Koninklijke Patro Eisden Maasmechelen
ベルギー東部リンブルフ州、オランダ国境を流れるマース川沿いの炭鉱町マースメヘレンのクラブ。炭鉱町アイスデンの教会の青少年活動から生まれ、愛称は炭鉱夫を意味する「コンペルス」。アマチュア4部から2度の昇格で2部チャレンジャー・プロ・リーグまで駆け上がり、1部昇格を狙う2026-27シーズンは笠柳翼と高岡伶颯の日本人2人がプレーしている。
📅 クラブ紹介(歴史・街・スタジアムなど)は2026年11月5日時点の情報です(出典38件)。試合・順位・今季成績は毎日自動で更新しています。
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
クラブの起こりは、炭鉱で栄えたアイスデンの教区で助任司祭が始めた青少年活動(パトロナート)のサッカーチーム。オランダ語版Wikipediaは1938年の創設とし、ベルギーサッカー協会への加盟は1942年7月10日(登録番号3434)。クラブ自身は1942年を創設年としている。役員は教区と炭鉱の経営陣から出ており、最初の本拠地も炭鉱の元所長が持つ土地に造られた。州リーグから昇格を重ね、創設から10年足らずで全国3部まで上がった。
1956年に初めて2部へ昇格すると、1960年にはKVメヘレンの本拠地で行われたセルクル・ブルッヘとの決定戦に2-1で勝ち、1部昇格を果たした。1960-61シーズンにはスタンダール・リエージュ戦に9,000人が詰めかける観客動員記録も生まれたが、1部は1シーズンで終わった。その後は2部と3部を行き来し、1988年にはレオ・カンジェルス監督のもと2部3位で昇格プレーオフに進んだ(優勝はリールセ)。1992年に3部へ降格し、1994年にレイ・クレイステルス監督のもとで2部に戻ったが、近隣のレーシング・ヘンク(現KRCヘンク)の台頭もあって観客は以前ほど戻らなかった。
1998年には地域全体のクラブを目指して「マースラント・マースメヘレン」に改称し、2001年に「パトロ・マースメヘレン」、2005年から現在の名称になった。2002年には現在の本拠地へ移転。2005年には2部で降格圏に終わったうえ運営法人の移行も問題となり、勝ち点マイナス9からの4部再出発を余儀なくされた。2011年に4部で優勝し、2014年には2部へ復帰したものの、2016年に英国・中国系の投資家のもとで株式会社化した後はアマチュアリーグへ落ちた。
転機は2018年、元ベルギー代表GKのスタイン・スタイネンの監督就任だった。当時アマチュア4部にいたチームは2018-19シーズンに優勝し、2022-23シーズンには最終節でデッセル・スポルトに3-0で勝って3部「1部ナショナル」を制覇。プロの2部チャレンジャー・プロ・リーグへ昇格した。2部では3季続けて1部昇格プレーオフに進み、2024-25シーズンは決勝まで勝ち上がったがセルクル・ブルッヘに敗れた。2024年にはアニス・ハジ・ムサのフェイエノールト移籍でクラブ史上最高額の移籍金を得ている。2026年1月には元ベルギー代表のラジャ・ナインゴランが加入。同年10月にスタイネンはスポーツディレクターに転じ、クラブ・ブルッヘやヘンクを率いたエミリオ・フェレーラが監督に就任した。
愛称: コンペルス(Koempels=炭鉱夫) / 小さなアンデルレヒト(Klein Anderlecht)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | 1部ナショナル(3部) | 6 | [2][11] |
| 2022-23 | 1部ナショナル(3部) | 1 | 最終節でデッセル・スポルトに3-0で勝って優勝し、2部チャレンジャー・プロ・リーグへ昇格[1][2][12] |
| 2023-24 | チャレンジャー・プロ・リーグ(2部) | 6 | 昇格1年目で1部昇格プレーオフに進出。準々決勝でデインズに敗退[2][13] |
| 2024-25 | チャレンジャー・プロ・リーグ(2部) | 5 | 1部昇格プレーオフで決勝に進出したが、セルクル・ブルッヘに2戦合計2-8で敗れ昇格を逃す[2][14] |
| 2025-26 | チャレンジャー・プロ・リーグ(2部) | 6 | 1月にナインゴランが加入。1部昇格プレーオフは準々決勝でベールスホットに延長の末、2戦合計3-4で敗退[2][15][28] |
NACブレダのストライカーとしてエールディヴィジ得点王に2度輝き、監督としてはクラブ・ブルッヘをリーグ優勝に導いた。パトロは2度指揮し、2度目の1987-88シーズンには2部3位で昇格プレーオフへ進んだ。[3][23]
1986年W杯で3得点を挙げてベルギーの4位に貢献し、トッテナムでもプレーしたストライカー。キャリア初期にパトロでプレーし、2005年からは監督として4部からの再出発を率いた。[2][22]
ベルギー代表40試合出場、KVメヘレンでカップウィナーズカップ優勝を経験した名DF。若手時代をパトロで過ごし、引退後は監督として1994年の2部復帰を果たした。[3][21]
クラブ・ブルッヘの守護神としてベルギー代表30試合に出場した元GK。監督としてアマチュア4部から2度の昇格でチームをプロの2部へ引き上げ、3季連続で1部昇格プレーオフに導いた。2026年10月からスポーツディレクター。[8][24]
スタイネン監督と同じ2018年に加入し、4部から2部への昇格をすべて経験した主将。2026年4月時点でリーグ戦180試合に出場している。[1][25]
2部昇格1年目に加入したウイング。1シーズンでフェイエノールトへの移籍が決まり、クラブ史上最高額の移籍金をもたらした。のちにアルジェリア代表入り。[2][26]
ローマやインテルで活躍し、EURO2016でベルギー代表として2得点を挙げたMF。2026年1月にロケレン=テムセから加入し、デビュー戦のKVコルトレイク戦で勝利に貢献した。[27][28]
ベルギー東端、オランダとの国境を流れるマース川(ミューズ川)の左岸に広がる町。対岸はオランダのリンブルフ州で、西側はケンペン台地の森へと続く。マースメヘレンやアイスデンなど9つの地区からなり、2023年に人口4万人を超えた。
町の性格を決めたのは石炭だ。アイスデン炭鉱は1920年代に採炭を始め、1955年には7,340人が働いた。ケンペン炭田の7つの炭鉱の中で最も多く外国人労働者を抱え、イタリアをはじめヨーロッパ各地から人が集まった。炭鉱住宅が並ぶ「シテ(田園住宅地)」が今も残り、1軒は炭鉱住宅の博物館になっている。
炭鉱は1987年12月に閉山。跡地には2001年にアウトレットモール「マースメヘレン・ヴィレッジ」が開業し、年間250万人以上が訪れる。周辺は「テルヒルス」として再開発され、ボタ山や巻き上げ櫓が残る一帯はホーヘ・ケンペン国立公園の玄関口にもなっている。シクロクロスのワールドカップも開かれる町だ。
炭鉱住宅地(シテ)のすぐ近くにある市営スタジアムで、正式には「ヘメーンテライク・スポルトパークスタディオン」。2002-03シーズンからパトロの本拠地になり、地元では「ヘット・パトロナート」とも呼ばれる。クラブは収容8,100人の「居心地のいい昔ながらの聖地」と紹介している。
高速道路E314のマースメヘレン出口から車で約10分。アウトレットのマースメヘレン・ヴィレッジとも近く、スタジアム周辺には駐車場が多い。
1942年から2002年まで使ったアイスデンの田園住宅地(カスタニェラーン)のスタジアム。1960-61シーズンのスタンダール戦では9,000人の観客記録が生まれた。
チームとサポーターの呼び名は、地元の言葉で炭鉱夫を意味する「コンペル」。クラブカラーは紫と白で、同じ配色のアンデルレヒトにちなんで「小さなアンデルレヒト」とも呼ばれる。
かつての炭鉱町のクラブらしく地元密着で、2026-27シーズンには12〜21歳の若者が年齢と同じ金額(12歳なら12ユーロ)で年間チケットを買える「コンペルス・ネクストジェン」を売り出した。1990年代には近くのレーシング・ヘンクの台頭で観客の一部を奪われた歴史もある。
日本からはブリュッセルが玄関口。ブリュッセルからはルーヴェン、ハッセルト経由のIC列車(IC-03)で終点のヘンク駅へ向かう。ヘンク駅からは路線バス45番(マースエイク行き)で約29分、「Eisden Patro」停留所で降りればスタジアムに着く。
チケットはクラブ公式のチケットサイト(tickets.patroeisden.com)で買える。ベルギーの法律により、チケットは1枚ずつ観戦者本人の名義で、確認済みのアカウントにひも付ける必要がある(確認にはベルギーの電子ID「itsme」を使う)。ホームゲームの当日券売り場はキックオフ2時間前に開くが、座席は指定できない。最新情報はクラブ公式サイトで確認したい。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。