Unión Deportiva Las Palmas, S.A.D.
スタジアム南側の広場から見たエスタディオ・デ・グラン・カナリア。右手はバスケットボール用のグラン・カナリア・アリーナ(2022年)
旧市街ベゲタに建つサンタ・アナ大聖堂の正面(2012年撮影)
サンタ・アナ大聖堂の上から見た旧市街ベゲタのサンタ・アナ広場。奥の斜面に色とりどりの家並みが続く(2016年)
写真: Josef Gradinger(2022年)・CC0・Commons / Victor R. Ruiz from Arinaga, Canary Islands, Spain(2012年)・CC BY-SA 2.0・Commons / CARLOS TEIXIDOR CADENAS(2016年)・CC BY-SA 4.0・Commons(いずれもトリミング加工)
大西洋に浮かぶスペイン領カナリア諸島、グラン・カナリア島の州都ラス・パルマスを本拠とするクラブ。1949年に島の5クラブが合併して生まれ、1968-69シーズンにはラ・リーガ準優勝を果たした。2026年1月にヴィッセル神戸から宮代大聖が期限付きで加入し、同年6月に完全移籍。2007-08シーズンの福田健二以来、クラブ2人目の日本人選手となった。
📅 クラブ紹介(歴史・街・スタジアムなど)は2026年11月5日時点の情報です(出典37件)。試合・順位・今季成績は毎日自動で更新しています。
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
1949年8月22日、ラス・パルマスにあったレアル・クルブ・ビクトリア、マリノFC、CDグラン・カナリア、アトレティコ・クルブ、アレナス・クルブの5クラブが合併して誕生した。合併には当初、乗り気でなかったクラブもあったという。誕生からわずか2年で1部まで駆け上がり、創設から2季連続で昇格して1部に到達した唯一のスペインのクラブとされる。
黄金期は1960年代から70年代。1964-65シーズンに1部へ復帰すると19シーズン連続で1部にとどまり、1967-68シーズンに3位、1968-69シーズンにはレアル・マドリードに次ぐ2位とクラブ史上最高の成績を残した。この頃のチームを支えたのは、ジェルマン・デボラやトノノといった島出身の選手たちで、1960〜70年代にはクラブから7人がスペイン代表に選ばれている。1970年代にはアルゼンチンからGKカルネバリ、FWモレテ、ブリンディシらが加わり、1978年には国王杯の決勝に進んだ(バルセロナに1-3で敗戦)。欧州の舞台にも3度立ち、1977-78シーズンのUEFAカップではイプスウィッチ・タウンと対戦した。
1982-83シーズンに降格してからは長い低迷期に入る。1992年には多額の負債を抱えて3部相当のセグンダBまで落ち、2000年に1部へ戻ったものの、2004年に再びセグンダBへ降格して会社更生手続きに入った。手続きが終わったのは2015年6月。同じ2014-15シーズンには、地元出身のフアン・カルロス・バレロンやジョナタン・ビエラを擁して昇格プレーオフでサラゴサを破り、13年ぶりに1部へ復帰した。
その後は昇降格を繰り返している。2017-18シーズンに降格し、2022年1月にバルセロナの育成畑出身のガルシア・ピミエンタ監督が就任すると、2022-23シーズンに2位で昇格し、降格から5シーズンで1部へ戻った。2023-24シーズンは16位で残留したが、2024-25シーズンは19位で2部へ降格した。2部1年目の2025-26シーズンはルイス・ガルシア監督のもとで5位に入ったものの、昇格プレーオフ準決勝でマラガに敗れた(1戦目0-1、2戦目1-1)。
2026-27シーズンはルベン・デ・ラ・バレラ監督でスタートしたが、2部の第9節までに3勝2分け4敗と振るわず、クラブは2026年10月12日に退任を発表。セカンドチームのフアン・マヌエル・ロドリゲス監督の暫定指揮を経て、10月29日にバルセロナのセカンドチーム(バルサ・アトレティック)などを率いたアルベルト・サンチェス監督が就任した。そのなかで宮代大聖は開幕から結果を残し、2026年8月のラ・リーガ2部月間最優秀選手に選ばれている。
エンブレム青い盾の中央にラス・パルマス市の紋章を置き、その下に1949年に合併した5クラブのエンブレムを並べた意匠。上部の王冠は、合併に加わったレアル・クルブ・ビクトリアが持っていた「レアル(王室の)」の称号を受け継いだもので、クラブ自体はレアルを名乗っていない。デザインはシモン・ドレステによる。黄色と青のクラブカラーはグラン・カナリア島の旗の色に由来する。
愛称: ラ・ウニオン・デポルティーバ(La Unión Deportiva) / ロス・アマリージョス(Los Amarillos、「黄色い軍団」) / ピオ・ピオ(Pío Pío、カナリアの鳴き声)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | ラ・リーガ2部 | 4 | シーズン途中の2022年1月にガルシア・ピミエンタ監督が就任。昇格プレーオフ準決勝でテネリフェとの「カナリア・ダービー」に敗れる[1][4][6] |
| 2022-23 | ラ・リーガ2部 | 2 | 2位で自動昇格し、2018年の降格から5シーズンで1部復帰[1][2][6] |
| 2023-24 | ラ・リーガ | 16 | 1部残留。ガルシア・ピミエンタ監督はシーズン終了とともに退任[1][6] |
| 2024-25 | ラ・リーガ | 19 | 2024年10月にルイス・カリオン監督からディエゴ・マルティネス監督に交代したが、2部降格[1][5] |
| 2025-26 | ラ・リーガ2部 | 5 | ルイス・ガルシア監督。1月に宮代大聖が加入。昇格プレーオフ準決勝でマラガに合計1-2で敗れる[1][7][10][11] |
ラス・パルマス生まれで、16シーズンをトップチームで過ごした。1968-69シーズンのリーグ準優勝の中心選手で、クラブ歴代最多得点者。引退後は監督や強化担当も務め、2011年から名誉会長。[1][29]
グラン・カナリア島アルーカス出身のスイーパー。クラブ一筋でプレーし、カナリア諸島出身者として初めてスペイン代表に選ばれた(22試合)。1975年、31歳の若さで病に倒れ、葬儀には1万5千人以上が参列した。[30]
テネリフェ島出身。選手としてレアル・マドリードで活躍した後、ラス・パルマスの監督を何度も務め、1968-69シーズンにクラブ史上最高のリーグ2位に導いた。のちにレアル・マドリードを率いてリーグ優勝3回、UEFAカップ連覇。[1][31]
1970年代にやってきたアルゼンチン勢の一人。1974年W杯でアルゼンチン代表の正GKを務めた実力者で、ラス・パルマスではリーグ戦194試合に出場し、1978年の国王杯準優勝を経験した。[2][32]
グラン・カナリア島アルギネギン出身の司令塔。セカンドチームを経てトップチームでプレーした後、デポルティボで2001-02シーズンの国王杯などを制し、2013年に地元へ復帰。2015年の13年ぶりの1部昇格に貢献して2016年に引退した。スペイン代表46試合。[33]
ラス・パルマス生まれの攻撃的MF。4度にわたってクラブでプレーし、2015年と2023年の2度の1部昇格を経験した。2017年にはスペイン代表にも選ばれている。[34]
隣のテネリフェ島出身。2018年にラス・パルマスの下部組織に入り、2019年8月に16歳でプロデビュー。クラブ最年少得点記録を作り、翌年バルセロナへ移籍。2021年にゴールデンボーイ賞とコパ・トロフィーを受賞した。[35]
日本だと大阪府吹田市(約39万人)くらいの規模
カナリア諸島は、アフリカ大陸の北西岸から約100キロ沖の大西洋に浮かぶ7つの主要な島からなるスペイン領。ラス・パルマスはグラン・カナリア島(人口約87万人)の北東端にある港町で、カナリア諸島で最も人口の多い都市だ。テネリフェ島のサンタ・クルス・デ・テネリフェと並ぶカナリア諸島の州都でもある。時間帯は本土より1時間遅い西ヨーロッパ時間を使う。
1478年、スペインによるグラン・カナリア島征服の拠点として、現在の旧市街ベゲタに築かれたのが街の始まり。1492年にはコロンブスがアメリカ大陸へ向かう航海の途中で立ち寄り、船の修理をしたと伝えられ、ゆかりの「コロンブスの家」は博物館になっている。
年間の平均気温は21〜22度ほど。1996年に米シラキュース大学の研究者が「世界で最も気候の良い都市」と評価したことでも知られる。市街の目の前には、天然の岩礁に守られた全長約3キロのラス・カンテラス海岸が広がる。カーニバルはカナリア諸島を代表する祭りだ。
島のクラブであるため、アウェー戦はほぼすべて飛行機での移動になる。2025年12月のセウタ戦では、悪天候で前日の便が欠航し、一部の選手が当日早朝のフェリーで海を渡ってキックオフの数時間前に現地入りした。
グラン・カナリア島政府(カビルド)が所有するスタジアム。2003年5月8日に開場し、こけら落としのアンデルレヒトとの親善試合は2-1でラス・パルマスが勝った。カナリア諸島で最大のスタジアムだ。
開場当初は陸上トラックがあったが、2014年11月から16か月をかけた改修でトラックを撤去し、観客席をピッチに近づけたサッカー専用スタジアムに生まれ変わった。観客動員の記録は2024年1月27日のレアル・マドリード戦の32,037人。スペイン代表の試合も3度開かれている。
2030年W杯(スペイン・ポルトガル・モロッコ共催)の開催会場に選ばれており、2029年夏の完成を目標に、収容人数を4万人以上に増やして屋根を架ける改修が計画されている。
1949年の創設から2003年までは市内シウダー・ハルディン地区のエスタディオ・インスラール(最大収容約22,000人)。現在はスタンドの一部を残した公園になっている。
練習拠点は、2019年7月8日に開設された市内バランコ・セコ地区のシウダー・デポルティーバ(練習場)。セカンドチームのラス・パルマス・アトレティコは1976年に創設された。
島の内外から有望な若手が集まり、セカンドチーム出身のフアン・カルロス・バレロン、2001年にレアル・マドリードから2得点を奪ったルベン・カストロ、隣のテネリフェ島から来たペドリらを1部へ送り出してきた。
主な出身選手: フアン・カルロス・バレロン、ルベン・カストロ、ペドリ
サポーターとクラブのシンボルは「ピオ・ピオ(Pío Pío)」。スペイン語でひよこや小鳥の鳴き声を表す言葉で、テネリフェとのダービーで、ファンのフェルナンド・バンデラさんが相手スタンドの声に「ピオ・ピオ」と90分間言い返し続けたのが始まりとされる。以来、スタンドの掛け声として定着し、クラブのマスコットも黄色と青のユニフォームを着たカナリアの「ピオ・ピオ」だ。
ホームゲームではスタンドが黄色いユニフォームとマフラーで埋まる。宮代大聖もこのサポーターの間で人気の選手になっている。
日本からの直行便はなく、マドリードなど欧州の空港で乗り継いでグラン・カナリア空港へ。空港は島の東海岸にあり、ラス・パルマス市街の南約19キロ。マドリード便はこの空港で最も利用者の多い国内線だ。カナリア諸島は本土より1時間遅い時間帯なので、試合開始時刻の確認に注意したい。
スタジアムへは市営バス(グアグアス・ムニシパレス)が便利で、試合日には市中心部方面からの路線が増便され、港やテアトロのバスターミナルから臨時の「フットボール」便が出ることもある(2022年の例)。
チケットはクラブ公式サイトの「Entradas」で販売される。入場券は記名式で、入場時に身分証明書の提示を求められることがあるため、パスポートを持参したい。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。