正直に言う。
チュニジア戦について、対戦国分析として書けるものが、ほとんどない。
スウェーデンに5-1で負け、監督が交代して臨んだ試合。Footmercatoの記事によれば、日本は4点差以上の勝利を挙げた初のアジアの国になったそうだが、相手がこの状態では「日本が強かった」とも「どうだった」とも、なかなか言い切れない。
チュニジア選手のコメントも、試合よりも内部崩壊を物語るものだった。「W杯に一度も一緒にプレーしたことのない選手を集めて来ている」という言葉が、すべてを語っている。
だから今日は、別の話をしたい。
日本対チュニジアのテレビ中継、解説を担当していたのは本田圭佑だった。
結論から言う。おもしろかった。
ただし、普通の意味でおもしろかったわけじゃない。
本田の解説には、独特の「もたつき」がある。
言葉が出てきそうで出てこない。説明しようとして、途中で止まる。「あー、そう、なんか、こういう感じで」みたいな間が挟まる。
それを聞きながら、ああ、これは感性の人だな、と思った。
サッカーを身体で理解している人間は、往々にして言語化が苦手だ。プレーの機微は、言葉より先に体が知っている。「なぜそこにパスを出すのか」「なぜあの瞬間に動き出すのか」、そういう判断は脊髄反射に近い領域にあって、後から言葉にしようとしても、うまく追いつかない。
ピッチに立ったことのある人間なら、分かるはずだ。試合後のロッカーで「さっきのあのプレー、どうしてああしたの?」と聞かれても、「なんとなく、そこしかなかった」としか答えられないことが、ある。
本田は、たぶんそっち側にいる。
ところが、だ。
解説の言葉があやふやなのに、言っていることの中身が、ことごとく正確なのだ。
「このゾーン使えると思う」と言えば、次のプレーでそこが使われる。「この選手、今日なんかいい」と言えば、その選手が直後に決定的な仕事をする。断定ではなく、感触として言っている。でも、当たる。
これは解説者として特殊な能力だと思う。
論理的な解説者は、現象を整理して説明する。「このチームはこういう戦術だから、こういう状況では〇〇が起きやすい」という構造で話す。分かりやすい。勉強になる。でも、「今まさに次のプレーで何が起きるか」を言い当てる能力とは、別物だ。
本田がやっているのは、たぶん後者に近い。理屈ではなく、サッカーを読む目、というやつ。
才能がずば抜けている人間が「なんとなくそう思った」と言う時、その「なんとなく」には、凡人の精緻な分析より多くのものが詰まっていることがある。
本田圭佑という選手が、世界のトップで長年戦ってきた事実は、誰も否定できない。積み上げてきたものの重さが、言葉のもたつきの向こうにある。
本人は、自分が何を見ているか、正確には説明できないかもしれない。でも、確かに見えている。
そういうことだと思う。
チュニジア戦の内容については、グループ突破をかけた次戦で改めて問われるだろう。
でも今日のコラムは、試合より本田の解説の方が印象に残ったという、その事実だけ書いておきたかった。
言語化できないのに、全部当たる。
それはそれで、一種の才能の話だ。
