない。人気カードは公式の再販(リセール)だけになることもあるため、日本から観戦する場合は早めに公式サイトで販売条件を確認し、不明点はチケット窓口(ticketing@az.nl)に問い合わせたい。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。