サッカー欧州組 wire
ターフ・ムーアのノーススタンド(当時の名称はジェームズ・ハーグリーヴス・スタンド)。座席に「BURNLEY」「CLARETS」の文字が描かれている(2011年撮影)

ターフ・ムーアのノーススタンド(当時の名称はジェームズ・ハーグリーヴス・スタンド)。座席に「BURNLEY」「CLARETS」の文字が描かれている(2011年撮影)
写真: Adam Haworth(2011年撮影) / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons・トリミング加工

CLUB · CHAMPIONSHIP
バーンリーのエンブレム

バーンリー

エンブレムの権利はバーンリーに帰属します(チームの識別のために表示しています)

バーンリー

Burnley Football Club

📷 ターフ・ムーアのノーススタンド(当時の名称はジェームズ・ハーグリーヴス・スタンド)。座席に「BURNLEY」「CLARETS」の文字が描かれている(2011年撮影)(写真: Adam Haworth・2011年/CC BY 2.0・Wikimedia Commons・トリミング加工)
  • 試合日のクリケット・フィールド・スタンド。屋根の向こうにはテラスハウスが連なるバーンリーの街並みと丘が見える(2022年撮影)

    試合日のクリケット・フィールド・スタンド。屋根の向こうにはテラスハウスが連なるバーンリーの街並みと丘が見える(2022年撮影)
    写真: Colin Smith(2022年撮影) / CC BY-SA 2.0 / Wikimedia Commons・トリミング加工

    試合日のクリケット・フィールド・スタンド。屋根の向こうにはテラスハウスが連なるバーンリーの街並みと丘が見える(2022年撮影)

  • リーズ・アンド・リヴァプール運河沿いに19世紀の紡織工場が残る「ウィーヴァーズ・トライアングル」(2011年撮影)

    リーズ・アンド・リヴァプール運河沿いに19世紀の紡織工場が残る「ウィーヴァーズ・トライアングル」(2011年撮影)
    写真: Robert Wade(2011年撮影) / CC BY-SA 2.0 / Wikimedia Commons・トリミング加工

    リーズ・アンド・リヴァプール運河沿いに19世紀の紡織工場が残る「ウィーヴァーズ・トライアングル」(2011年撮影)

  • バーンリー・マンチェスター・ロード駅から見たターフ・ムーア。住宅街の先にスタジアムがあり、背後には丘陵が広がる(2016年撮影)

    バーンリー・マンチェスター・ロード駅から見たターフ・ムーア。住宅街の先にスタジアムがあり、背後には丘陵が広がる(2016年撮影)
    写真: FHL2(2016年撮影) / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons・トリミング加工

    バーンリー・マンチェスター・ロード駅から見たターフ・ムーア。住宅街の先にスタジアムがあり、背後には丘陵が広がる(2016年撮影)

写真: Colin Smith(2022年)・CC BY-SA 2.0・Commons / Robert Wade(2011年)・CC BY-SA 2.0・Commons / FHL2(2016年)・CC BY-SA 4.0・Commons(いずれもトリミング加工)

創設
1882年
本拠地
バーンリー
スタジアム
ターフ・ムーア
愛称
クラレッツ(The Clarets)

イングランド北西部ランカシャー州、かつて綿織物で栄えた人口約7.8万人の町バーンリーを本拠とするクラブ。フットボールリーグ創設12クラブの一つで、イングランド王者に2度輝き、1部から4部まですべてのプロリーグで優勝した数少ないクラブでもある。2026-27シーズンは2部チャンピオンシップで戦い、2026年9月に旗手怜央がセルティックから加入した。

📅 クラブ紹介(歴史・街・スタジアムなど)は2026年11月5日時点の情報です(出典30件)。試合・順位・今季成績は毎日自動で更新しています。

NOW

🇯🇵 バーンリーの日本人選手の今

2026-27シーズンのチャンピオンシップで22位(24チーム中・勝ち点10)順位表 →

今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。

HISTORY

📜 バーンリーの歴史

1882年5月18日、ラグビーチーム「バーンリー・ローヴァーズ」のメンバーがサッカーへの転向を決めて誕生し、数日後に「ローヴァーズ」を外して現在の名前になった。翌1883年からターフ・ムーアを本拠とし、同年のうちにプロ化。プロ選手を認めないFAに反発して、1884年には35クラブを率いて対抗組織を立ち上げた。1886年にはヴィクター王子が観戦に訪れ、プロのグラウンドを王族が訪れた最初の例になった。1888-89シーズンには、世界初のリーグ戦であるフットボールリーグの創設メンバー12クラブの一つとして参加している。

1910年にクラブカラーを緑から現在のクラレット(赤紫)と青に変更。当時のリーグ王者アストン・ヴィラに倣ったともいわれるが、当時の地元紙は色が似ていると記しただけで、直接の影響ははっきりしない。1914年にはFAカップ決勝でリヴァプールを破って初の主要タイトルを獲得し、主将トミー・ボイルは在位中の国王(ジョージ5世)からトロフィーを受け取った最初の主将になった。1920-21シーズンには開幕3連敗のあとリーグ戦30試合無敗という当時のイングランド記録を作り、初のリーグ優勝を果たした。

第二次世界大戦後、会長ボブ・ロードのもとでクラブは育成とスカウト網で名を上げ、ガウソープに専用の練習場をいち早く整えた。1958年に就任したハリー・ポッツ監督は、主将ジミー・アダムソンと司令塔ジミー・マキロイを軸にしたチームで1959-60シーズンに2度目のリーグ優勝。移籍金を払って獲得したのはわずか2人で、残りは下部組織育ちだった。人口8万人の町からの王者誕生は、イングランドでも最小規模の例とされる。翌シーズンには初めて欧州チャンピオンズカップに出場し、ランスを破ってベスト8に進んだ。

1961年に選手の最高賃金制が撤廃されると、小さな町のクラブは大都市のクラブと資金面で張り合えなくなり、低迷が始まった。1980年に初めて3部へ、1985年には4部へ降格。1986-87シーズンには最終節でオリエントに勝ち、ノンリーグ(プロリーグ圏外)への転落を間一髪で免れた。1991-92シーズンに4部で優勝し、ウルヴァーハンプトンに次いで1部から4部まですべてを制した2番目のクラブになると、2009年にはチャンピオンシップのプレーオフ決勝を制して33年ぶりにトップリーグへ復帰した。

2012年に就任したショーン・ダイシュ監督は、限られた予算で2度のプレミアリーグ昇格を果たし、2017-18シーズンには7位に入って51年ぶりの欧州カップ戦出場権をもたらした。2020年12月に米国の投資会社ALKキャピタルが株式の84%を取得し、地元以外の資本が初めてクラブを握った。その後はヴァンサン・コンパニ監督(2022〜2024年)とスコット・パーカー監督(2024〜2026年)のもとで勝ち点100超での2部突破を2度経験した一方、2021-22・2023-24・2025-26とプレミアリーグからの降格も繰り返している。2026-27シーズンは2部で開幕し、10月にはファビオ・チェレスティーニが新監督に就いた。

バーンリーのエンブレム

バーンリー

エンブレムの権利はバーンリーに帰属します(チームの識別のために表示しています)

エンブレム現在のエンブレムは、バーンリー町の紋章をもとにしている。一番上のコウノトリはこの地域の名家スターキー家を表し、くちばしには中世にバーンリーを治めたド・レイシー家の結び目(レイシー・ノット)をくわえている。コウノトリが立つ丘と綿花は町の綿織物の歴史を、その下の手は名家タウンリー家に由来する町の標語「真実を守れ(Hold to the Truth)」を表す。2匹の蜂は町の勤勉さ、獅子は王室、山形の帯(シェブロン)は町を流れるブルン川を意味する。2009年に1959-60シーズン優勝50周年を記念して復活した図柄で、2023年には要素を白で描いてクラレットの盾に収めたデザインになった。

愛称: クラレッツ(The Clarets)

RECORD

🏆 バーンリーの主なタイトルと近年の戦績

シーズンリーグ順位トピック
2021-22プレミアリーグ184月に約10年指揮したダイシュ監督を解任。最終節で敗れて降格し、6季続いたトップリーグ生活が終わった[1][3][14]
2022-23チャンピオンシップ(2部)1コンパニ監督の1年目。残り7試合で昇格を決め(リーグ記録)、勝ち点101で優勝。FAカップはベスト8[1][3][19]
2023-24プレミアリーグ191シーズンで降格。シーズン後にコンパニ監督がバイエルン・ミュンヘンへ去った[1][3][27]
2024-25チャンピオンシップ(2部)2パーカー監督のもと勝ち点100で自動昇格(得失点差でリーズに及ばず2位)。46試合で失点16はイングランドのリーグ史上最少[1][3]
2025-26プレミアリーグ194勝・勝ち点22はクラブ史上最少で降格。パーカー監督はシーズン終盤の4月30日に退任[1][3][12]
LEGENDS

⭐ バーンリーを象徴する名選手

JAPANESE

🇯🇵 バーンリーの歴代日本人選手

VOICES

💬 日本人選手が語るバーンリーと街

HOMETOWN

🏙️ ホームタウン バーンリー

地域
ランカシャー州(イングランド北西部)
人口
約7.8万人(2021年国勢調査)

日本だと愛知県蒲郡市(約8.0万人、2020年国勢調査)くらいの規模

マンチェスターの北約34キロ、カルダー川とブルン川が合流する谷あいの町。町の名前は「ブルン川のほとりの牧草地」に由来するとされる。北西には「ペンドルの魔女」伝説で知られるペンドル・ヒル(標高557メートル)がそびえ、東はペナイン山脈の荒野へと続く。

産業革命期にはランカシャー屈指の工場町となり、1866年には綿織物の生産量で世界一になった。1796年に開通したリーズ・アンド・リヴァプール運河沿いには、19世紀の紡織工場群が残る「ウィーヴァーズ・トライアングル」がある。人口は1911年に10万人を超えたのが最多で、繊維産業の衰退とともに減ったが、製造業は今も町の柱の一つ。

500年以上にわたって名家タウンリー家の屋敷だったタウンリー・ホールは、町に191ある指定建造物のうち唯一のグレードI。1901年に町が買い取り、15世紀のホエーリー修道院の祭服などを所蔵している。町の南の丘には、風を受けて音を奏でる彫刻「シンギング・リンギング・ツリー」(2006年完成)が立ち、町を見下ろしている。

[5][25]

STADIUM

🏟️ バーンリーのスタジアム ― ターフ・ムーア

収容人数
21,944人
開場
1883年

1883年からクラブが途切れることなく使い続けている本拠地で、イングランドのプロサッカーで2番目に長く使われているグラウンド。もともとは1843年に移ってきたバーンリー・クリケット・クラブの隣の土地で、今もスタジアムはクリケット場と背中合わせに建っている。町の中心部から東へ約800メートル。

スタンドはノーススタンド(旧ロングサイド)、ジミー・マキロイ・スタンド、ボブ・ロード・スタンド、クリケット・フィールド・スタンドの4つ。収容人数は町の人口のおよそ3人に1人にあたり、イングランドでも屈指の比率だ。記録的な観客数は1924年のFAカップでの54,775人。試合日には、第一次世界大戦の兵士がフランスから持ち帰った習慣にちなむ「ベネ・アンド・ホット」(ベネディクティン酒のお湯割り)が名物として売られている。

[1][4]

ACADEMY

🌱 育成 ― バーンリーFCアカデミー

1950〜70年代、会長ボブ・ロードのもとでバーンリーは育成とスカウト網で知られ、1955年にはガウソープに専用の練習場を整えた。1959-60シーズンのリーグ優勝メンバーは、移籍金で獲得した2人を除いて下部組織の出身だった。1967-68シーズンにはFAユースカップを制している。

現在はU-21がU-21プロフェッショナル・デベロップメントリーグ、U-18がU-18プロフェッショナル・デベロップメントリーグで戦う。2017年には、ダイシュ監督も設計に関わった新しい練習場「バーンフィールド・トレーニングセンター」がガウソープに代わって完成した。

主な出身選手: ラルフ・コーツ、ジェイ・ロドリゲス、ドワイト・マクニール

[1][22][28][29][30]

SUPPORTERS

📣 バーンリーのサポーターとライバル

サポーターは東ランカシャーと西ヨークシャーが中心。プレミアリーグ時代の平均観客数は約2万1,000人で、人口約7.8万人の町としては、人口比でイングランド屈指の支持を集めるクラブといわれる。1990年代からはオランダのヘルモント・スポルトのサポーターと交流が続き、互いの試合を訪ね合っている。

2026年9月には旗手怜央の移籍をめぐり、ブラックバーンへのレンタル移籍が決まりかけていたところへバーンリーが割り込んで完全移籍で獲得したと報じられ、ライバル関係の濃さを改めて印象づけた。

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ACCESS

✈️ 日本からバーンリーの試合を観戦するには

最寄りの大きな国際空港はマンチェスター空港(バーンリーから約50キロ)。マンチェスター中心部のヴィクトリア駅からは、2015年に復活した直通列車で約45分でバーンリー・マンチェスター・ロード駅に着く。リーズ・ブラッドフォード空港やリヴァプール空港も1時間圏内にある。

ターフ・ムーアはマンチェスター・ロード駅から徒歩約15分、バーンリー・セントラル駅から徒歩約20分。試合日はスタジアム周辺の道路に駐車規制がかかる。

チケットはクラブ公式サイトのチケットページから、公式のeチケット販売サイトで購入する。有料メンバーシップ(2026-27シーズンはプレミアム150ポンド、エクストラ35ポンドなど)の会員には先行販売の枠があり、試合ごとに販売スケジュールが異なるため、公式サイトで最新情報を確認したい。

[4][5][23][24]

出典

  1. [1] Wikipedia(英語版)Burnley F.C.(2026-11-05 閲覧)
  2. [2] Wikipedia(英語版)History of Burnley F.C.(2026-11-05 閲覧)
  3. [3] Wikipedia(英語版)List of Burnley F.C. seasons(2026-11-05 閲覧)
  4. [4] Wikipedia(英語版)Turf Moor(2026-11-05 閲覧)
  5. [5] Wikipedia(英語版)Burnley(町)(2026-11-05 閲覧)
  6. [6] Burnley FC 公式(旗手怜央の加入発表・2026年9月1日)(2026-11-05 閲覧)
  7. [7] サッカーキング(旗手怜央、ブラックバーン行きから一転バーンリーへ・2026年9月3日)(2026-11-05 閲覧)
  8. [8] フットボールチャンネル(旗手怜央の退団でセルティックの日本人がゼロに・2026年9月2日)(2026-11-05 閲覧)
  9. [9] サッカーキング(旗手怜央が移籍後初ゴール・2026年10月11日)(2026-11-05 閲覧)
  10. [10] LiveScore(Celtic Shorts)旗手怜央がバーンリーのサポーターに向けたメッセージ(2026年9月)(2026-11-05 閲覧)
  11. [11] Wikipedia(英語版)Reo Hatate(2026-11-05 閲覧)
  12. [12] Wikipedia(英語版)2025–26 Burnley F.C. season(2026-11-05 閲覧)
  13. [13] Wikipedia(英語版)2026–27 Burnley F.C. season(2026-11-05 閲覧)
  14. [14] Wikipedia(英語版)2021–22 Burnley F.C. season(2026-11-05 閲覧)
  15. [15] Wikipedia(英語版)Jimmy McIlroy(2026-11-05 閲覧)
  16. [16] Wikipedia(英語版)Jimmy Adamson(2026-11-05 閲覧)
  17. [17] Wikipedia(英語版)Harry Potts(2026-11-05 閲覧)
  18. [18] Wikipedia(英語版)Sean Dyche(2026-11-05 閲覧)
  19. [19] Wikipedia(英語版)Vincent Kompany(2026-11-05 閲覧)
  20. [20] Wikipedia(英語版)Tommy Boyle (footballer, born 1886)(2026-11-05 閲覧)
  21. [21] Wikipedia(英語版)Jerry Dawson (footballer, born 1888)(2026-11-05 閲覧)
  22. [22] Wikipedia(英語版)Burnley F.C. Academy(2026-11-05 閲覧)
  23. [23] Burnley FC 公式(2026-27 メンバーシップ)(2026-11-05 閲覧)
  24. [24] Burnley FC 公式(チケット)(2026-11-05 閲覧)
  25. [25] 生活ガイド.com(蒲郡市の人口・総務省統計局「国勢調査」2020年)(2026-11-05 閲覧)
  26. [26] Wikipedia(日本語版)バーンリーFC(2026-11-05 閲覧)
  27. [27] Wikipedia(英語版)2023–24 Burnley F.C. season(2026-11-05 閲覧)
  28. [28] Wikipedia(英語版)Dwight McNeil(2026-11-05 閲覧)
  29. [29] Wikipedia(英語版)Jay Rodriguez(2026-11-05 閲覧)
  30. [30] Wikipedia(英語版)Ralph Coates(2026-11-05 閲覧)

クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。