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カリアリの旧市街カステッロ地区。丘の上に城壁と古い建物が連なり、ふもとに新市街が広がる

カリアリの旧市街カステッロ地区。丘の上に城壁と古い建物が連なり、ふもとに新市街が広がる
写真: Roburq(2013年撮影) / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons・トリミング加工

CLUB · SERIE A
カリアリのエンブレム

カリアリ

エンブレムの権利はカリアリに帰属します(チームの識別のために表示しています)

カリアリ

Cagliari Calcio S.p.A.

📷 カリアリの旧市街カステッロ地区。丘の上に城壁と古い建物が連なり、ふもとに新市街が広がる(写真: Roburq・2013年/CC BY-SA 3.0・Wikimedia Commons・トリミング加工)
  • カステッロ地区の入口にあたるサン・レミ稜堡。1896〜1903年に旧城壁の上に築かれた階段と展望テラス

    カステッロ地区の入口にあたるサン・レミ稜堡。1896〜1903年に旧城壁の上に築かれた階段と展望テラス
    写真: Ryan Hodnett(2024年撮影) / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons・トリミング加工

    カステッロ地区の入口にあたるサン・レミ稜堡。1896〜1903年に旧城壁の上に築かれた階段と展望テラス

  • カステッロ地区の広場と、14世紀初めにピサ人が築いた象の塔(トッレ・デッレレファンテ)

    カステッロ地区の広場と、14世紀初めにピサ人が築いた象の塔(トッレ・デッレレファンテ)
    写真: trolvag(2012年撮影) / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons・トリミング加工

    カステッロ地区の広場と、14世紀初めにピサ人が築いた象の塔(トッレ・デッレレファンテ)

  • 岬「悪魔の鞍(セッラ・デル・ディアーヴォロ)」から見た市民のビーチ、ポエット。奥にはモレンタルジュスの塩田と湿地が広がる

    岬「悪魔の鞍(セッラ・デル・ディアーヴォロ)」から見た市民のビーチ、ポエット。奥にはモレンタルジュスの塩田と湿地が広がる
    写真: Phil Venditti(2023年撮影) / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons・トリミング加工

    岬「悪魔の鞍(セッラ・デル・ディアーヴォロ)」から見た市民のビーチ、ポエット。奥にはモレンタルジュスの塩田と湿地が広がる

写真: Ryan Hodnett(2024年)・CC BY-SA 4.0・Commons / trolvag(2012年)・CC BY-SA 3.0・Commons / Phil Venditti(2023年)・CC BY 2.0・Commons(いずれもトリミング加工)

創設
1920年
本拠地
カリアリ
スタジアム
ウニポル・ドムス
愛称
ロッソブル(Rossoblù、「赤と青」)

地中海に浮かぶサルデーニャ島の州都カリアリを本拠とする、島を代表するクラブ。1969-70シーズンにエースのジジ・リーヴァを擁してセリエAを制し、南イタリアと島のクラブとして初めてスクデット(イタリア王者)に輝いた。2026年9月、菅原由勢がサウサンプトンからの期限付き移籍で加入し、クラブ史上初の日本人選手となった。

📅 クラブ紹介(歴史・街・スタジアムなど)は2026年11月5日時点の情報です(出典31件)。試合・順位・今季成績は毎日自動で更新しています。

NOW

🇯🇵 カリアリの日本人選手の今

2026-27シーズンのセリエAで12位(20チーム中・勝ち点13)順位表 →

今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。

HISTORY

📜 カリアリの歴史

1920年5月30日、カリアリ中心部のローマ通りにあった映画館「エデン」に集まったファンの会合で「カリアリ・フットボール・クラブ」として誕生した。初代会長は外科医のガエターノ・フィケーラ。初の公式戦は同年9月8日、島北部サッサリのトーレスとの一戦で、5-2で勝った。赤と青のユニフォームは1926年から。1935年に財政難で解散し、「ウニオーネ・スポルティーヴァ・カリアリ」として出直した。その後はセリエBとCを行き来する時代が長く続いた。

転機は1960年代。1964年6月21日のプロ・パトリア戦に3-1で勝ち、初のセリエA昇格を決めた。原動力は前年に北イタリアのレニャーノから加入した若きFWルイジ(ジジ)・リーヴァ。1967年夏には北米のリーグに「シカゴ・マスタングス」の名で参戦した経験もある。「哲学者」と呼ばれたマンリオ・スコピーニョ監督のもと、1968-69シーズンはリーグ2位とコッパ・イタリア準優勝。翌1969-70シーズン、1970年4月12日に本拠地アムシコーラでバーリを破り、2節を残して初優勝を決めた。30試合でわずか11失点の堅守に、リーヴァの21得点(得点王)。サルデーニャ、そして南イタリアのクラブとして初めてのスクデットで、この年のW杯メキシコ大会のイタリア代表には6人が選ばれた。

その後はリーヴァの負傷などもあって力を落とし、1975-76シーズンに降格。1980年代には財政危機で3部のセリエC1まで落ちたが、1988年に就任したクラウディオ・ラニエリ監督のもとでC1とBを2年続けて勝ち抜き、1990年にセリエAへ戻った。1991年に会長となったマッシモ・チェッリーノのもとで、1993-94シーズンにはUEFAカップで準々決勝でユヴェントスを破ってベスト4に進出(準決勝でインテルに敗退)。これがクラブ史上最高の欧州での成績になっている。

1999年に再び降格したが、2003-04シーズンには地元サルデーニャ出身のジャンフランコ・ゾラがチェルシーから帰郷して1部復帰に貢献した。2014年にはフッ素化学品メーカー、フルオルシド・グループのトンマーゾ・ジュリーニが経営を引き継ぎ、2015-16シーズンにセリエB初優勝。2021-22シーズンに降格したものの、2023年1月に復帰したラニエリ監督がプレーオフを制して1年で1部に戻した。2023-24シーズンからはセリエAに残留を続け、2025年6月には下部組織のプリマヴェーラ(U-20相当)を率いていたファビオ・ピサカーネが監督に昇格した。2024年1月には、クラブの象徴リーヴァが79歳で亡くなっている。

カリアリのエンブレム

カリアリ

エンブレムの権利はカリアリに帰属します(チームの識別のために表示しています)

エンブレムエンブレムの中心は、サルデーニャ州旗の「4人のムーア人(クワットロ・モーリ)」。赤い十字で区切られた白地に、目隠しをしたムーア人の頭部が4つ描かれる島のシンボルで、昔から胸に付けられてきた。2015年6月からは古いフランス式の盾形に赤と青を半分ずつ配し、白でクラブ名を入れたデザインになり、ムーア人の顔は新しい州旗に合わせて右向きに改められた。クラブカラーの赤と青はカリアリ市の紋章の色で、赤はサヴォイア家とサルデーニャ王国を、青は空と海、そして城壁に囲まれた旧市街カステッロを表すとされる。

愛称: ロッソブル(Rossoblù、「赤と青」) / カステッドゥ(Casteddu、サルデーニャ語でカリアリのこと) / イゾラーニ(Gli Isolani、「島の人たち」)

RECORD

🏆 カリアリの主なタイトルと近年の戦績

シーズンリーグ順位トピック
2021-22セリエA18シーズン途中にマッツァーリ監督が就任したが、18位でセリエBへ降格[1]
2022-23セリエB52023年1月にラニエリ監督が復帰。5位から昇格プレーオフを勝ち抜き、1年でセリエA復帰[3][15][16]
2023-24セリエA16残留を決め、ラニエリ監督はこのシーズン限りで退任[1][15]
2024-25セリエA15ダヴィデ・ニコラ監督のもとで残留。コッパ・イタリアはラウンド16でユヴェントスに敗退[17]
2025-26セリエA14プリマヴェーラから昇格したピサカーネ監督の1年目。勝ち点43で残留[18][19]
LEGENDS

⭐ カリアリを象徴する名選手

JAPANESE

🇯🇵 カリアリの歴代日本人選手

VOICES

💬 日本人選手が語るカリアリと街

HOMETOWN

🏙️ ホームタウン カリアリ

地域
サルデーニャ州(州都)
人口
約14.6万人(2026年5月末、145,729人)。通勤圏を含む都市圏は約46万人

日本だと愛媛県今治市(約14万人)くらいの規模。どちらも港を中心に発展してきた街

イタリア本土の西、地中海に浮かぶサルデーニャ島の南岸、カリアリ湾に面した州都。起源はフェニキア人が築いた港町カラリスで、ローマ、ピサ、アラゴンなどの支配を経て、サルデーニャ王国の議会が置かれた島の中心都市となった。港は旅客・貨物とも扱う国際港で、地中海でも有数の規模を持つ。

旧市街は丘の上の城塞地区カステッロを中心に、マリーナ、スタンパーチェ、ヴィッラノーヴァの各地区が囲む。カステッロには14世紀初めにピサ人が白い石灰岩で築いたサン・パンクラーツィオの塔と象の塔が残り、1896〜1903年に造られたサン・レミ稜堡のテラスからは街と海を見渡せる。クラブの愛称「カステッドゥ」はサルデーニャ語でのこの街の呼び名で、クラブカラーの青にもカステッロの意味が込められている。

街の東には約8キロ続く白砂のビーチ、ポエットがあり、その背後にはモレンタルジュスの塩田と湿地が自然公園として残る。湿地は市域の4割以上を占める。気候は地中海性で、夏は暑く乾燥し、冬は穏やか。年間の日照時間は約2,700時間にのぼる。

毎年5月1日から4日にかけては、1652年のペスト流行の際に市が立てた誓いに由来する「聖エフィジオ祭」が開かれる。島各地の伝統衣装をまとった約2,800人と騎馬の行列が聖人像に付き添い、殉教の地とされる南西の海辺ノラまで約80キロを往復する祭りだ。

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STADIUM

🏟️ カリアリのスタジアム ― ウニポル・ドムス

収容人数
16,412人
開場
2017年

市の中心部から約3キロ、サンテーリア地区にある仮設スタジアム。旧本拠地サンテーリア・スタジアムのすぐ隣に、クラブによればわずか127日で建てられ、2017-18シーズンに「サルデーニャ・アレーナ」として開場した。2021年に命名権契約で現在のウニポル・ドムスに改称。収容人数はクラブ公式で16,412人(うちアウェー席415人)。

すぐ近くにはポエットの海岸とモレンタルジュスの湿地が広がる。あくまでサンテーリア地区に恒久的な新スタジアムができるまでの仮の本拠地という位置づけで、旧サンテーリアの跡地に新スタジアムを建てる計画が進められている。2026年9月30日にイタリアサッカー連盟がUEFAへ提出したEURO2032の会場候補(13都市14スタジアム)にもカリアリが含まれたが、最終的な開催会場の選定と着工はまだ先の話だ。

1970年9月から2017年まで使った市営のサンテーリア・スタジアム(開場当時は立ち見を含め約7万人収容)。1990年W杯の会場となり、イングランドのグループリーグ全試合が行われた。それ以前の1950年代から1970年までは市内のアムシコーラが本拠地で、1970年のスクデットもここで決めた。

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ACADEMY

🌱 育成 ― カリアリ下部組織(CRAIスポーツセンター)

トップチームと下部組織の練習拠点は、カリアリ近郊アッセミーニにある1995年開設の練習場。長く「アッセミネッロ」の名で親しまれ、2023年からスポンサー名を冠したCRAIスポーツセンターと呼ばれている。下部組織は最上位のプリマヴェーラ1(U-20相当)からU-17、U-16、U-15、そして8歳以下のカテゴリーまでそろい、女子部門も持つ。

2024-25シーズンにはプリマヴェーラがコッパ・イタリア・プリマヴェーラで優勝(決勝でミランに3-0)。このチームを率いたファビオ・ピサカーネが2025年6月にトップチームの監督へ昇格した。地元カリアリ生まれのニコロ・バレッラは、この下部組織からイタリア代表へ羽ばたいた代表格だ。

主な出身選手: ニコロ・バレッラ

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SUPPORTERS

📣 カリアリのサポーターとライバル

2023年の調査会社イプソスなどの調査では、推定約48万人のファンを持つイタリアで8番目に人気のクラブとされた。ゴール裏の応援を率いるウルトラス「スコンボルツ(Sconvolts)」は1987年結成。

2026年9月に菅原由勢が加入したことで、日本からも注目を集めるクラブになった。菅原は加入時点で、そのシーズンのセリエAでただ一人の日本人選手だった。

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ACCESS

✈️ 日本からカリアリの試合を観戦するには

日本からはローマやミラノなど欧州の主要空港で乗り継ぎ、カリアリ・エルマス空港へ。空港は中心部から約7キロで、空港の鉄道駅から市内や島内の各地へ列車が出ている。2025年の利用者は約525万人。

スタジアムへは、中心部のマッテオッティ広場(鉄道駅前)からポエット/サンテーリア方面へ向かう市バスCTMの3・5・6・11・PF・PQ系統で、アムシコーラ・スタジアム付近で降りて歩く。試合日には自転車・電動キックボード用の無料の見張り付き駐輪場(50台)も用意される。

チケットはクラブ公式サイトのチケットページから、提携サービスのPassione CastedduやTicketagを通じて購入できる。チケットは記名式で、購入時も入場時も有効な身分証明書(海外からならパスポート)が必要。譲渡はクラブが認めたルート以外ではできない。

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出典

  1. [1] Wikipedia(英語版)Cagliari Calcio(2026-11-05 閲覧)
  2. [2] Wikipedia(イタリア語版)Cagliari Calcio(2026-11-05 閲覧)
  3. [3] Cagliari Calcio 公式(クラブの歴史)(2026-11-05 閲覧)
  4. [4] Cagliari Calcio 公式(スタジアム・チケット案内)(2026-11-05 閲覧)
  5. [5] Wikipedia(英語版)Unipol Domus(2026-11-05 閲覧)
  6. [6] Il Post(カリアリのスクデットから50年・2020年4月)(2026-11-05 閲覧)
  7. [7] Wikipedia(英語版)1969–70 Cagliari Calcio season(2026-11-05 閲覧)
  8. [8] Wikipedia(英語版)Gigi Riva(2026-11-05 閲覧)
  9. [9] Wikipedia(英語版)Manlio Scopigno(2026-11-05 閲覧)
  10. [10] Wikipedia(英語版)Enzo Francescoli(2026-11-05 閲覧)
  11. [11] Wikipedia(英語版)Gianfranco Zola(2026-11-05 閲覧)
  12. [12] Wikipedia(英語版)David Suazo(2026-11-05 閲覧)
  13. [13] Wikipedia(英語版)Daniele Conti(2026-11-05 閲覧)
  14. [14] Wikipedia(英語版)Nicolò Barella(2026-11-05 閲覧)
  15. [15] Wikipedia(英語版)Claudio Ranieri(2026-11-05 閲覧)
  16. [16] Wikipedia(英語版)2022–23 Cagliari Calcio season(2026-11-05 閲覧)
  17. [17] Wikipedia(英語版)2024–25 Cagliari Calcio season(2026-11-05 閲覧)
  18. [18] Wikipedia(英語版)2025–26 Cagliari Calcio season(2026-11-05 閲覧)
  19. [19] TUTTOmercatoWEB(ピサカーネ監督就任・2025年6月)(2026-11-05 閲覧)
  20. [20] Cagliari Calcio 公式(菅原由勢の加入発表・2026年9月1日)(2026-11-05 閲覧)
  21. [21] Southampton FC 公式(菅原のカリアリへの期限付き移籍・2026年9月1日)(2026-11-05 閲覧)
  22. [22] フットボールチャンネル(菅原由勢のカリアリ移籍・2026年9月)(2026-11-05 閲覧)
  23. [23] L'Unione Sarda(カリアリ史上初の日本人選手に・2026年8月)(2026-11-05 閲覧)
  24. [24] サッカーキング(菅原由勢のセリエAデビュー・2026年9月)(2026-11-05 閲覧)
  25. [25] Fantacalcio.it(菅原由勢の入団会見・2026年9月)(2026-11-05 閲覧)
  26. [26] Wikipedia(イタリア語版)Cagliari(2026-11-05 閲覧)
  27. [27] Wikipedia(英語版)Cagliari(2026-11-05 閲覧)
  28. [28] Wikipedia(日本語版)今治市(2026-11-05 閲覧)
  29. [29] サルデーニャ州観光局(聖エフィジオ祭)(2026-11-05 閲覧)
  30. [30] L'Unione Sarda(EURO2032の会場候補をUEFAに提出・2026年9月30日)(2026-11-05 閲覧)
  31. [31] Wikipedia(英語版)Cagliari Elmas Airport(2026-11-05 閲覧)

クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。