Ballspielverein Borussia 09 e.V. Dortmund
旧市街のライノルディ教会と路面電車の停留所(1990年代後半撮影)
フェニックス公園から望むジグナル・イドゥナ・パルク。黄色い鉄骨の支柱が目印
中央駅前に建つドイツサッカー博物館(左)。開館を目前にした2015年9月に撮影
写真: Brd.de・CC BY-SA 3.0・Commons / Frank Vincentz(2013年)・CC BY-SA 3.0・Commons / Lucas Kaufmann(2015年)・CC BY-SA 4.0・Commons(いずれもトリミング加工)
ドイツ西部ルール地方の中心都市ドルトムントを本拠とする、ドイツリーグ優勝8回の名門。ドイツ最大の8万1,365人収容のスタジアムと、立ち見席だけで2万人を超える南スタンド「黄色い壁」で世界に知られる。2010年にセレッソ大阪から加入した香川真司がリーグ連覇の主役となったクラブで、2026年夏からはガンバ大阪の山本天翔がセカンドチーム(U23)に期限付きで在籍している。
📅 クラブ紹介(歴史・街・スタジアムなど)は2026年11月5日時点の情報です(出典37件)。試合・順位・今季成績は毎日自動で更新しています。
2026-27シーズンのブンデスリーガで2位(18チーム中・勝ち点18)順位表 →
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セカンドチーム: 山本 天翔(ボルシア・ドルトムント II)
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
1909年12月19日、ドルトムント北部の酒場「ツム・ヴィルトシュッツ」で18人がクラブを結成した。メンバーはサッカーに反対する司祭と対立し、カトリック教会(三位一体教区)の青年団から離れた若者たちだった。「ボルシア」はラテン語でプロイセンを意味するが、店の壁にあった地元のボルシア醸造所の広告から取ったとされる。黒と黄のクラブカラーは1913年に認められた。1937年からは「ローテ・エルデ」を本拠地とし、アルフレート・プライスラーらを擁して1956年・1957年にドイツ選手権を連覇、1963年にも優勝した。
1965年にDFBポカールを初制覇すると、翌1966年5月にはグラスゴーのハムデン・パークで行われたカップウィナーズカップ決勝でリヴァプールを延長の末2-1で破り、ドイツのクラブとして初めて欧州カップ戦のタイトルを手にした。しかし1972年にブンデスリーガから降格。1974年にW杯のために建てられたヴェストファーレンシュタディオンへ移り、1976年に1部へ復帰した。1989年にはヴェルダー・ブレーメンを4-1で下して2度目のポカールを獲得している。
1991年に就任したオットマー・ヒッツフェルト監督のもと、1994-95・1995-96シーズンにブンデスリーガを連覇。1997年にはミュンヘンで行われたチャンピオンズリーグ決勝でユヴェントスを3-1で破り欧州王者となり、同年12月には東京でのインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)でクルゼイロを2-0で下して世界一に輝いた。2000年にはドイツのクラブとして初めて株式を上場し、2002年にはマティアス・ザマー監督のもとで6度目のドイツ王者となった。だがその後は財政難に陥り、2004-05シーズンには負債が約9,800万ユーロに膨らんで経営陣が退く危機を迎えた。
再建を託されたのが2008年に就任したユルゲン・クロップ監督だった。若い選手を中心に、ボールを失った瞬間に奪い返しにいく激しいサッカーで、2010-11・2011-12シーズンにリーグを連覇。2012年のポカール決勝ではバイエルンを5-2で破り、クラブ史上初の国内二冠を達成した。この時代の中心にいたのが香川真司だ。2013年にはロンドンのウェンブリーでのチャンピオンズリーグ決勝に進んだが、バイエルンに1-2で敗れた。その後もトーマス・トゥヘル監督の下で2017年、エディン・テルジッチ監督の下で2021年にポカールを制している。
2022-23シーズンは首位で最終節を迎えながら引き分け、得失点差でバイエルンに優勝を譲った。2023-24シーズンはリーグ5位ながらチャンピオンズリーグで勝ち進み、2024年6月のウェンブリーでの決勝でレアル・マドリードに0-2で敗れて準優勝。ヌリ・シャヒン監督の解任を経て、2025年2月にニコ・コヴァチが監督に就任し、2025-26シーズンはリーグ2位に入った。
エンブレムエンブレムは黄色い円を細い黒と黄の輪で縁取り、中に黒で「BVB 09」と記したシンプルなデザイン。「V」を上に、「09」を下にずらして配置している。BVBは正式名称「ボールシュピールフェライン(球技クラブ)・ボルシア」の頭文字、09は創設年の1909年を表す。黒と黄のクラブカラーは1913年に地域の連盟に認められ、以来「シュヴァルツゲルベン(黒と黄)」がクラブの愛称になっている。
愛称: 黒と黄(Die Schwarzgelben) / ボルッセン(Die Borussen) / BVB(ベーファウベー)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | ブンデスリーガ | 2 | マルコ・ローゼ監督の1季。チャンピオンズリーグはグループステージ敗退、ヨーロッパリーグは決勝トーナメントプレーオフで敗退。DFBポカールはベスト16[1][3] |
| 2022-23 | ブンデスリーガ | 2 | 首位で迎えた最終節で引き分け、得失点差でバイエルンに優勝を譲った。チャンピオンズリーグはベスト16[2][3] |
| 2023-24 | ブンデスリーガ | 5 | チャンピオンズリーグ準優勝(決勝でレアル・マドリードに0-2)。DFBポカールはベスト16[3][5] |
| 2024-25 | ブンデスリーガ | 4 | 2025年1月にシャヒン監督を解任し、2月からコヴァチ監督。チャンピオンズリーグはベスト8[1][2][3] |
| 2025-26 | ブンデスリーガ | 2 | 勝点73で2位。チャンピオンズリーグは決勝トーナメントプレーオフで敗退、DFBポカールはベスト16[2][3] |
1956年・1957年のドイツ選手権連覇の主力。リーグ戦168得点はクラブ歴代最多得点として記録されている。[2][24]
1965-66シーズンのカップウィナーズカップで9試合14得点を挙げて得点王となり、初の欧州タイトルに貢献。ブンデスリーガ得点王にも2度輝いた。[4][25]
プロ生活のすべてをドルトムントで過ごし、ブンデスリーガ463試合出場はクラブ最多。長く主将を務め、引退後は2005年から2022年までスポーツディレクターとしてクラブを支えた。[2][26]
1995年・1996年のリーグ連覇と、1997年のチャンピオンズリーグ優勝に導いた名将。[28]
リベロとしてリーグ連覇とチャンピオンズリーグ制覇の中心となり、1996年にバロンドールを受賞。引退後は監督として2002年のリーグ優勝ももたらした。[27]
財政難から立ち直ったクラブを率い、2011年・2012年のリーグ連覇と2012年の国内二冠を達成。香川真司を大きく飛躍させた指揮官でもある。[16][29]
リーグ連覇と二冠に貢献し、2013年のチャンピオンズリーグ準決勝ではレアル・マドリード相手に1試合4得点。2013-14シーズンにはブンデスリーガ得点王となった。[6][30]
ドルトムント生まれで、少年時代をクラブのユースで過ごした地元の英雄。2012年に復帰してから12年間で公式戦429試合170得点を挙げ、2018年から2023年まで主将を務めた。[31]
ジグナル・イドゥナ・パルクについて、ゴール裏だけで2万5,000人が入る雰囲気に、ウォーミングアップで足を踏み入れるたび鳥肌が立ったと回想。街の人々がそのままドルトムントのファンで、「ここが自分たちのホーム」という誇りを持って試合に臨めたと語った。[16]
— 香川真司
セレッソ大阪時代の応援歌がドルトムントでも自分のチャントとして歌われたことを、めったにないことでうれしかったと振り返り、シャルケとのダービーに勝ったあとはファンやメディアからの信頼がより大きくなったと感じたという。[16]
— 香川真司
加入直後、日本を離れるのは初めてで何もかもが新しいと話しつつ、ドルトムントを素晴らしいクラブだと表現。プレシーズンを経て、技術面と戦術面で非常に多くを学んでいると語った。[22][23]
— 山本天翔
日本だと鹿児島市(約57.7万人)よりやや大きい規模
ドイツ西部、かつての工業地帯ルール地方の東部に位置する街。面積・人口ともにルール地方で最大の都市で、ドイツ全体では9番目、州内ではケルン、デュッセルドルフに次ぐ3番目の大都市にあたる。
中世にはハンザ同盟の有力都市として栄え、1293年には醸造権を得たビールの街でもある。19世紀の工業化で石炭・鉄鋼・ビール醸造の一大拠点となったが、1987年に最後の炭鉱が閉山。現在はIT・物流・保険などのサービス業や技術産業の街へと姿を変え、ドルトムント工科大学など6つの大学に約5万3,500人の学生が学んでいる。
中央駅のすぐ南には、ドイツサッカー連盟(DFB)が設立したドイツサッカー博物館が2015年10月に開館した。全国14都市の応募のなかから2009年にドルトムントが選ばれたもので、「サッカーの街」を象徴する観光名所になっている。
1974年の西ドイツW杯に合わせて建設され、1974年4月2日にシャルケとの親善試合でこけら落としを迎えた。当初は約5万4,000人収容で大半が立ち見だったが、1990年代から2003年にかけて段階的に拡張され、2015-16シーズンからは8万1,365人を収容するドイツ最大のサッカー専用スタジアムになっている。2005年12月から保険会社シグナル・イドゥナが命名権を持つ。
象徴は「黄色い壁(ゲルベ・ヴァント)」と呼ばれる南スタンド。1999年の拡張で2万4,454人を収容する、欧州最大の立ち見スタンドになった。国際試合では立ち見席を座席に切り替えるため、収容人数は約6万6,000人に減る。2011-12シーズンには1試合平均8万588人という欧州記録を作った。
2006年のドイツW杯では日本代表がブラジルと対戦(1-4)した会場で、準決勝のドイツ対イタリアもここで行われた。EURO2024でも準決勝(オランダ対イングランド)の舞台になった。
1937年から1974年まで本拠地だったスタディオン・ローテ・エルデ。現スタジアムのすぐ隣にあり、現在はセカンドチーム(U23)が使っている(最大9,999人収容)。
ドルトムント市内ブラッケル地区の練習拠点に置かれた育成アカデミー。U19のドイツ選手権では1994年からの5連覇を含めて9回優勝し、VfBシュトゥットガルト(10回)に次ぐ実績を持つ。U17のドイツ選手権では8回優勝しており、こちらは最多記録となっている。
トップチームに多くの選手を送り出してきたクラブで、地元出身のマルコ・ロイスやマリオ・ゲッツェ、1997年のチャンピオンズリーグ決勝でゴールを決めたラース・リッケンらがここで育った。近年もユスファ・ムココがブンデスリーガとチャンピオンズリーグの最年少出場記録を作っている。
主な出身選手: ラース・リッケン、ヌリ・シャヒン、マルコ・ロイス、マリオ・ゲッツェ、アントニオ・リュディガー、クリスティアン・プリシッチ、ユスファ・ムココ
会員数は24万5,000人(2026年7月時点)で、バイエルンに次ぐドイツ第2の規模のスポーツクラブ。ホームゲームの平均観客数は世界のサッカークラブで最多とされ、試合のたびに南スタンドの「黄色い壁」が黒と黄の旗で埋め尽くされる。
香川真司が在籍した時代から日本との縁も深い。2011年5月には東日本大震災の被災者支援のため「チーム・ジャパン」とのチャリティーマッチを開催。2026年夏には日本ツアーを行い、国立競技場でFC東京と対戦した。
日本からはドイツ国内の主要空港を経由するのが一般的。デュッセルドルフ空港からはRE1・RE6・RE11の快速列車が20〜30分おきに出ており、ドルトムント中央駅まで約50分。欧州内の路線が発着するドルトムント空港からは、エアポートエクスプレスのバスで中央駅まで約25分。
スタジアムへは中央駅から地下鉄U45で「Stadion」駅へ。試合日はキックオフの約3時間前から試合終了90分後まで、最低5分おきに運行される。U42の「Theodor-Fliedner-Heim」駅、U46の「Westfalenhallen」駅も最寄りで、近距離列車が止まる「Dortmund Signal Iduna Park」駅もある。周辺に1万台以上の有料駐車場があるが、駐車券は事前のオンライン購入が必要。シーズンチケットは試合当日の州内公共交通の乗車券を兼ねるが、スマホ等のデジタルチケットは別途、無料の乗車券(DSW21のKombiTicket)をオンラインで取得する必要がある。
チケットはまずクラブ会員向けに販売され、会員以外が買えるかどうかは試合ごとに決まる。完売した試合は公式の「チケット再販市場(Zweitmarkt)」が開き、通常の公式チケットショップで額面に10%の手数料を加えた価格で購入できる。会員限定の試合では再販市場も会員限定となる。最新情報はクラブ公式サイトのチケットページで確認したい。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。