Feyenoord Rotterdam
鉄骨の外周と照明塔が特徴のデ・カイプ。1937年の開場以来の本拠地
ニューウェ・マース川に架かる白い斜張橋エラスムス橋と、高層ビルが並ぶ川岸
戦後の再建で生まれた現代建築の一例、ピート・ブロム設計のキューブハウス
写真: F.Eveleens(2008年)・CC BY 3.0・Commons / Martin Falbisoner(2019年)・CC BY-SA 4.0・Commons / Choinowski(2017年)・CC BY-SA 4.0・Commons(いずれもトリミング加工)
オランダ第2の都市であり欧州最大の港町ロッテルダムの、マース川南岸に本拠を置く名門。1970年にオランダのクラブとして初めて欧州チャンピオンズカップを制し、本拠地デ・カイプは「民衆のクラブ」を支える熱狂的なサポーターで知られる。2002年に小野伸二がUEFAカップ優勝に貢献して以来、日本との縁も深く、上田綺世は2025-26シーズンに日本人初のエールディヴィジ得点王となり、現在はDF渡辺剛がプレーしている。
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2026-27シーズンのエールディヴィジで1位(18チーム中・勝ち点25)順位表 →
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
1908年7月19日、ロッテルダム南部のカフェ「デ・フェレーニヒング」で「ウィルヘルミナ」として創設された。その後クラブ名を何度か変え、1912年に地区名にちなむ「フェイエノールト(Feijenoord)」となった。1974年には国外の人が発音しにくいオランダ語の「ij」を「y」に改めて「Feyenoord」とし、1978年にはプロ部門がアマチュア部門から分かれた(2010年に再統合)。1924年に初のリーグ優勝、1930年に初のKNVBカップ優勝を果たし、1937年には現在の本拠地デ・カイプへ移った。
黄金期は1960〜70年代。オーストリア人のエルンスト・ハッペル監督のもと、1970年にミラノでの決勝でセルティックを延長戦の末に下し、オランダのクラブとして初めて欧州チャンピオンズカップを制覇。同年のインターコンチネンタルカップではエストゥディアンテスを破って世界一になった。1974年にはトッテナムを破ってUEFAカップも制し、こちらもオランダ勢初の優勝だった。1983-84シーズンには、アヤックスとの契約延長を拒まれたヨハン・クライフが加入し、リーグとカップの2冠を達成している。
2002年には本拠地デ・カイプで行われたUEFAカップ決勝でドルトムントを3-2で破り、2度目の優勝。ベルト・ファン・マルワイク監督のもとで中盤を担った小野伸二は、日本人として初めて欧州のカップ戦タイトルを手にした選手となった。その後は多額の補強による負債などで財政難と成績低迷の時期が続いた。
復活を印象づけたのは、2015年にクラブOBのジョヴァンニ・ファン・ブロンクホルストが監督に就いてからだ。2016年にKNVBカップを制し、2016-17シーズンには18年ぶりのリーグ優勝を果たした。2021年就任のアルネ・スロット監督のもとでは、2022年にUEFAヨーロッパ・カンファレンスリーグ決勝に進出(ローマに0-1で敗れ準優勝)、2022-23シーズンに16度目のリーグ優勝、2023-24シーズンにKNVBカップ優勝を果たした。
スロットがリヴァプールへ去った後、2024-25シーズンにはチャンピオンズリーグでラウンド16に進出。シーズン途中の2025年2月にはクラブOBのロビン・ファン・ペルシが監督に就き、2025-26シーズンはPSVに次ぐ2位で終えた。しかし2026年6月、クラブは内容と勝ち点の下降傾向を理由にファン・ペルシを解任し、ファン・ブロンクホルストが2年契約で監督に復帰した。
エンブレムエンブレムは円形で、外側の帯に「Feyenoord」と「Rotterdam」の文字、中央は赤と白に分かれた地に大きな「F」を配したデザイン。2024年7月に小さな改訂が発表され、帯の文字の配置を整え、左半分の色を鮮やかにし、「F」を正確に中央へ置き、赤と白の間にあった金色の線を取り除いた。クラブの歴史で11代目のロゴとされる。伝統のユニフォームは赤と白を左右に分けたシャツに黒のパンツ・ソックスで、赤・白・黒は1930年代からのクラブカラーだ。
愛称: 民衆のクラブ(De club van het volk) / 南の誇り(De Trots van Zuid) / スタジアムのクラブ(De Stadionclub)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | エールディヴィジ | 3 | スロット監督の1年目。UEFAヨーロッパ・カンファレンスリーグ準優勝(決勝でローマに0-1)[4][18] |
| 2022-23 | エールディヴィジ | 1 | 6年ぶり16度目のリーグ優勝。ヨーロッパリーグ準々決勝進出、KNVBカップ4強[4][18] |
| 2023-24 | エールディヴィジ | 2 | 上田綺世の加入1年目。KNVBカップ優勝(決勝でNECに1-0)。チャンピオンズリーグはグループステージ敗退[4][18][23] |
| 2024-25 | エールディヴィジ | 3 | チャンピオンズリーグでラウンド16進出。シーズン途中の2025年2月にファン・ペルシが監督に就任[4][16] |
| 2025-26 | エールディヴィジ | 2 | 渡辺剛が加入。上田綺世がリーグ戦25得点で日本人初の得点王。ヨーロッパリーグはリーグフェーズ敗退。シーズン後の2026年6月にファン・ペルシ監督が解任された[4][5][6][23] |
左ウイングとして17年間プレーし、リーグ戦487試合はクラブ最多出場記録。1970年の欧州チャンピオンズカップ優勝をはじめ、5度のリーグ優勝を経験した。[2][11]
1970年の欧州チャンピオンズカップとインターコンチネンタルカップを制し、1970-71シーズンのリーグ優勝にも導いた黄金期の指揮官。[12]
1970年の欧州チャンピオンズカップ決勝で延長戦の決勝ゴールを挙げた。リーグ戦144試合129得点、外国籍選手として初めてエールディヴィジ得点王になり、計3度獲得した。[1][13]
「デ・クロメ」の愛称で知られる左足の名手。1970年の欧州制覇と1974年のUEFAカップ優勝に貢献し、監督としても1992-93シーズンにリーグ優勝を果たした。[14]
アヤックスに契約延長を拒まれ、宿敵フェイエノールトへ。在籍1シーズンでリーグとカップの2冠を達成し、オランダ年間最優秀選手に選ばれて現役を退いた。[15]
アカデミー出身で、17歳でデビューし2002年のUEFAカップ決勝に先発出場。2018年に復帰してKNVBカップ決勝で得点し、ここで現役を終えた。2025年2月から2026年6月までは監督も務めた。[10][16]
1期目に2004-05シーズンのリーグ得点王。リヴァプールなどを経て復帰し、主将として2016-17シーズン最終節でハットトリックを決めて18年ぶりのリーグ優勝を決め、直後に引退した。[17]
就任1年目にカンファレンスリーグ決勝へ導き、2022-23シーズンにリーグ優勝、2023-24シーズンにKNVBカップ優勝。上田綺世を指導した後、リヴァプールの監督に転じた。[18]
現役引退後の2024年4月、デ・カイプのアヤックス戦で退団から約20年を経て送別セレモニーを受けた。ピッチに立った瞬間から鳥肌が立ち、自分を覚えていてくれたファンの歌声と大がかりなコレオに驚いたと振り返った。[30]
— 小野伸二
2023年の入団会見で、ロッテルダムを「とても美しい街」と表現し、クラブが誇るサポーターも印象的だと語った。何度も声をかけてくれて必要とされていると感じたことが加入の決め手だったという。[24]
— 上田綺世
加入発表時、常にタイトルを争う歴史あるクラブだと評価し、デ・カイプのピッチに立ってサポーターに挨拶するのが待ちきれないと話した。ロッテルダムに代表のチームメイト上田綺世がいることにも触れた。[28]
— 渡辺剛
日本だと船橋市(約65.4万人)くらいの規模
アムステルダムに次ぐオランダ第2の都市。ライン川・マース川・スヘルデ川がつくる三角州にあり、市内を流れるニューウェ・マース川が街を南北に分ける。市の中心部は北岸にあり、フェイエノールトの本拠地は南岸の地区にある。ロッテルダム港は欧州最大の港として知られ、かつては世界最大でもあった。
1940年5月14日のドイツ空軍の爆撃で中心部はほぼ壊滅した。戦後の再建で、1953年には欧州初の歩行者専用ショッピング街ラインバーンが誕生。以降も白い斜張橋エラスムス橋(1996年)、住居を抱えるアーチ型の屋内市場マルクトハル(2014年)、ピート・ブロムの「キューブハウス」など、現代建築が並ぶ街として知られる。
エラスムス大学ロッテルダムを抱え、住民の半数以上が少なくとも一方の親を国外に持つ多文化都市でもある。アムステルダムとの対抗意識は根強く、「アムステルダムが夢見る間に、ロッテルダムは働く」という言い回しがある。
正式名称はスタディオン・フェイエノールト。「デ・カイプ」はオランダ語で「たらい・桶」を意味する愛称だ。建築家ブリンクマンとファン・デル・フルフトの設計で1935年から建設され、1937年3月27日のベールスホット戦でこけら落としを迎えた。ガラス・コンクリート・鉄骨で造られ、柱で視界を遮らない2層のスタンドが特徴。1994年に全席座席化と全席の屋根掛けが行われた。
欧州カップ戦の決勝を最多の10回開催してきた舞台で、2002年のUEFAカップ決勝ではフェイエノールト自身がここで優勝。EURO2000の決勝(フランスがイタリアに延長戦で勝利)や2023年のUEFAネーションズリーグ決勝も行われた。新スタジアム建設や大規模改修の計画もあったが、クラブは2022年4月にいずれも断念した。
1937年まではクロメ・ザントウェフのグラウンドを本拠地としていた。
ロッテルダムのスポーツ施設ファルケノールトを拠点とする育成組織。2010年夏にフェイエノールトとエクセルシオールの下部組織を統合して正式に発足し(エクセルシオールとの提携は2015年7月に終了)、2010年から2014年まで5年連続でオランダ最優秀アカデミーに贈られるリヌス・ミケルス賞を受賞した。
2014年のブラジルW杯では、どのアカデミーよりも多い11人の出身者がプレーした。ファン・ペルシのように、フェイエノールトでデビューして欧州のビッグクラブへ羽ばたいた選手が多い。
主な出身選手: ロビン・ファン・ペルシ、ジョヴァンニ・ファン・ブロンクホルスト、ステファン・デ・フライ、ヨルディ・クラシー、ジョシュア・ザークツィー
サポーターは「ヘット・レヒウン(軍団)」と呼ばれる。その起源は、1963年の欧州チャンピオンズカップ準決勝ベンフィカ戦に1,513人が船でリスボンへ渡った出来事とされ、公式サポーター組織も同じ名前を持つ。1931年創設の最古のサポーター団体FSVデ・フェイエノールデルは、スタンドのコレオグラフィーを手がけている。
全国に支持者を持つ「民衆のクラブ」で、1999年のリーグ優勝ではロッテルダムで約25万人が祝ったという。2024年4月のアヤックス戦では、満員のデ・カイプが約20年前に退団した小野伸二のために送別のコレオと歌声を贈り、レジェンドの記憶が世代を超えて受け継がれていることを示した。
日本からはKLMオランダ航空が成田・関西からアムステルダム・スキポール空港への直行便を運航している。スキポール空港からロッテルダム中央駅までは特急インターシティ・ダイレクトで約25分(要追加料金)。
ロッテルダム中央駅からはベーフェルワールト方面の路面電車で「Stadion Feijenoord」停留所へ。停留所はスタジアムの目の前で、試合日は臨時の系統も走る。試合日には有効な観戦チケットを見せればキックオフの3時間前から試合終了の3時間後まで路面電車が無料になる。鉄道のロッテルダム・スタディオン駅は試合日などにだけ普通列車(スプリンター)が停車し、毎日使えるロッテルダム・ザウド駅やロンバルダイエン駅からは徒歩約15分。
チケットは公式のフェイエノールト・チケットショップで買う(無料の「My Feyenoord」アカウントが必要)。公式サポーター組織ヘット・レヒウンの有料会員などに先行販売があり、残った席が一般販売に回る。売り切れた試合では公式の再販サービスも使える。販売方法は変わることがあるので、最新情報はクラブ公式サイトで確認したい。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。