ボールを奪った瞬間の遠藤航には、独特の推進力があった。
守備の強度だけじゃない。刈り取った後にそのまま前へ、相手の陣形が整う前に加速していく、あの感覚。ピッチの外から見ていても分かる種類の迫力があった。「この選手はひょっとして、モドリッチみたいなところまで行けるんじゃないか」——そう感じた瞬間が、何度かあった。
でも今、Liverpool.comの報道によれば、遠藤は今季わずか12試合の出場にとどまり、「スペアパーツ」という言葉とともに語られている。
その言葉が、少し刺さる。
何が変わったのか、を問うとき、責任の所在を一方に帰するのは簡単すぎる。
リヴァプールという環境は、世界屈指の攻撃タレントが密集する場所だ。サラーがいて、右サイドからゴールへの最短距離が常にそこにある。中盤に求められることは自然と「繋いで消える」「回収して安定させる」方向に絞られていく。遠藤本人も、リヴァプール加入後はシンプルなプレーを心がけていると語ってきた。それは嘘ではないだろう。周りに合わせた適応であり、チームのために役割を削ぎ落とした結果だ。
だが、削ぎ落とした刃は、もう元には戻らない。
プレーの習慣というのは、繰り返しの中で染み込んでいく。「ここで運ばない」「ここで仕掛けない」という選択が積み重なると、その選択肢が引き出しから消えていく。かつてあった推進力は、使わないうちに鈍くなる。それはサボりじゃない。環境が作る変化だ。ただ、変化は変化として残る。
「試合に出られていないのは苦しい。でも最も重要なのは、どんな試合でも準備を整えておくこと」
遠藤のこの言葉は、Star News Korea(英語版)やliverpool.comの報道を通じて伝わってきた。33歳のベテランが、5分でも10分でもピッチに立てば全力を尽くすと言い続けている。それは誠実な言葉だと思う。ただ同時に、その言葉がすでに「5分10分の選手」としての立ち位置を受け入れているように聞こえてしまうのは、穿った見方だろうか。
スロット体制下での出場機会は激減した。クロップが去った後、遠藤を「替えのきかない選手」と見なした指揮官はいなかった。報道が伝える通り、それは遠藤個人の能力の問題というより、戦術的な優先順位の問題でもある。守備強度を基軸に組み立てるチームなら遠藤は輝く。だが攻撃的な中盤に多くの役割を求める体制では、どうしても序列は落ちる。
そこが核心だと思う。
攻撃でも存在感を発揮できる中盤、つまりデュエルで勝ちながら前にも出ていける選手——それを体現し続けていたなら、監督の哲学が変わっても生き残れる。戦術の多様化が進む現代サッカーで、「どの体制でも使われる中盤」になる条件の一つがそこだ。遠藤の現在の特徴は確かに秀でている。ただ、それは特定の監督にとって「最高の補強」である一方、別の監督にとっては「構想外」になりうる。今起きていることは、その両極の振れ幅がそのまま出ているだけだ。
もしも、あの推進力が消えずに残っていたら。
ボールを奪ってからの一歩が、今も脅威であり続けていたなら。
そんな仮定を持ち出すのは、フェアじゃないかもしれない。選手はそれぞれの環境で判断して、チームのために自分を調整していく。それは批判できるものじゃない。ただ、それでも——あの頃の遠藤を知っている人間としては、少し違う未来も見たかった、という気持ちが消えない。
今夏、リヴァプールを去る可能性は高い。ただ、W杯のメンバーには選ばれた。北米の舞台で、日本代表のキャプテンとして立つ。守備の強度という、彼の最も磨かれた武器を携えて。
その場所で、あの推進力がほんの少しでも顔を出すとしたら——それはそれで、見てみたいものだと思っている。
