Valencia Club de Fútbol, S.A.D.
旧市街のビルヘン広場。トゥリア川をかたどった噴水の奥に、聖母教会(左)とバレンシア大聖堂(右)が並ぶ
夕暮れの芸術科学都市。手前の水面に映るのがプラネタリウムなどを備えた「レミスフェリック」
写真: Diego Delso(2014年)・CC BY-SA 3.0・Commons / Diliff(2007年)・CC BY-SA 3.0・Commons(いずれもトリミング加工)
スペイン第3の都市バレンシアを本拠とする、1919年創設の名門クラブ。ラ・リーガ優勝6回を誇り、2000年と2001年には2年連続でチャンピオンズリーグ決勝に進み、2004年にはリーグとUEFAカップの2冠を達成した。2026年7月、FC東京から佐藤龍之介が完全移籍で加入し、クラブ史上初めてトップチームに所属する日本人選手となった。
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2026-27シーズンのラ・リーガで19位(20チーム中・勝ち点9)順位表 →
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
1919年3月、市中心部にあったバル「トリノ」で設立の議事録が作られ、「バレンシア・フットボール・クラブ」として誕生した。初代会長はコイントスで決まったと伝えられる。同年12月に開場したアルヒロス・グラウンドを経て、1923年5月20日に現在の本拠地メスタージャが開場。こけら落としは同じ街のレバンテとの親善試合だった。スペイン内戦後の1940年代に一気に強豪へ駆け上がり、点取り屋ムンドを中心とする「電撃の攻撃陣」で1941年の国王杯、1941-42・1943-44・1946-47シーズンのリーグ優勝を勝ち取った。
1960年代は欧州でも結果を残し、UEFAカップの前身にあたるインターシティーズ・フェアーズカップで1961-62年(決勝でバルセロナに勝利)、1962-63年(ディナモ・ザグレブに勝利)と連覇した。1970-71シーズンにはレアル・マドリードのレジェンド、アルフレッド・ディ・ステファノ監督のもとで4度目のリーグ優勝。1970年代後半にはアルゼンチン代表FWマリオ・ケンペスが2年連続でリーグ得点王となり、1979年の国王杯、1979-80シーズンの欧州カップウィナーズカップ(決勝でアーセナルに勝利)、1980年の欧州スーパーカップを手にした。一方で1980年代半ばには財政難に陥り、1985-86シーズンに55年ぶりの2部降格を経験。ディ・ステファノが再び指揮を執り、1年で1部に復帰した。
最も輝いたのは1999年から2004年にかけて。1999年にクラウディオ・ラニエリ監督のもとで19年ぶりのタイトルとなる国王杯を制し、続くスーペルコパも獲得した。チャンピオンズリーグでは1999-2000シーズンに初めて決勝へ進み、パリでレアル・マドリードに0-3で敗戦。エクトル・クーペル監督の2000-01シーズンも決勝に進んだが、ミラノでバイエルン・ミュンヘンにPK戦で敗れ、2年連続の準優勝となった。2001年に就任したラファエル・ベニテス監督は、2001-02シーズンに31年ぶりのリーグ優勝を果たし、2003-04シーズンにはリーグとUEFAカップ(決勝でマルセイユに2-0)の2冠を達成。2004年には欧州スーパーカップでポルトも破った。
その後は巨額の負債に苦しみ、2007年に着工した新スタジアム「ノウ・メスタージャ」の工事は2009年に止まった。2010年にダビド・ビジャとダビド・シルバ、2011年にフアン・マタと主力を次々に売却しながらも、2009-10シーズンから3季連続でリーグ3位を確保している。2014年にシンガポールの実業家ピーター・リムがクラブの株式の過半数を取得。創立100周年を迎えた2019年5月には国王杯決勝でバルセロナを2-1で破り、2008年以来のタイトルを手にした。ただ、その後は監督と強化責任者の交代が続き、主力の売却と成績低迷に対してサポーターのリム体制への抗議が続いている。2022-23シーズンは16位で辛うじて1部に残留した。
2024年12月に就任したカルロス・コルベラン監督のもとで2025-26シーズンは9位まで盛り返し、2026年7月には佐藤龍之介を獲得した。104年の歴史を持つメスタージャは、2026-27シーズンが本拠地として最後のシーズンになる予定で、2025年1月に工事を再開したノウ・メスタージャへの移転を控えている。そのシーズンは開幕から勝てず、クラブは2026年9月13日にコルベラン監督の退任を発表。暫定指揮を経て、9月23日に元メキシコ代表監督のハビエル・アギーレが今季終了までの契約(1年延長オプション付き)で就任した。
エンブレムエンブレムは、上部に黒いコウモリがとまり、その下の盾にバレンシアの旗(セニェラ)の色をあしらったデザイン。盾の上部には青い帯にクラブ名が入り、下部には黄と赤の縦縞を背景にサッカーボールが置かれている。コウモリ(バレンシア語で「ラット・ペナット」)はバレンシア市の紋章にも使われる街の象徴で、1238年にアラゴン王ハイメ1世がバレンシアを攻め落とす際、王の旗にコウモリがとまって吉兆とされた、という伝説などが由来として語られる。コウモリのデザインをめぐっては、バットマンのマークに似ているとしてDCコミックスが欧州の商標登録に異議を申し立てたこともある。
愛称: チェ/ロス・チェ(Ches/Los Che) / ブランキネグロス(Blanquinegros、「白と黒」) / ムルシエラゴス(Murciélagos、「コウモリ」)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | ラ・リーガ | 9 | ボルダラス監督の1年目。国王杯は決勝でベティスと1-1の末、PK戦で敗れて準優勝[1][6] |
| 2022-23 | ラ・リーガ | 16 | ガットゥーゾ監督がシーズン途中で解任され、クラブOBのルベン・バラハが後任に。降格圏と勝ち点2差で残留。国王杯ベスト8[3][6] |
| 2023-24 | ラ・リーガ | 9 | 国王杯ベスト16[6] |
| 2024-25 | ラ・リーガ | 12 | 一時最下位に沈み、2024年12月にバラハ監督が解任されてコルベラン監督が就任。国王杯ベスト8[3][6] |
| 2025-26 | ラ・リーガ | 9 | 前半戦は降格圏をさまよったが、後半に巻き返して2季ぶりの1桁順位。国王杯ベスト8[3][6] |
1940年代の「電撃の攻撃陣」の中心で、3度のリーグ優勝に貢献。リーグ戦と国王杯で計238得点を挙げ、2位以下を大きく離すクラブ歴代最多得点記録を持つ。[7][23]
レアル・マドリードの伝説的ストライカー。監督として3度バレンシアを率い、1970-71シーズンに24年ぶりのリーグ優勝。2部降格直後の1986-87シーズンには1年での1部復帰を果たした。[1][24]
1976-77、1977-78シーズンに2年連続でリーグ得点王。1979-80シーズンのカップウィナーズカップ優勝の立役者で、在籍中の1978年W杯ではアルゼンチン代表として優勝と得点王に輝いた。[1][25]
バレンシア生まれで、下部組織から18歳でトップチームデビュー。15シーズンにわたってプレーし、公式戦556試合出場はクラブ歴代最多。[1][26]
セカンドチームを経て中盤の中心に成長。2000年・2001年のチャンピオンズリーグ決勝進出の原動力となり、2001年の決勝では開始直後にPKで先制点を決めた。[1][27]
バレンシア州ラ・ポブラ・リャルガ出身の守備的MF。10年以上主将を務め、2度のリーグ優勝とUEFAカップ優勝を経験した。公式戦出場は480試合を超え、クラブ歴代3位。[7][28]
就任1年目の2001-02シーズンに31年ぶりのリーグ優勝。2003-04シーズンにはリーグとUEFAカップの2冠を達成し、その後リヴァプールでもチャンピオンズリーグを制した。[1][29]
サラゴサから加入し、リーグ戦166試合108得点。2008年の国王杯優勝に貢献し、2010年にバルセロナへ4,000万ユーロで移籍した。[30]
日本だと堺市(約80万人)くらいの規模
地中海に面したトゥリア川の河口に広がる、マドリード、バルセロナに次ぐスペイン第3の都市。紀元前138年にローマの植民市として築かれた古い街で、1238年にアラゴン王ハイメ1世がイスラム勢力から奪回した。15世紀には地中海交易で栄え、その繁栄を伝える絹の商品取引所「ラ・ロンハ」は1996年にユネスコの世界遺産に登録されている。現在のバレンシア港は欧州・地中海でも有数のコンテナ港だ。
パエリア発祥の地として知られ、周辺はオレンジの産地でもある。毎年3月には街の各地区が巨大な張り子人形を作って最後に燃やす火祭り「ファジャス(ファリャス)」が開かれ、3月15日から19日がその山場。2016年にユネスコの無形文化遺産に登録された。メスタージャの照明設備が初めてお披露目されたのも、1959年の火祭りの期間中だった。
1957年の大洪水をきっかけにトゥリア川は市街地の外へ付け替えられ、旧河床は長い緑地帯「トゥリア庭園」に生まれ変わった。旧河床の一角には、サンティアゴ・カラトラバとフェリックス・キャンデラが設計し、1998年から順次開業した「芸術科学都市」の未来的な建物群が並ぶ。冬は温暖で夏は暑く乾燥し、年間日照時間は約2,700時間。2022年に世界デザイン首都、2024年に欧州グリーン首都に選ばれた。
スエシア通り(スウェーデン通り)に面したスタジアム。1923年5月20日に開場し、名前はイスラム王朝時代(10〜11世紀)に整備された灌漑用水路「メスタージャ水路」に由来する。2020年1月以降、ラ・リーガで最も古いスタジアムとなっている。収容49,430人はバレンシア州で最大。
急傾斜のスタンドで知られ、最上層の傾斜は約34〜35度と、欧州で最も急なスタジアムとされる。観客とピッチが近く、欧州でも屈指の威圧感のある雰囲気と評される。スペイン内戦中には収容所や倉庫として使われ、1957年のトゥリア川の洪水でも大きな被害を受けたが、そのたびに再建された。1969年から1994年までは名会長にちなんで「ルイス・カサノバ」と呼ばれた時期もある。1982年W杯の会場となり、1992年バルセロナ五輪では金メダルを獲ったスペイン代表が決勝以外の試合をここで戦った。
クラブは市内ベニカラップ地区の旧工場跡地に新スタジアム「ノウ・メスタージャ」(収容70,044人)を建設中。2007年に着工したが財政難で2009年に中断し、2025年1月10日に約16年ぶりに工事を再開した。2025年6月には3億2,200万ユーロの資金調達を完了しており、2027年夏の開場を目指している。メスタージャでの公式戦は2026-27シーズンが最後になる予定だ。
1919年12月から1923年まで使った「アルヒロス・グラウンド」(収容約8,000人)。
トップチームと下部組織の拠点は、近郊のパテルナ市の「シウダー・デポルティーバ・デ・パテルナ」。1974年に用地を取得した約18万平方メートルの施設で、13面のピッチ、世界各地から来る若手選手のための寮、リハビリセンターを備える。セカンドチームのバレンシア・メスタージャは、敷地内のエスタディオ・アントニオ・プチャデス(収容3,000人)で試合を行う。
クラブ最多出場のフェルナンド・ゴメスをはじめ、ダビド・シルバ、ラウール・アルビオル、ジョゼ・ガヤ、フェラン・トーレスなど、スペイン代表クラスの選手を数多く送り出してきた。韓国代表のイ・ガンインも下部組織の出身。日本人では、指宿洋史がセカンドチーム、鈴木輪太朗イブラヒームがU-19チームでプレーした。
主な出身選手: フェルナンド・ゴメス、ダビド・シルバ、ラウール・アルビオル、ジョゼ・ガヤ、フェラン・トーレス、イ・ガンイン
選手とサポーターは「チェ(Che)」の愛称で呼ばれる。「チェ」は、バレンシア地方の人々が「ねえ」「おい」といった感覚でよく使う間投詞で、そこからチームが「チェのチーム」と呼ばれるようになった。
近年は、オーナーのピーター・リムと経営陣に対するサポーターの抗議が続いている。2026年9月6日にホームでバルセロナに0-5で大敗した試合では、試合前から抗議活動が行われ、試合後には約2,000人が関係者の出入口を封鎖し、チームバスが警察の護衛を受けて迂回して帰る事態になった。苦しいチームの中で、佐藤龍之介はプレシーズンの初出場でのゴールなどで早くからファンの心をつかみ、チームの希望として期待を集めている。
日本からは欧州の主要空港で乗り継いで、バレンシア空港(マニセス空港)へ。市の西約8キロにあり、地下鉄(メトロバレンシア)3号線・5号線で市中心部まで約15分。マドリードからは高速鉄道で約1時間40分。
メスタージャへは地下鉄5号線・7号線の「アラゴ(Aragó)」駅が最寄り。空港駅と同じ5号線なので、空港から乗り換えなしで向かえる。
チケットはクラブ公式サイト(entradas.valenciacf.com)でオンライン販売される。スタジアムの埋まり具合や試合日までの日数に応じて値段が上がる変動価格制のため、クラブは早めの購入を勧めている。2027年夏に新スタジアムへの移転が予定されており、メスタージャで観戦できるのは2026-27シーズンが最後になる見込み。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。