Fudbalski klub Radnik Surdulica(Фудбалски клуб Радник Сурдулица)
セルビア南東部、人口1万人に満たない山あいの町スルドゥリツァのクラブ。1926年創設で、2026年に創設100年を迎えた。2015年に初めて1部に昇格した地方の小さなクラブで、2026年7月に加入した大堀亮之介は、確認できる限りクラブで初めての日本人選手だ。
📅 クラブ紹介(歴史・街・スタジアムなど)は2026年11月5日時点の情報です(出典26件)。試合・順位・今季成績は毎日自動で更新しています。
2026-27シーズンのセルビア・スーペルリーガで6位(14チーム中・勝ち点20)順位表 →
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
1926年、町の靴職人グラディミル・アンティッチが初めてサッカーボールをスルドゥリツァに持ち込んだことをきっかけに、「スルドゥリツァ・スポーツクラブ(SSK)」として創設された。第二次世界大戦中は活動が止まり、1946年に「ポレト」の名で再出発。1950年に「ヒドロヴラシナ」と改称し、同じ年に近隣ベロ・ポリェのクラブと合併して現在の「ラドニク」になった。ラドニクはセルビア語で「労働者」を意味する。
長く地方リーグで戦ってきたが、2008年7月に近郊ヴランスカ・バニャのジェレズニチャルと合併し、その枠を引き継いで3部のセルビア・リーグ東地区に参戦。2012-13シーズンにニシュのシンジェリッチと勝ち点で並んだ末に地区優勝し、2部に昇格した。2部1年目の10位を経て、2014-15シーズンに2部で優勝。2015年、クラブ史上初めて1部のセルビア・スーペルリーガに昇格した。
1部では中位から下位を争いながら9シーズン戦い続けた。2018年5月には本拠地でセルビア・カップ決勝(パルチザン対ムラドスト・ルチャニ)が開かれている。最高成績はスラヴォリュブ・ジョルジェヴィッチ監督が率いた2020-21シーズンの6位で、同じシーズンのセルビア・カップでは準決勝に進み、レッドスター・ベオグラードに1-2で敗れた。この時期には、のちのインドネシア代表ウィタン・スレイマンがセルビアのリーグでプレーした初めてのインドネシア人選手として在籍している。
2023-24シーズンは最下位の16位に終わり、2部へ降格した。それでも2024-25シーズンに2位のヤヴォル・イヴァニツァに勝ち点9差をつけて2部を制し、1年で1部に復帰。復帰1年目の2025-26シーズンは7位と健闘した。
創設100年の2026年7月、アゼルバイジャンのネフチ・バクーから大堀亮之介が加入。2026-27シーズンはホームでレッドスターと0-0、パルチザンと4-4で引き分けるなど本拠地で粘り強く戦い、第12節を終えた10月19日の時点で6位につけている。クラブは育成年代の強化と地域の若手の育成にも力を入れている。
2014年8月にガーナから加入し、2014-15シーズンの2部優勝と初の1部昇格に貢献。1部1年目の2015-16シーズンは30試合7得点を挙げた。のちにトルコやサウジアラビアのクラブでプレーし、2019年にはアフリカ・ネーションズカップに臨むガーナ代表の予備登録メンバーにも選ばれた。[1][14]
1部定着期のゴールを守り、2シーズンでリーグ戦57試合に出場。セルビア生まれで、のちにアルメニア代表としてプレーしている。[1][16]
18歳で加入し、セルビアのリーグでプレーした初めてのインドネシア人選手になった。その後ポーランドのレヒア・グダンスクなどを経て、インドネシア代表として2020年のAFFチャンピオンシップ準優勝を経験している。[1][15]
2020年9月に就任し、2020-21シーズンにクラブ史上最高の6位とセルビア・カップ準決勝進出を達成。ヴォイヴォディナの監督を経て、2022年12月に復帰した。[1][8][17]
チェメルニク山とヴァルデニク山に挟まれた盆地にある小さな町で、ヴルラ川が町なかを流れる。オスマン帝国の支配から解放されたのは1877〜78年で、1886年に町になった。1923年には住民の手で水力発電所が造られ、セルビアで最も早く電気が通った町の一つとされる。
第一次世界大戦中はブルガリア軍の占領下で多くの住民が犠牲になり、町には追悼の納骨堂が建てられている(1943年に破壊され、2009年に再建)。1999年のNATOによる空爆でも被害を受けた。町にはミネラルウォーター「ローザ」の工場があり、ローザはクラブのパートナーにも名を連ねている。
町から約19キロの山道を上ると、標高約1,200メートルのヴラシナ湖がある。1940年代後半にダムで泥炭地を沈めて造られたセルビアで最も高く、最も大きな人造湖で、泥炭の「浮島」が風に流されて湖面を漂う珍しい光景で知られる。2006年から自然保護区に指定され、高地トレーニングの場にもなっている。
1955年に簡素なグラウンドとして開場して以来、ラドニクの本拠地になっている。1987年に南側のメインスタンドが建てられ、2部に昇格した2013年にもスタンドを増設。初の1部昇格を決めた2015年夏には東・北・西のスタンドと照明塔が整備され、全席椅子席の3,312人収容になった。メインスタンド裏の壁には壁画が描かれている。
収容人数は1部でも最小規模だが、2018年5月にはセルビア・カップ決勝の会場に選ばれ、満員の観衆の前でパルチザンがムラドスト・ルチャニを2-1で破った。2018-19シーズンには、本拠地に問題を抱えた近隣ヴラニェのディナモ・ヴラニェがホームゲームの大半をここで開催した。現在は命名権により別の名称で呼ばれている。
町の人口が1万人に満たない小さなクラブで、レッドスター・ベオグラードやパルチザンのような大クラブを迎える試合は町の大きな行事になる。2026-27シーズンもホームでレッドスター、パルチザンを相手に負けず、クラブ公式サイトは本拠地を「いまだ落ちない」と表現した。
同じセルビア南部のラドニチュキ・ニシュとの対戦は、クラブ公式サイトで「隣人どうしのダービー」と呼ばれている。2026年10月のホームでの一戦は3-0で勝った。
日本からセルビアへの直行便はなく、欧州や中東の空港で乗り継いで首都ベオグラードか南部のニシュに入る。ニシュのコンスタンティヌス大帝空港は市中心部の北西約4キロにあり、エア・セルビアがイスタンブールやウィーンなどと結んでいる。
スルドゥリツァは、ニシュと北マケドニアのスコピエを結ぶ高速道路から東へ約10キロの位置にある。スタジアムの所在地はヴァセ・スマイェヴィチャ通り(Vase Smajevića bb)。クラブ公式サイトにはチケット販売の案内が見当たらないため、試合日程は公式サイトの「Utakmice(試合)」で確認し、販売方法は現地で確かめたい。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。