Legia Warszawa
スタジアム前の広場に立つ、永久欠番10を背負った名手カジミエシュ・デイナの銅像
ウヤズドフ城の方角から望むスタジアム。市中心部の緑の中に建つ
夕暮れのワルシャワ旧市街広場。戦後に再建された街並みは世界遺産に登録されている
写真: domjisch from Graz, Austria(2017年)・CC BY-SA 2.0・Commons / Wistula(2012年)・CC BY-SA 3.0・Commons / Rhododendrites(2024年)・CC BY-SA 4.0・Commons(いずれもトリミング加工)
ポーランドの首都ワルシャワを本拠とする、国内最多15度のリーグ優勝と21度のポーランド・カップ優勝を誇る名門。第一次世界大戦中にポーランド軍団のチームとして生まれた「軍のクラブ」で、戦後は一度も1部から降格していない。2024年からは森下龍矢がカップ優勝の立役者となり、2026-27シーズンは京都サンガF.C.からレンタル中の福田心之助がプレーしている。
📅 クラブ紹介(歴史・街・スタジアムなど)は2026年11月5日時点の情報です(出典23件)。試合・順位・今季成績は毎日自動で更新しています。
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
ルーツは第一次世界大戦さなかの1916年3月、東部戦線のヴォルィーニ地方コスチュフノフカ村で結成された、ポーランド軍団(当時はオーストリア=ハンガリー側で戦っていた)のサッカーチーム。白地に黒い帯のユニフォームで兵士同士の試合を戦い、同年夏に軍団の撤退とともにワルシャワへ移った。戦後の1920年3月14日に元将校たちが王宮の将校クラブで軍のスポーツクラブ「WKSワルシャワ」を再興し、1922〜23年にワルシャワ最古のクラブ、コロナとの合併を経て「レギア」の名を正式に名乗るようになった。
1927年に創設された全国リーグに初年度から参加し、1930年には現在と同じウワジェンコフスカ通りにスタジアムが完成した。1936年に一度だけ降格を経験したが、第二次世界大戦後の1948年に1部へ戻ってからは一度も降格していない。1949〜57年は「中央陸軍スポーツクラブ(CWKS)」と名乗り、兵役制度を通じて各地の有力選手を集めた。1955年にポーランド・カップとリーグの二冠で初タイトルを獲得し、翌1956年も二冠を達成した。
1960〜70年代はルツィアン・ブリフチやカジミエシュ・デイナを擁して黄金期を迎え、1969年と1970年にリーグ連覇。1969-70シーズンのヨーロピアン・カップ(現チャンピオンズリーグ)ではガラタサライなどを破って準決勝まで進み、フェイエノールトに敗れた。1990-91シーズンにはカップウィナーズ・カップでサンプドリアを破って準決勝に進出(マンチェスター・ユナイテッドに敗退)、1995-96シーズンにはチャンピオンズリーグでベスト8に入った。
1990年代以降は民間の出資者を迎え、メディア企業ITIグループの所有を経て、2017年からはダリウシュ・ミオドゥスキ会長が単独オーナーを務める。2008〜2011年にはスタジアムが全面改築された。2010年代にはリーグ優勝を重ね、2016-17シーズンにはレアル・マドリード、ドルトムントと同組でチャンピオンズリーグのグループステージを戦った。2020-21シーズンの優勝で国内最多の通算15回目のリーグ制覇を果たした。
近年はカンファレンスリーグで存在感を示し、2024-25シーズンにはクラブとして1990-91シーズン以来となる春の欧州カップ戦のノックアウトラウンド突破を果たして準々決勝に進出、のちに優勝するチェルシーに敗れた。同シーズンにはポーランド・カップで通算21回目の優勝。2025-26シーズンは秋に11試合未勝利とクラブのワースト記録を作り、シーズン途中にマレク・パプシュン監督が就任した。
エンブレムエンブレムの中心は、ポーランド軍団の象徴だった白い「L」の文字。現在の紋章は1957年に採用されたもので、伝統的な盾の形を白と赤の帯で二分し、「L」を配している。クラブカラーは赤・白・緑・黒の4色で、白と赤はポーランドと創設者たちの愛国心、緑と白は1920年代に合併したコロナから、黒はポーランド最初のスポーツクラブとされるチャルニ・ルヴフへの敬意に由来する。2000年代にはオーナー側が紋章を変更したこともあったが、サポーターの反発を受け、2010年に1957年版のデザインへ戻された。
愛称: ヴォイスコヴィ(Wojskowi=軍人たち) / レギオニシチ(Legioniści=レギアの兵士たち)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | エクストラクラサ | 10 | ヨーロッパリーグはグループステージ最下位で敗退。ポーランド・カップは準決勝で敗退。シーズン中にミフニェヴィチ監督が退任[1][2] |
| 2022-23 | エクストラクラサ | 2 | ルニャイッチ監督の1年目。ポーランド・カップ決勝でラクフ・チェンストホヴァをPK戦で破り優勝[1][2] |
| 2023-24 | エクストラクラサ | 3 | スーパーカップ優勝。カンファレンスリーグはグループ2位で突破し、決勝トーナメントのプレーオフでモルデに敗退。1月に森下龍矢が加入[1][2][7] |
| 2024-25 | エクストラクラサ | 5 | ポーランド・カップ優勝(決勝でポゴニ・シュチェチンに4-3、森下龍矢が決勝の最優秀選手)。カンファレンスリーグ準々決勝でチェルシーに敗退[1][2][6] |
| 2025-26 | エクストラクラサ | 6 | スーパーカップ優勝。カンファレンスリーグはリーグフェーズ28位で敗退。秋にクラブワーストの11試合未勝利、シーズン途中にパプシュン監督が就任[2] |
公式戦452試合226得点で、出場・得点ともにクラブ歴代最多。1955年の初タイトルから4度のリーグ優勝を経験し、引退後もコーチや監督として長くクラブを支えた。2013年にクラブの名誉会長となった。[2][5][13]
公式戦388試合141得点の司令塔。1972年ミュンヘン五輪金メダル、1974年W杯3位の主将として活躍し、1974年のバロンドール投票3位。背番号10はクラブの永久欠番で、スタジアム前には銅像が立つ。[2][5][14]
1969・1970年のリーグ連覇を支えた左ウイング。公式戦88得点。1975年にナントへ移籍し、当局の正式な許可を得て国外へ移った最初のポーランド人選手になった。[1][5][15]
公式戦404試合に出場した守備の要で、1995-96シーズンのチャンピオンズリーグ8強を経験。1999年のポーランド年間最優秀選手。引退後は監督やスポーツディレクターとしてもクラブに関わった。[5][16]
パルチザンから加入したウイング。公式戦391試合93得点を挙げ、欧州カップ戦18得点はクラブ記録。2014年にポーランド国籍を取得した。[2][5][17]
4度の在籍で公式戦420試合に出場し、出場数はブリフチに次ぐ歴代2位。リーグ優勝6回・カップ優勝7回のクラブ史上最多タイトル保持者で、欧州カップ戦の出場数もクラブ最多。2026年8月に背番号55が永久欠番になった。[2][5][18]
日本だと札幌市(約196万人)とほぼ同じ規模
ポーランド中東部、ヴィスワ川の両岸に広がる首都。1596年に国王ジグムント3世がクラクフから宮廷を移して以来の都で、都市圏人口は約350万人。中欧有数の証券取引所や高層ビル群を抱える経済の中心でもある。
第二次世界大戦ではワルシャワ蜂起ののちに街の約85%が破壊された。戦後に市民の手で再建された旧市街は1980年にユネスコの世界遺産に登録され、旧王宮やジグムント3世の記念柱、旧市街広場の人魚像が街の象徴になっている。
作曲家ショパンゆかりの街としても知られ、夏にはワジェンキ公園のショパン像の前でピアノの野外コンサートが開かれる。市域のおよそ4分の1を公園などの緑地が占める緑の多い首都で、レギアのスタジアムも、ウヤズドフ城に近い市の中心部にある。
正式名称は「ユゼフ・ピウスツキ元帥記念 レギア・ワルシャワ市営スタジアム」で、伝統的に「ポーランド陸軍スタジアム」と呼ばれる。市中心部シルドミェシチェ区のウワジェンコフスカ通り3番地にあり、1930年8月9日の開場以来レギアの本拠地。かつては軍の所有だったが、現在はワルシャワ市が所有している。
2008年11月から2011年にかけて、正面スタンドのファサードの一部を残して全面改築された。2010年8月にアーセナルとの親善試合で再開場し、2011年5月に全スタンドが完成。全席屋根付きのサッカー専用スタジアムで、近くのウヤズドフ城より高くしない制約のもとで設計された。東スタンドにはデイナ、南スタンドには非公式にブリフチの名が付けられ、スタンド内にはクラブ博物館もある。
改築前の旧スタジアム(同じ場所・収容約1万3,600人)は陸上トラックやスピードウェイ(オートバイ競技)のコースを備えていた。
2020年6月、ワルシャワ南西のグロジスク・マゾヴィエツキ郡クシェンジェニツェに完成したクラブの練習拠点。トップチームとセカンドチーム、U-18からU-15までのユース各年代が使い、天然芝6面・人工芝2面のピッチのほか、ホテル部門と13〜18歳の選手のための寮を備える。
U-19(U-18)年代のポーランド選手権では、2024〜2026年の3連覇を含めて通算8回の優勝を誇る。
ワルシャワとその周辺のマゾフシェ地方を中心に全国にファンを持ち、国内でも屈指の熱心さで知られるサポーターはアウェーや欧州の試合にもほぼ必ず駆けつける。組織的な応援の始まりは1970年のフェイエノールト戦で、オランダのファンの応援スタイルに触発されたという。
最も熱心なサポーターが陣取るのは、ゴール裏の北スタンド「ジレタ(Żyleta=かみそりの刃)」。1970年代に旧スタンドに掲げられていたかみそりの刃の広告看板が名前の由来。2004年からは試合前にチェスワフ・ニェメンの楽曲「ワルシャワの夢(Sen o Warszawie)」を歌うのが伝統になっている。ワルシャワ蜂起の記念日など、ポーランドの歴史に関わる行事にも積極的に参加する。
日本からは、LOTポーランド航空が2016年に開設した成田〜ワルシャワの直行便がある(開設時の時刻表で所要約11時間半)。運航日や便数は季節で変わるので、最新の時刻表は航空会社で確認したい。到着するのはワルシャワ最大の国際空港、ワルシャワ・ショパン空港。
スタジアムは市中心部シルドミェシチェ区のウワジェンコフスカ通り3番地にある。
チケットはクラブ公式の販売サイトや窓口で、試合のおよそ10日前から販売される。購入には法律に基づく個人情報の登録が必要で、入場時には写真付きの身分証明書の提示が求められる。外国人の登録方法など詳細は、事前にクラブの公式サイトで確認しておきたい。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。