Real Sociedad de Fútbol, S.A.D.
スペイン北部バスク地方、ビスケー湾に面した美食の街サン・セバスティアン(バスク語でドノスティア)を本拠とするクラブ。1980年代初頭にリーグ2連覇を果たし、自前のアカデミー「スビエタ」で育てた地元選手を軸に戦う伝統を今も守っている。2022年から久保建英がプレーし、2026年4月の国王杯優勝メンバーにも名を連ねた。2025年にはセンターバックの喜多壱也も加わった。
📅 クラブ紹介(歴史・街・スタジアムなど)は2026年11月5日時点の情報です(出典39件)。試合・順位・今季成績は毎日自動で更新しています。
2026-27シーズンのラ・リーガで5位(20チーム中・勝ち点19)順位表 →
セカンドチーム: 喜多 壱也(レアル・ソシエダB)
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
サン・セバスティアンにサッカーを持ち込んだのは、イギリス帰りの人々だった。1904年に街で最初のクラブ「サン・セバスティアン・レクリエーション・クラブ」が生まれ、その流れをくむチームが1909年の国王杯に「クラブ・シクリスタ」の名で出場して優勝。この優勝メンバーが同年9月7日に新クラブを設立した。夏の離宮をこの街に置いていた国王アルフォンソ13世から1910年2月に王室の称号を授かり、「レアル(王立)・ソシエダ」となった。1913年には旧本拠地アトーチャが開場し、1928-29シーズンに始まったリーグ戦(ラ・リーガ)には創設メンバーの10クラブの一つとして参加した。
黄金期はアルベルト・オルマエチェア監督(1978-1985)の時代。1979-80シーズンは32節まで無敗を続けながら終盤に敗れて2位に終わったが、翌1980-81シーズンは最終節のスポルティング・ヒホン戦で終了間際に同点に追いつき、初のリーグ優勝。1981-82シーズンは本拠地アトーチャでアスレティック・ビルバオを2-1で破って連覇を決めた。1982-83シーズンにはヨーロッパ・チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)で準決勝に進出し、1987年には国王杯決勝でアトレティコ・マドリードをPK戦で下している。
長くバスク出身の選手だけでチームを組むことで知られ、1960年代から外国籍選手を起用しない時代が続いた。この方針を転換したのが1989年で、リヴァプールからアイルランド代表FWジョン・アルドリッジを獲得。現在はバスク出身者を中心に、他地域のスペイン人や外国籍選手も加わるチーム構成になっている。1993年に本拠地をアノエタへ移し、2002-03シーズンにはレイナルド・ドゥヌエ監督のもとで首位レアル・マドリードに勝ち点2差の2位に入った。その後は2部降格を経験し、2009-10シーズンに2部優勝で1部へ復帰した。
2018年12月、地元出身でセカンドチームを率いていたイマノル・アルグアシルがトップチームの監督に就任。新型コロナの影響で延期された2019-20シーズンの国王杯決勝は2021年4月3日に無観客で行われ、宿敵アスレティック・ビルバオとの初のバスク・ダービー決勝をミケル・オヤルサバルのPKで制して、1987年以来のタイトルを手にした。2022-23シーズンは4位に入り、翌シーズンのチャンピオンズリーグではグループ首位でラウンド16へ進出。2023-24シーズンにはクラブ史上初めて5季連続の欧州カップ戦出場を決めた。
アルグアシルは2024-25シーズン限りで退任し、後を継いだセルヒオ・フランシスコを経て、2025年12月20日にペレグリーノ・マタラッツォが監督に就任。2026年4月18日、セビーリャのラ・カルトゥーハで行われた国王杯決勝でアトレティコ・マドリードと2-2で120分を終え、PK戦を4-3で制して4度目の国王杯優勝を果たした。この決勝では下部組織出身の選手10人が起用されている。優勝によって2026-27シーズンのヨーロッパリーグ出場権を得た。
エンブレムエンブレムは、王冠の下にサッカーボールを置き、白と青(チュリ・ウルディン)の旗がボールを包むデザイン。サン・セバスティアンの頭文字「SS」も組み込まれている。王冠は国王アルフォンソ13世から受けた王室の称号を表す。王政が倒れた第二共和政期(1931年〜)には王冠を外して城壁形の冠に替え、クラブ名も「ドノスティアFC」に変わった。内戦後に王冠と元の名前が戻り、1947年に現在に近いデザインが固まった。その後も1997年にボールの色を明るくするなど、細部の手直しが続いている。白と青のクラブカラーはサン・セバスティアン市旗の色にちなむ。
愛称: ラ・レアル(La Real) / エレアラ(Erreala/Reala) / チュリ・ウルディン(Txuri-Urdin、バスク語で「白と青」)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | ラ・リーガ | 6 | 国王杯ベスト8。ヨーロッパリーグは決勝トーナメントのプレーオフでRBライプツィヒに敗退[3][9] |
| 2022-23 | ラ・リーガ | 4 | 久保建英の加入1年目。4位でチャンピオンズリーグ出場権を獲得。ヨーロッパリーグはラウンド16でローマに敗退、国王杯ベスト8[3][10][29] |
| 2023-24 | ラ・リーガ | 6 | チャンピオンズリーグはグループ首位で突破し、ラウンド16でパリ・サンジェルマンに敗退。国王杯ベスト4[3][11] |
| 2024-25 | ラ・リーガ | 11 | ヨーロッパリーグはラウンド16で敗退、国王杯ベスト4。アルグアシル監督のラストシーズン[12] |
| 2025-26 | ラ・リーガ | 10 | シーズン途中の2025年12月にマタラッツォ監督が就任。国王杯決勝でアトレティコ・マドリードをPK戦で破り、4度目の優勝[1][8][13] |
選手としても1962年から1974年までプレー。監督としてクラブ唯一のリーグ優勝2回(1980-81・1981-82)とスーペルコパを勝ち取った。[17]
サン・セバスティアン生まれで、プロ生活をすべてこのクラブで過ごした守護神。公式戦551試合はクラブ歴代4位。リーグ連覇の守りを支え、スペイン代表でも主将を務めた。[1][14]
「小悪魔」の異名を持つ左ウイング。公式戦474試合129得点でリーグ連覇と1987年の国王杯優勝に貢献し、1981-82シーズンの優勝を決めたアスレティック戦でも得点した。[1][3][15]
黄金期のエースストライカー。公式戦162得点はクラブ歴代最多で、リーグ戦133得点も数十年にわたってクラブ記録だった。[1][16]
近郊トロサ出身。20歳で主将を任され、2002-03シーズンのリーグ2位の原動力となった後、2004年にリヴァプールへ移籍。2019年から2022年まではセカンドチームの監督を務めた。[18]
サン・セバスティアン生まれ。16歳で下部組織に入り、プロ生活のすべてをこのクラブで過ごした。公式戦530試合以上に出場し、2018年に引退した。[3][21]
14歳のときにクラブのスカウトに見いだされ、フランスからサン・セバスティアンへ渡った。デビューした2009-10シーズンに2部優勝で1部復帰に貢献し、公式戦180試合46得点。2014年にアトレティコ・マドリードへ移籍した。[19]
ギプスコア県エイバル出身の下部組織育ちで、2023年から主将。2021年と2026年の国王杯決勝の両方で得点し、通算得点はサトルステギに次ぐクラブ歴代2位。EURO2024決勝ではスペイン代表の決勝点を決めた。[1][20]
日本だと松江市(約19.2万人)くらいの規模
ビスケー湾に面したギプスコア県の県都で、フランス国境までは約20キロ。街の中心には貝殻のような弧を描くラ・コンチャ湾が広がり、西のイゲルド山と旧市街脇のウルグル山が湾を挟む。かつてはスペイン王室が夏を過ごした避暑地で、現在もスペイン有数の観光都市として知られる。
美食の街としても世界的に有名だ。旧市街のバルにはピンチョス(小皿料理)が並び、人口あたりのミシュラン星付きレストランの数は京都に次ぐ世界2位とされる。仲間で集まって料理を楽しむ「美食倶楽部(チョコ)」の文化があり、料理を学ぶ大学課程を持つバスク・クリナリー・センターもある。
毎年9月には1953年に始まったサン・セバスティアン国際映画祭が開かれ、守護聖人の日の1月20日には、料理人や兵士の衣装をまとった市民が24時間太鼓を打ち鳴らす祭り「タンボラーダ」で街が埋まる。2016年には欧州文化首都に選ばれた。気候は海洋性で夏は涼しく冬も穏やかだが、年間降水量は約1,650ミリと雨が多い。
久保建英の加入後は日本からの旅行者が増え、市の観光局は「久保効果」を挙げて日本語のウェブサイトやガイドを用意した。2020年には日本のファンによる公式ペーニャ(サポーターズクラブ)「レアラ・ニッポン」が誕生し、アジア初の公式ペーニャとなっている。
市の南部、アマラ地区のアノエタ総合スポーツ施設に建つ市営スタジアム。1993年8月13日、レアル・マドリードとの親善試合(2-2)でサッカー場として開場した。当初は陸上トラックに囲まれ、スタンドとピッチの距離が遠いことにファンの不満があった。
2017年から2019年にかけての大改修で陸上トラックを撤去し、ピッチを掘り下げてスタンドを近づけ、新しい屋根と青い外装を備えたサッカー専用スタジアムに生まれ変わった。2019年9月14日のアトレティコ・マドリード戦で再オープンし、約3万6,000人が集まった。収容人数はクラブ公式サイトでも4万〜4万1,000人と表記が分かれるが、おおむね4万人規模。
改修後の2019年からは保険会社レアレとの命名権契約で「レアレ・アレーナ」と呼ばれたが、契約が終わった2025年7月に元の「アノエタ」の名前に戻った。2030年W杯(スペイン・ポルトガル・モロッコ共催)の会場の一つにもなる予定。
1913年から1993年まで80年間本拠地だったアトーチャ(Atotxa)。1913年10月5日にアスレティック・ビルバオ戦で開場し、1981-82シーズンのリーグ優勝もここで決めた。
1980年に開設されたクラブの練習・育成拠点。7面の正規サイズのピッチと、女子チーム専用の新施設「イサン」を含む3棟の建物を備える。セカンドチームのレアル・ソシエダB(愛称サンセ)は敷地内のホセ・ルイス・オルベゴソ・グラウンド(収容2,500人)で試合を行い、近くに競馬場があることから選手は「ポトリーヨス(子馬たち)」と呼ばれる。
リーグ連覇時代のメンバーの多くはサンセ出身だった。サンセは2020-21シーズンに59年ぶりの2部昇格を果たし、2025-26シーズンも2部で戦った。2026年の国王杯決勝ではマタラッツォ監督が下部組織出身の10人を起用しており、地元育ちの選手を軸に戦う伝統は今も生きている。
日本との関係も深めている。2024年1月には東京で、日本の若手選手を継続的に発掘・育成する仕組みを発表。2022年から徳島ヴォルティスに育成面の助言を行い、日本の若手選手をスビエタに招く交流プログラムも実施している。
主な出身選手: ルイス・アルコナダ、シャビ・プリエト、シャビ・アロンソ、アントワーヌ・グリーズマン、ミケル・オヤルサバル、マルティン・スビメンディ
サポーターもチームも、白と青のクラブカラーにちなんでバスク語で「チュリ・ウルディン(白と青)」と呼ばれる。年間シートの会員は3万7,000人を超え。
久保建英はバスク・ダービーでの活躍で一気に地元の人気者になり、2023年1月のホームでのダービーでのゴール後には、サポーターの間で「本当はギプスコア生まれなのでは」と冗談が飛ぶほどだった。日本のファンによる公式ペーニャ「レアラ・ニッポン」もあり、クラブの日本語版Xアカウントのフォロワーは2024年2月時点で9万人を超えていた。
日本からは欧州の主要空港で乗り継いで向かう。最寄りはサン・セバスティアン空港(オンダリビア、中心部から約20キロ)で、路線バスE21で市内と結ばれる。ビルバオ空港(約100キロ)からは市内行きのシャトルバス(PESA)が、フランス側のビアリッツ空港(約40キロ)からもシャトルバスが出ている。マドリードやバルセロナ、パリからは鉄道でも入れる。
スタジアムへは、近郊鉄道エウスコトレン(通称トポ)のE2線「アノエタ」駅がすぐそば。試合日は混雑するため、時間に余裕を持って向かいたい。
チケットはクラブ公式サイトのチケットページ(ticketing.realsociedad.eus)で購入できる。一般向けのチケットは全試合で販売されるが、ネットで売り切れている場合もあるため事前購入が勧められている。当日はアノエタのチケット窓口がキックオフ2時間前に開く。転売サイトや非公式ルートのチケットは入場できない恐れがあるとクラブが注意を呼びかけている。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。