Crystal Palace Football Club
セルハースト・パークのホームズデイル・ロード・スタンド。座席に「PALACE」「EAGLES!」の文字(2015年2月撮影)
ロンドン・ブロムリー区のクリスタル・パレス・パークに置かれた恐竜の彫刻(2024年7月撮影)
写真: Rockybiggs(2015年)・CC BY-SA 4.0・Commons / Celsoazevedo(2024年)・CC BY 4.0・Commons(いずれもトリミング加工)
ロンドン南部、クロイドン区のセルハースト・パークを本拠とするクラブ。1851年のロンドン万博の会場「クリスタル・パレス(水晶宮)」から名をとり、長く主要タイトルとは無縁だったが、2025年にFAカップでクラブ初の主要タイトルを獲得、翌2025-26シーズンにはUEFAカンファレンスリーグも制した。2024年に鎌田大地がクラブ史上初の日本人選手として加入し、2026年夏からは冨安健洋も加わって、日本人2人が在籍している。
📅 クラブ紹介(歴史・街・スタジアムなど)は2026年11月5日時点の情報です(出典35件)。試合・順位・今季成績は毎日自動で更新しています。
2026-27シーズンのプレミアリーグで18位(20チーム中・勝ち点7)順位表 →
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
クラブ名の由来は、1851年のロンドン万博のためにハイドパークに建てられたガラスと鉄の巨大建築「クリスタル・パレス」。万博後にロンドン南部のシデナム・ヒル近くへ移築され、その敷地の競技場では1895年から1914年までFAカップ決勝が開かれていた。1861年にはここでアマチュアのクリスタル・パレスFCが生まれ、1863年のイングランドサッカー協会(FA)創設に加わったが、1875年ごろに記録から姿を消している。現在のプロクラブは、1905年9月10日に施設の運営会社が競技場で試合をするチームとして創設したもの。クラブは1861年のアマチュアクラブを源流と位置づけ、2022年6月にエンブレムの創設年を1905から1861に改めた。
第一次世界大戦で競技場が軍に接収されたため、1915年に退去。仮住まいの時期の1920-21シーズンにフットボールリーグ3部の初代王者となり、1924年にセルハースト・パークへ移った。1969年には初めて1部に昇格した。1970年代にはマルコム・アリソン監督が愛称を「グレイジャーズ(ガラス職人)」から「イーグルス」に、チームカラーを赤と青の縦じまに改めた。
1984年に就任したスティーヴ・コッペル監督のもとで1989年に1部へ復帰すると、1990年にFAカップ決勝へ進出(再試合でマンチェスター・ユナイテッドに敗戦)。1990-91シーズンには1部で3位に入り、クラブ史上最高順位を記録した。1992年にはプレミアリーグの創設メンバーとなったが、その後は昇格と降格を繰り返し、1999年と2010年の2度、経営破綻(管財人管理)に陥った。2010年にファンでもあるスティーヴ・パリッシュら4人の実業家がクラブを買い取り、2013年にプレーオフを制してプレミアリーグへ復帰した。
以降はプレミアリーグに定着し、2016年にもFAカップ決勝に進出(延長の末マンチェスター・ユナイテッドに敗戦)。2024年2月にオリヴァー・グラスナー監督が就任すると、2025年5月のFAカップ決勝でマンチェスター・シティを1-0で破り、クラブ史上初の主要タイトルを獲得した。複数クラブ所有に関するUEFAの規定によってヨーロッパリーグからカンファレンスリーグへ回されたものの、2025-26シーズンはコミュニティ・シールドでリヴァプールをPK戦で破り、2026年5月27日にはライプツィヒでのカンファレンスリーグ決勝でラージョ・バジェカーノを1-0で下して、初の欧州タイトルを手にした。
グラスナー監督は2025-26シーズン限りで退任し、2026年6月にRCランスを率いていたピエール・サージュが3年契約で後任に就いた。2026-27シーズンはクラブとして初めてヨーロッパリーグに出場している。
エンブレムエンブレムは、ボールをつかむ鷲と、クラブ名の由来である水晶宮の正面の姿を組み合わせたデザイン。水晶宮をあしらったエンブレムは1955年に初めて登場し、1970年代にアリソン監督が愛称を「イーグルス」に変えた際には、ポルトガルのベンフィカにならった鷲のエンブレムになった。1987年に鷲と水晶宮が組み合わされ、1996年と2012年に改められたあとも両方の要素を保っている。2022年6月には、エンブレムに記す創設年を1905から1861に変更した。
愛称: イーグルス(The Eagles) / グレイジャーズ(The Glaziers、1970年代までの愛称)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | プレミアリーグ | 12 | パトリック・ヴィエラ監督の1年目。FAカップ4強[1][2] |
| 2022-23 | プレミアリーグ | 11 | 2023年3月にヴィエラ監督を解任し、ロイ・ホジソンが再登板して残留[1][2] |
| 2023-24 | プレミアリーグ | 10 | 2024年2月にグラスナー監督が就任。終盤の7試合で6勝し、プレミアリーグでのクラブ最高順位に並んだ[1][2] |
| 2024-25 | プレミアリーグ | 12 | 鎌田大地の加入1年目。FAカップ決勝でマンチェスター・シティを1-0で破り、クラブ初の主要タイトル[1][2][14] |
| 2025-26 | プレミアリーグ | 15 | コミュニティ・シールド優勝。初出場のカンファレンスリーグを制し初の欧州タイトル。FAカップは3回戦でノンリーグのマックルズフィールドに敗れた[1][2][11][12] |
3部リーグ時代のストライカー。195試合で165得点を挙げ、今もクラブの通算最多得点記録を持つ。1試合6得点のクラブ記録も残した。[1][16]
ユース出身のセンターバック。15シーズンで公式戦660試合に出場し、クラブ最多出場記録を持つ。2005年のファン投票による「センテナリー・イレブン」にも選ばれた。[1][15]
28歳で監督に就任し、1989年の1部復帰、1990年のFAカップ決勝進出、1991年のクラブ史上最高3位を実現した。その後も計4度にわたってクラブを率いた。[1][18]
ノンリーグから見いだされ、マーク・ブライトとのコンビで1989年の1部昇格に貢献。公式戦117得点は戦後のクラブ最多で、2005年にはファン投票で「世紀の選手」に選ばれた。1991年にアーセナルへ移籍した。[1][17]
15年にわたってゴールを守り、公式戦405試合に出場。クラブの年間最優秀選手に4度選ばれ、3年連続受賞はキャノンの記録に並ぶものだった。[19]
アカデミー出身のドリブラー。マンチェスター・ユナイテッドへの移籍を経て復帰し、2015年からの9シーズンで315試合72得点。クラブのプレミアリーグ最多得点選手で、年間最優秀選手にも3年連続で選ばれた。[20][28]
フランクフルト時代に鎌田大地を指導した監督。就任翌年にFAカップでクラブ初の主要タイトルをもたらし、コミュニティ・シールド、カンファレンスリーグと2シーズンで3つのタイトルを獲得した。[1][14]
クロイドン区だけで日本の高松市(約40.5万人)くらいの規模
クラブ名の由来となった水晶宮は、1851年のロンドン万博の会場としてハイドパークに建てられた、ガラスと鋳鉄の巨大建築。万博後にロンドン南部のシデナム・ヒルの隣に移築され、1936年11月に火災で焼失するまでそこに建っていた。周辺の住宅地は建物にちなんで「クリスタル・パレス」と呼ばれるようになり、跡地の公園には1854年に作られた恐竜の像がいまも残っている。
現在の本拠地セルハースト・パークがあるのは、その南に広がるクロイドン区。ロンドン中心部の外側(アウター・ロンドン)にある面積約87平方キロの区で、人口はロンドンの区の中でも1、2を争う。中心のクロイドンは小さな市場町から、ロンドン中心部の外では有数のビジネスと文化の拠点へと発展した。1920年に開港したクロイドン空港は、かつてロンドンの主要な国際空港だった(1959年閉港)。
ファンはロンドン南部と、隣接するケント州・サリー州の出身者が中心。クラブの社会貢献団体は、クロイドン、ブロムリー、サットンの3区と組んで、スポーツや教育のプログラムを行っている。
スコットランド人の建築家アーチボルド・リーチの設計で、1924年8月30日に開場した。住宅街に囲まれた昔ながらのスタジアムで、1948年のロンドン五輪の試合会場にもなった。1979年に記録した51,482人が観客動員の最多記録。1985年から1991年まではチャールトン、1991年から2003年まではウィンブルドンとスタジアムを共用していた。
スタンドは4つ。熱心なサポーターが集まるのは1994年に建て替えられた2層のホームズデール・ロード・スタンドで、1969年完成のアーサー・ウェイト・スタンドの一部がアウェイ席になる。開場時から残るメインスタンドは、2024年8月にクロイドン区から改築の承認を受け、2026年6月に解体工事が始まった。2029年初めの完成予定で、収容人数は約3万4,000人に増える計画だ。ドラマ『テッド・ラッソ』では架空のクラブの本拠地として撮影に使われた。
1905年から1915年までは水晶宮の敷地にあったFAカップ決勝の会場が本拠地。第一次世界大戦で退去したあと、ハーン・ヒル・ヴェロドローム、クロイドンの「ザ・ネスト」を経て1924年に現在地へ移った。
ロンドン南東部のベッケナムに拠点を置く育成組織。大規模な改修を経て2020年夏にイングランドで最高位の「カテゴリー1」に認定され、2021年10月に卒業生のギャレス・サウスゲート(元イングランド代表監督)を招いて新施設の開所式を行った。
1976-77、1977-78シーズンにFAユースカップを連覇し、その世代が中心となった1979年のチームはメディアから「80年代のチーム」と呼ばれた。近年もU-18プレミアリーグカップを2025-26シーズンに制している。ザハ、ワン=ビサカ、ミッチェルら、トップチームの主力も輩出してきた。
主な出身選手: ケニー・サンソム、ギャレス・サウスゲート、ヴィクター・モーゼス、ウィルフリード・ザハ、アーロン・ワン=ビサカ、タイリック・ミッチェル
ロンドンには多くのクラブがあり、ファンの取り合いになるが、パレスはロンドン南部を中心に大きな地盤を持つ。1964年から試合で流れているデイヴ・クラーク・ファイヴの曲「Glad All Over」は、いまも毎試合ファンが歌うクラブの象徴になっている。試合前には本物のハクトウワシがスタジアムの端から端まで飛ぶ演出があり(2024年からは「フェニックス」)、イングランドで唯一、NFL風のチアリーダーを持つクラブでもある。
2005年に生まれたウルトラス・グループ「ホームズデール・ファナティクス」は、ホームズデール・ロード・スタンドで20年以上にわたって大旗や声援で雰囲気を作り、2025年のFAカップ準決勝・決勝ではファンの寄付でウェンブリーに巨大な演出を用意した。しかし2026年8月、スタジアムの規制強化やチケット価格の高騰などを理由に解散を発表した。
日本からの玄関口はロンドン・ヒースロー空港で、東京(羽田・成田)との間に直行便がある。空港から市内へは、ヒースロー・エクスプレスでパディントン駅まで約15分、エリザベス線なら中心部まで45分弱。
スタジアムの最寄り駅はセルハースト、ソーントン・ヒース、ノーウッド・ジャンクションの3つで、いずれも徒歩10〜15分。セルハースト駅とソーントン・ヒース駅へはヴィクトリア駅から、ノーウッド・ジャンクション駅へはロンドン・ブリッジ駅から列車が出ており、ロンドン中心部の駅から25分足らずで着く。住所はWhitehorse Lane, London SE25 6PU。
プレミアリーグのホームゲームのチケットは、シーズンチケット保持者とクラブ会員(メンバーシップ)にしか販売されない。海外在住者向けのインターナショナル・メンバーシップもあり、会員は販売開始前の優先予約を受けられるが、会員になってもチケットが確保できるとは限らない。販売日程はクラブ公式サイトで試合ごとに発表される。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。