Koninklijke Racing Club Genk
本拠地スタジアムの外観(2013年撮影)
炭鉱のボタ山から見下ろしたスタジアム。周囲には森が広がる(2009年)
ゲンク郊外のボクレイク野外博物館に移築された風車
写真: Hobby-Fotograf2013(2013年)・CC BY-SA 3.0・Commons / Spotter2(2009年)・CC BY-SA 4.0・Commons / Trougnouf (Benoit Brummer)(2019年)・CC BY 4.0・Commons(いずれもトリミング加工)
ベルギー東部リンブルフ州、かつて炭鉱で栄えたゲンク(日本では「ヘンク」とも表記)のクラブ。1988年に街の2つの炭鉱クラブが合併して生まれ、ベルギー1部で4度の優勝を誇る。クルトワやデ・ブライネを輩出した育成でも名高い。伊東純也が2019年から3年半プレーしてリーグ優勝とカップ優勝を経験し、2025年に復帰。同じ2025年に横山歩夢がトップチームに加わり、セカンドチーム「ヨング・ヘンク」では吉永夢希がプレーしている。
📅 クラブ紹介(歴史・街・スタジアムなど)は2026年11月5日時点の情報です(出典53件)。試合・順位・今季成績は毎日自動で更新しています。
2026-27シーズンのジュピラー・プロ・リーグで6位(18チーム中・勝ち点15)順位表 →
セカンドチーム: 吉永 夢希(ヤング・ヘンク)
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
ゲンクのサッカーは炭鉱とともに始まった。1923年、ヴィンテルスラフ炭鉱の地区にFCヴィンテルスラフ(登録番号322)が誕生。もう一つの炭鉱地区ワーテルスハイには1919年にワーテルスハイ・トールが生まれた。「トール(THOR)」はオランダ語で「我らの権利を取り戻すために」の頭文字で、フランス語系の炭鉱経営陣への抗議が込められていたという。ワーテルスハイは1980年と1982年にベルギー杯を制し、1982-83シーズンのカップウィナーズカップではパリ・サンジェルマンを破って準決勝に進出。ヴィンテルスラフも1981-82シーズンのUEFAカップでアーセナルを破っている。
1988年、両クラブが合併してKRCゲンクが誕生した。ヴィンテルスラフの登録番号322を引き継ぎ、クラブは公式に1988年を創設年としている。合併直後のシーズンに2部へ降格するなど船出は順調ではなかったが、1995年にエメ・アンテュニス監督を迎えて1996年に1部へ昇格。1998年にベルギー杯で初タイトルを獲得し、1999年には初のリーグ優勝を果たした。以来、ベルギー1部から一度も降格していない。
2000年代に入ると、2000年にベルギー杯、2002年に2度目のリーグ優勝を達成。2002-03シーズンには初めてチャンピオンズリーグ(CL)のグループステージに進み、レアル・マドリードやローマと引き分けた。このシーズンには鈴木隆行も在籍していた。2010-11シーズンには最終節で優勝を争うスタンダール・リエージュと引き分けて3度目の優勝を決め、試合後にはファンがピッチになだれ込んだ。このチームの中心がクルトワとデ・ブライネだった。2016-17シーズンにはヨーロッパリーグ(EL)でクラブ史上最高のベスト8に進んでいる。
2018-19シーズン、フィリップ・クレマン監督のもとで4度目のリーグ優勝。このシーズン途中に加入した伊東純也もトロサールらとともに優勝に貢献し、翌シーズンはCLでリヴァプールやナポリと対戦した。2021年4月のベルギー杯決勝ではスタンダールを2-1で破り、伊東もゴールを決めて5度目の優勝。2022-23シーズンは最終節で優勝をアントワープにさらわれて2位に終わり、2024-25シーズンはレギュラーシーズン首位で終えたものの、プレーオフで3位に後退した。
2025年夏、伊東がスタッド・ランスから復帰し、横山歩夢も完全移籍で加入。2025-26シーズンはELでベスト16に進み、フライブルクと対戦して敗退した。リーグ戦はレギュラーシーズン7位からヨーロッパ・プレーオフを1位で終えたが、欧州カップ戦出場権をかけたヘントとの一発勝負にPK戦で敗れた。2026年7月には、監督ニッキー・ハイエンのバーンリー移籍を受けて、2020年秋にも短期間指揮を執ったイェス・トルップが監督に就任している。
エンブレム現在のエンブレムは2016年5月に発表されたもの。かつてのエンブレムにあった「G」の字を復活させて全体の形の土台とし、「KRC Genk」の文字を配している。水色の4本のストライプは、合併前のヴィンテルスラフとワーテルスハイ、2つのクラブのエンブレムへのオマージュとされる。クラブカラーは青と白。
愛称: ラシン・ゲンク(Racing Genk) / スマーフ(De Smurfen)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | ベルギー1部(ジュピラー・プロ・リーグ) | 6 | レギュラーシーズン8位、プレーオフ2で2位(最終6位)。CLは予選3回戦で敗退し、ELはグループ4位。ベルギー杯はベスト16。伊東純也がリーグのアシスト王(16)[8][13][17][28] |
| 2022-23 | ベルギー1部(ジュピラー・プロ・リーグ) | 2 | レギュラーシーズン首位も、チャンピオンズ・プレーオフの最終節で逆転され2位。ベルギー杯ベスト8[9][18] |
| 2023-24 | ベルギー1部(ジュピラー・プロ・リーグ) | 5 | CL・EL予選で敗退し、カンファレンスリーグはグループ3位で敗退。欧州カップ戦出場権をかけた一発勝負でヘントに0-1で敗れた。ベルギー杯ベスト16[10][14][19][35] |
| 2024-25 | ベルギー1部(ジュピラー・プロ・リーグ) | 3 | レギュラーシーズン首位、チャンピオンズ・プレーオフで3位。ベルギー杯ベスト4。2025年2月に横山歩夢がヨング・ヘンクへレンタル加入[11][20][41] |
| 2025-26 | ベルギー1部(ジュピラー・プロ・リーグ) | 7 | 伊東純也が復帰。ELはリーグフェーズ9位からプレーオフを突破し、ベスト16でフライブルクに敗退。レギュラーシーズン7位からヨーロッパ・プレーオフ1位となったが、欧州カップ戦出場をかけたヘント戦にPK戦で敗れた。ベルギー杯ベスト16[12][15][16][21] |
2部にいたクラブを1996年に1部へ引き上げ、1998年にベルギー杯で初タイトル、1999年に初のリーグ優勝をもたらした。選手から「パパ」と慕われた。[1][22]
1996年の1部昇格と1999年の初優勝を支えたストライカー。1998年に得点王とベルギー年間最優秀選手(ゴールデン・シュー)に輝き、のちに帰化してベルギー代表でもプレーした。[2][23]
2001-02シーズンにリーグ30得点で得点王となり、2度目の優勝の原動力に。翌シーズンも22得点で得点王を分け合い、2001年にはゴールデン・シューを受賞した。[2][24]
7歳でクラブの下部組織に入り、ここでGKに転向。16歳でトップチームにデビューし、2010-11シーズンの優勝の立役者としてリーグ年間最優秀GKに選ばれた。[2][25]
2005年にヘントの下部組織から移り、2008年にトップチームへ昇格。2010-11シーズンはリーグ戦32試合5得点16アシストで優勝に貢献し、2012年1月にチェルシーへの移籍が決まった。[26]
選手としても1995年から1998年までプレー。2017年12月に監督に就任し、伊東純也らを擁して2018-19シーズンにクラブ4度目のリーグ優勝を達成した。[2][27]
2020-21シーズンにリーグ戦33得点を挙げ、ソンクの持っていたクラブのシーズン最多得点記録(30)を更新。得点王とゴールデン・シューに輝き、ベルギー杯優勝にも貢献した。[2][28]
2019年2月、ゲンクを選んだ理由として、元日本代表の鈴木隆行が在籍していたこと、さまざまな国籍の選手がいることを挙げた。首位のチームで優勝し、CLに出たいと意欲を見せた。[42]
— 伊東純也
2018-19シーズンの優勝はプロになって初めてのタイトルで、まだ実感がないと語った。シーズン終盤には本拠地でサポーターから名前をコールされ、一緒にバンザイで勝利を祝う人気者になっていた。[43]
— 伊東純也
2025年8月の復帰時、「家に帰ってきたような感覚」と語り、ゲンクではいつも大切にしてもらったのでサポーターに再会するのが楽しみだと話した。復帰直後の会見では、ファンの歓迎が強く印象に残ったと振り返った。[33][34]
— 伊東純也
加入が決まった2023年10月、ゲンクでプロのキャリアを始められることを光栄に思うと語り、いつかトップチームに上がることを目標に掲げた。[36]
— 吉永夢希
日本だと愛知県犬山市(約7.1万人)くらいの規模
州都ハッセルトに隣接し、アントワープとリエージュを結ぶアルベール運河沿いの街。1900年ごろは人口2,000人ほどの静かな村で、400人を超える風景画家が集まる「画家の村」だった。
1901年に近隣で石炭が見つかると一変する。ヴィンテルスラフ、ワーテルスハイ、ズワルトベルフの3つの炭鉱が開かれ、ポーランドやウクライナ、続いてイタリア、ギリシャ、スペイン、そして1960年代からはトルコやモロッコから労働者が移り住んだ。いまも約100の国籍の人が暮らす多文化の街で、最大のコミュニティはイタリア系(約1万人)。トルコ系住民の割合がベルギーでも特に高い街とされる。
炭鉱は1966年のズワルトベルフを皮切りに閉山が続き、1980年代後半には最後の2つ、ヴィンテルスラフとワーテルスハイも閉じた。その後は運河と高速道路沿いの工業で再出発し、フォードの工場が長く最大の雇用主だった(2014年に閉鎖)。ヴィンテルスラフ炭鉱の跡地は「C-mine」としてデザインセンターや映画館、芸術系の学校が入る文化拠点に生まれ変わっている。
工業の街ながら「緑の街」の愛称があり、フランドル各地の古い建物を移築したボクレイク野外博物館や、2006年に開園したフランドル初の国立公園ホーヘ・ケンペン国立公園の玄関口もある。
市の北東部、旧炭鉱地区ワーテルスハイに建つ。もとはワーテルスハイ・トールの本拠地アンドレ・デュモン・スタジアムがあった場所で、合併後に改修して1990年から合併を主導した人物の名を冠した「ティル・ヘイセリンク・スタジアム」として使われた。現在のスタジアムは1999年8月28日に約1万5,000人のサポーターを前に正式に開場し、その後のスタンド増設で四方を囲む形になった。
当初は「フェニックス・スタジアム」と呼ばれ、2007年からビールブランドの「クリスタル・アレーナ」、2016年から「ルミヌス・アレーナ」と名前を変えてきた。2021年8月、近隣ハッセルトのIT企業セゲカと10年の命名権契約を結び、現在の名前になった。
クラブ公式の収容人数は23,718人(うち立ち見3,704人)。ベルギー代表の試合会場にもなっている。セカンドチームのヨング・ヘンクは2023-24シーズンから、近隣の街ヘールのスタジアムで主催試合を行っている。
合併前のFCヴィンテルスラフはノールトラーン(De Noordlaan)が本拠地だった。合併後はリザーブとユースが使ったが荒廃し、2004年に取り壊されて住宅地になった。
ベルギー有数の育成クラブとして知られる。2003年にスタジアムの隣にユースセンターを建て、育成プログラムを本格化させた。2018-19シーズンにはトップチームのリーグ優勝に加え、U-18・U-16・U-15でもタイトルを獲得している。スカウトの評価も高く、クリバリやディディ、ミリンコヴィッチ=サヴィッチらもゲンクでプレーした。
セカンドチームのヨング・ヘンクは2022-23シーズンから2部のチャレンジャー・プロ・リーグで戦う。2024-25シーズンは最下位だったが、リーグ改革で各クラブのセカンドチーム4チームを2部に残す決定が出て降格を免れた。日本人では吉永夢希、保田堅心がここでプレーし、横山歩夢もヨング・ヘンクを経てトップチームに上がった。
主な出身選手: ティボ・クルトワ、ケヴィン・デ・ブライネ、クリスティアン・ベンテケ、ディヴォック・オリギ、ヤニック・カラスコ、レアンドロ・トロサール、ティモシー・カスターニュ
スタジアムには試合ごとにおよそ2万〜2万2,000人が集まる。チームとファンは「スマーフ」の愛称でも呼ばれる。2013年のベルギー杯決勝には約3万人のゲンク・サポーターが駆けつけ、2011年の優勝決定時には試合終了と同時にピッチへなだれ込んだ。
伊東純也は1度目の在籍で本拠地のファンから名前をコールされる存在になり、2025年の復帰時にも温かく迎えられた。
日本からはブリュッセル空港などに入り、鉄道でゲンクへ向かう。ゲンク駅はベルギー国鉄のインターシティ(IC-03)の終点で、ブリュッセルからルーヴェン、ハッセルトを経由する列車が直通している。
スタジアムは市中心部から北東の郊外にある(住所はStadionplein 4)。市内の路線バスはデ・ライン(De Lijn)が運行しており、駅や中心部からバスかタクシーで向かう。
チケットはクラブ公式サイトのチケットページから、販売会社Roboticketのポータルで購入する。購入にはアカウント登録が必要で、1アカウントにつき4枚まで、氏名と生年月日の登録が求められる。単発のチケットは各ホームゲームのおよそ2週間前に発売。2025-26シーズンの一般試合の大人料金は、サポーター席(立ち見)が21ユーロ、座席は24ユーロからだった。ヨング・ヘンクのホームゲーム(ヘールで開催)も同じポータルで買える。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。