Verein für Leibesübungen Bochum 1848 Fußballgemeinschaft e. V.
折れ曲がったコンクリートの柱が並ぶ、ルールシュタディオンの入口側の外観
街のシンボル、巻き上げ櫓がそびえるドイツ鉱山博物館
ビスマルク塔から見たボーフム中心部。市庁舎とクリストゥス教会の塔が見える
写真: Sandro Halank, Wikimedia Commons(2022年)・CC BY-SA 4.0・Commons / Jochen Teufel(2008年)・CC BY-SA 3.0・Commons / Frank Vincentz(2012年)・CC BY-SA 3.0・Commons(いずれもトリミング加工)
ドイツ西部、炭鉱と鉄鋼で栄えたルール地方のちょうど真ん中にある街ボーフムのクラブ。1971年から22シーズン続けてブンデスリーガに在籍し、その後は1部と2部を何度も行き来してきた。ホームゲームのキックオフ前には、この街で育ったヘルベルト・グレーネマイヤーの曲「Bochum」が流れる。小野伸二・乾貴士・田坂祐介・浅野拓磨と日本人選手が続けてプレーしてきたクラブで、2026-27シーズンは2部で三好康児が在籍している。
📅 クラブ紹介(歴史・街・スタジアムなど)は2026年11月5日時点の情報です(出典36件)。試合・順位・今季成績は毎日自動で更新しています。
2026-27シーズンの2.ブンデスリーガで11位(18チーム中・勝ち点11)順位表 →
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
クラブ名の「1848」は、前身の一つであるボーフム体操協会(トゥルンフェアアイン)に由来する。1848年7月26日に地元紙が体操クラブの設立を呼びかけ、翌1849年2月18日に協会が発足した。現在のクラブは1938年4月14日、ナチス政権下の統制でこの体操協会とTuSボーフム08、ゲルマニア06の3クラブが合併して生まれたもの。1949年7月29日にサッカー部門が独立したクラブとなった。創設年の1848年は体操協会から引き継いだ公称で、合併による誕生は1938年になる。
1960年代に2部相当のレギオナルリーガ・ヴェストへ上がると、1968年には2部所属ながらDFBポカール決勝に進出(1.FCケルンに1-4で敗戦)。1970・71年とレギオナルリーガを連覇し、1971年に初めてブンデスリーガへ昇格した。そこから1993年まで22シーズン続けて1部に在籍したが、最高順位は1978-79シーズンの8位。主力を売りながら中位と残留争いを行き来する地味な存在だった。1988年にはヘルマン・ゲルラント監督のもとで2度目のポカール決勝に進んだが、アイントラハト・フランクフルトに0-1で敗れた。
1992年夏、ファンは自分たちのチームを「降格しない者たち(Die Unabsteigbaren)」と呼び始めたが、皮肉にも直後の1992-93シーズンに初めて2部へ降格した。ここから昇格と降格を繰り返す時代に入る。1996年に2部優勝で戻ると、クラウス・トップメラー監督のもと1996-97シーズンに5位となり初めてUEFAカップに出場、ラウンド16でアヤックスに敗れた。ペーター・ノイルーラー監督の2003-04シーズンにも5位に入り、2度目のUEFAカップ出場を果たした。降格の翌シーズンにすぐ1部へ戻ったことが5回あり、「最多の即時復帰クラブ」とも言われる。
2010年に降格すると、2部生活は11年に及んだ。2017年にはプロ部門を株式合資会社(GmbH & Co. KGaA)へ分社化。2019年に就任したトーマス・ライス監督のもと、2020-21シーズンに2部優勝を果たして1部へ復帰した。復帰後は2021-22シーズンにホームでバイエルン・ミュンヘンを4-2で破るなど3シーズン残留を続け、2023-24シーズンは入れ替え戦の第1戦をホームで0-3と落としながら、敵地の第2戦で追いついてPK戦で残留を決めた。
2024-25シーズンは敵地でバイエルンに3-2で勝つ金星もあったが、最下位で2部へ降格。2025-26シーズンも開幕から苦しみ、9月に監督とスポーツ部門トップが解任された。後任のウーヴェ・レスラー監督のもとで立て直し、2部9位で残留を決めた。2026-27シーズンも2.ブンデスリーガで戦っている。2024年3月には、日本のジュビロ磐田と提携を結んだ。
愛称: 青と白(Die Blau-Weißen) / 降格しない者たち(Die Unabsteigbaren)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | ブンデスリーガ | 13 | 11年ぶりの1部で残留。ホームでバイエルンに4-2で勝利、DFBポカールは8強。浅野拓磨の加入1年目[1] |
| 2022-23 | ブンデスリーガ | 14 | 開幕6連敗で監督交代。最終節でレヴァークーゼンに3-0で勝ち、浅野拓磨の1得点1アシストで自力残留[1][2] |
| 2023-24 | ブンデスリーガ | 16 | 入れ替え戦でフォルトゥナ・デュッセルドルフに第1戦0-3から追いつき、PK戦の末に残留[1][2] |
| 2024-25 | ブンデスリーガ | 18 | 三好康児の加入1年目。敵地でバイエルンに3-2で勝つも、最下位で2部へ降格[1][2] |
| 2025-26 | 2.ブンデスリーガ | 9 | シーズン途中にウーヴェ・レスラー監督が就任し、第33節で残留を確定。DFBポカールは16強[1][30] |
16シーズンにわたって在籍し、ブンデスリーガ518試合に出場したクラブ記録保持者。1987年、同じクラブでブンデスリーガ500試合に出場した最初の選手になった。愛称は「アタ」。[1][13]
ボーフムの下部組織出身で、選手としてブンデスリーガ204試合に出場。監督としても1988年のDFBポカール決勝に導いた。のちにバイエルンでラームやミュラーらを育てた指導者として知られる。[1][20]
1985-86シーズンに22得点を挙げ、クラブ初のブンデスリーガ得点王に。のちにEURO1996優勝メンバーとなり、2006〜2008年にはボーフムのスポーツ部門トップも務めた。[1][15]
小柄で軽快なプレーから「ツァウバーマウス(魔法のネズミ)」と呼ばれた司令塔。2度の在籍で主将も務め、ボーフム在籍中にドイツ代表にも選ばれた。2010年には暫定監督を務めた。[1][14]
1994年11月に就任。降格を経験したものの1996年に2部優勝で即時復帰させ、翌1996-97シーズンには5位でクラブを初のUEFAカップへ導き、ラウンド16まで勝ち上がった。[1][16]
2003-04シーズン、ホームで911分間無失点を続け、自分の本拠地での最長無失点記録を作った守護神。この年のクラブは5位でUEFAカップ出場権を得た。[1][17]
パナシナイコスからのレンタルで加入した2006-07シーズンに20得点を挙げ、ブンデスリーガ得点王に。クラブから出た3人目の得点王だった。[1][18]
2部時代の2014年に加入し、リーグ戦341試合に出場。2019年から主将を務め、2020-21シーズンの2部優勝と1部復帰を支えた。引退後はクラブのコーチになった。[1][19]
日本だと群馬県高崎市(約36.6万人)くらいの規模
ルール川とエムシャー川にはさまれた、ルール地方の地理的な中心にある街。ノルトライン=ヴェストファーレン州で6番目に大きな都市で、ルール地方の5つの中心都市の一つに数えられる。
もとは小さな田舎町だったが、1840年代に炭鉱の開発が始まると急速に工業都市へ成長した。鋳鋼の技術で知られた製鉄会社「ボーフマー・フェアアイン」が造った重さ15トンの鋼鉄の鐘(1867年のパリ万博に出品)は、今も市庁舎の前に置かれている。最後の炭鉱は1973年に閉山し、1962年から街の雇用を支えたオペルの自動車工場も2014年に閉鎖された。その跡地には物流やITの企業が集まり、街は産業の転換を進めてきた。
1965年に授業を始めたルール大学ボーフムは学生数4万人を超えるドイツ有数の大学。街のシンボルは、ドイツ鉱山博物館の上にそびえる巻き上げ櫓(やぐら)で、地下には見学用の坑道もある。中心部には約60軒の飲食店が集まる「ベルムーダ・ドライエック」があり、1988年からはスタジアムの隣でミュージカル「スターライト・エクスプレス」が上演され続けている。
1984年、この街で育った歌手ヘルベルト・グレーネマイヤーが、当時のボーフムの郵便番号を題名にしたアルバム「4630 Bochum」を発表した。その年のドイツで最も売れたアルバムとなり、冒頭の曲「Bochum」は街とクラブのアンセムとして今も親しまれている。
中央駅から北東へ路面電車で数分、カストロパー通り沿いに建つ。この場所では1911年10月から前身クラブがサッカーをしており、1922年にはドイツ代表とハンガリー代表の試合も開かれた、ドイツのプロサッカーでも屈指の歴史を持つ土地だ。現在のルールシュタディオンは、旧スタジアムを使いながら1970年代に段階的に建て替えられ、1979年7月に全体が完成した。
収容は26,000人(座席14,400・立ち見11,600)で、全席に屋根がある。ピッチとスタンドの距離が近いコンパクトな造りがファンに好まれ、2004年にはファン雑誌の投票でブンデスリーガで最も人気のアウェー遠征先に選ばれた。2006〜2016年は命名権で「rewirpowerSTADION」と呼ばれたが、2016年に地元の住宅会社ヴォノヴィアが命名権を取得し、伝統の「ルールシュタディオン」の名が戻った。
同じ場所にあった旧スタジアム(1921年に約3万人収容で開場、戦後は「カストロパー通りのスタジアム」と呼ばれた)を建て替えたもの。
クラブの育成部門は「タレントヴェルク」と呼ばれ、ドイツ国内で「タレントの工房(Talentschmiede)」として知られている。U-19チームは1969年に第1回のドイツユース選手権を制し、1989年にはユースのDFBポカールも獲得。U-17も1985年にドイツ王者になった。
2026-27シーズンからは、U-21チームによる新リーグ「ブンデスリーガ・タレント・シリーズ」に参加している。ボーフム市内の少年クラブからアカデミーに入り、2012年にトップチームでデビューしたレオン・ゴレツカのように、ここからドイツ代表まで駆け上がった選手もいる。
主な出身選手: ヘルマン・ゲルラント、マルティン・クレー、レオン・ゴレツカ、アルメル・ベラ=コチャプ
会員数は3万3,500人(2026年7月時点)。ホームのサポーターはスタジアム東側の立ち見席「オストクルヴェ」に陣取る。最古の公式ファンクラブ「ボーフマー・ユンゲン」は1972年の結成。1992年からはホームゲームのキックオフ前にグレーネマイヤーの「Bochum」が流れ、スタンド全体で大合唱になるのが恒例だ。グレーネマイヤー本人も2006年からクラブの会員で、会員番号はアルバムと同じ「4630」だという。
1部時代に「リーグのグラウエ・マウス(灰色のネズミ=目立たない存在)」と呼ばれたことを逆手に取り、2007年にはクラブカラーの青いネズミのマスコット「ボビ・ボルツァー」を作った。自虐とユーモアを交えて地元クラブを愛する、ルール地方らしい気風がある。
日本から向かう場合、最寄りの大きな空港はデュッセルドルフ空港。空港内のモノレール「スカイトレイン」で空港駅へ出て、列車でボーフム中央駅へ向かう。近距離の在来線ならVRR(ライン=ルール交通連合)の切符で乗れる(IC/ICEは追加料金がかかる)。
ボーフム中央駅からは路面電車308番・316番に乗り、「Ruhrstadion」停留所まで約3分。ホームゲームのチケットは、VRR圏内の公共交通に無料で乗れる「コンビチケット」を兼ねている。
チケットはクラブ公式のオンラインチケットショップで販売される。人気の試合では会員とシーズンチケット保有者の先行販売があり、ログインしないと表示されない試合もある。公式の再販(Ticket-Zweitmarkt)もあるので、売り切れの試合はそちらを確認したい。販売日程はクラブ公式サイトで告知される。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。