Spielvereinigung Greuther Fürth e. V.
キックオフ直前、北スタンドのサポーターが白と緑のコレオグラフィーで迎える(2014年)
旧市街のグスタフ通りと聖ミヒャエル教会。クラブは1903年、この通りの酒場で産声を上げた
写真: Alexander Mayer(2014年)・CC BY-SA 3.0 de・Commons / Edelmauswaldgeist(2023年)・CC BY-SA 4.0・Commons(いずれもトリミング加工)
ニュルンベルクと市街地がつながった隣町フュルトを本拠とする、戦前にドイツ王者に3度輝いた古豪。ブンデスリーガ発足後は大半を2部で過ごしてきたが、2.ブンデスリーガの歴代通算順位表では首位に立ち、2026年11月には同リーグで史上初めて通算500勝に到達した。2026-27シーズンは、フォルトゥナ・デュッセルドルフから加入したアペルカンプ真大が背番号8を背負っている。
📅 クラブ紹介(歴史・街・スタジアムなど)は2026年11月5日時点の情報です(出典28件)。試合・順位・今季成績は毎日自動で更新しています。
2026-27シーズンの2.ブンデスリーガで9位(18チーム中・勝ち点12)順位表 →
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
1903年9月23日、体操クラブ「TVフュルト1860」の中にサッカー部門として誕生した。親クラブからの支援が乏しかったため1906年11月に独立し、「シュピールフェアアイニグング(SpVgg)フュルト」となった。1910年には現在も本拠地とするロンホーフにグラウンドを開き、1914年には会員3,000人を超えるドイツ最大のスポーツクラブになっていた。
黄金期は1910〜20年代。イングランド人監督ウィリアム・タウンリーのもと、1914年のドイツ選手権決勝でVfBライプツィヒを延長戦の末に3-2で破り、初の全国王者に。第一次世界大戦をはさんだ1920年の決勝では隣町の1.FCニュルンベルクに敗れたが、1926年と1929年にはいずれもヘルタBSCを下して計3度の優勝を果たした。1924年にはドイツ代表がフュルトとニュルンベルクの選手だけで編成されたこともある。
戦後は1950年にオーバーリーガ南部で優勝し、1954年W杯の優勝メンバーにカール・マイとヘルベルト・エアハルトを送り出した。しかし1963年のブンデスリーガ発足時には加入できず、2部が定位置に。1983年には多額の借金を抱えて3部へ降格し、一時は4部まで落ちた。転機は1996年7月、近郊の村のクラブTSVフェステンベルクスグロイトのサッカー部門が合流したことで、クラブ名は現在の「SpVggグロイター・フュルト」に変わった。翌1997年に2部へ復帰すると、2012年まで15年間2部にとどまり、毎年のように昇格争いを演じながら届かず「昇格できないクラブ」とも呼ばれた。
悲願がかなったのは2011-12シーズン。マイク・ビュスケンス監督のもとで2部を制してブンデスリーガ初昇格を決め、同じシーズンのDFBポカールでは準決勝まで勝ち進んだ(延長終了間際の失点でドルトムントに0-1で敗退)。初の1部となった2012-13シーズンは、ホームで1勝もできないまま最下位で1年で降格。2020-21シーズンにはシュテファン・ライトル監督のもと最終節の逆転で2位に滑り込み2度目の昇格を果たしたが、2021-22シーズンも最下位に終わった。
その後は2部で苦しいシーズンが続き、2025-26シーズンは16位で3部との入れ替え戦に回ったが、ロート・ヴァイス・エッセンを2試合合計2-1で退けて残留した。2026年11月1日、ホルシュタイン・キールに1-0で勝って2.ブンデスリーガ通算500勝に到達。500勝に達したのは同リーグで初めてで、クラブは長く歴代通算順位表の首位に立っている。
エンブレム愛称「クレーブラット(クローバー)」の由来は、フュルト市の紋章に描かれた緑の三つ葉。白と緑のクラブカラーも市の色と同じだ。1996年の名称変更時には、伝統の紋章に代えて、三つ葉とフェステンベルクスグロイトの木靴を組み合わせた円形のロゴが採用された。創立100周年の2003年には3度のドイツ王者を表す3つの星が加えられたが、リーグ側の規定によりユニフォームからは外すよう求められた。
愛称: クレーブラット(Kleeblatt=クローバー)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | ブンデスリーガ | 18 | 2度目の1部挑戦。第15節まで未勝利で、1年で2部へ降格。ライトル監督が退任[2][3] |
| 2022-23 | 2.ブンデスリーガ | 12 | シーズン途中にアレクサンダー・ツォルニガー監督が就任[2][3] |
| 2023-24 | 2.ブンデスリーガ | 8 | 一時は2位まで浮上したが後半戦に失速[2][3] |
| 2024-25 | 2.ブンデスリーガ | 13 | フランケン・ダービーでの0-4の大敗を受けてツォルニガー監督が解任。最終盤まで残留争い[2][3] |
| 2025-26 | 2.ブンデスリーガ | 16 | 入れ替え戦でロート・ヴァイス・エッセンに2試合合計2-1で勝ち残留。ノエル・フトケウがリーグ得点王[3][8][13] |
選手としてはブラックバーンでFAカップを2度制したイングランド人。フュルトを4度にわたって率い、1914年と1926年のドイツ選手権優勝に導いた。[1][20]
1914年の初優勝メンバーの左ウイング。ドイツ代表でも7試合4得点。ユダヤ系だったためナチス政権下で迫害され、1943年にアウシュヴィッツへ移送されて命を奪われた。ドイツサッカー連盟は2005年から彼の名を冠した「ユリウス・ヒルシュ賞」を設けている。[1][21]
愛称「チャーリー」。フュルトでリーグ戦192試合に出場。1954年W杯決勝(ベルンの奇跡)に出場し、ハンガリーの得点源コチシュのマークを担った。[2][22]
1942年にクラブの下部組織に入り、トップチームで14シーズンにわたって守備の柱を務めた。ドイツ代表で50試合に出場し、1959年からは主将も務めた。W杯は1954年(出場なし)・1958年・1962年の3大会でメンバー入り。[2][23]
シャルケでUEFAカップを制した元MF。フュルトでは2011-12シーズンに2部優勝でクラブ初のブンデスリーガ昇格を果たし、同シーズンのDFBポカール4強も実現した。[2][24]
2020-21シーズンから主将を務め、同シーズンは16得点で2度目のブンデスリーガ昇格の原動力に。7年間でリーグ戦227試合67得点を挙げた。[25]
ニュルンベルク生まれで、8歳からフュルトの下部組織で育った左サイドバック。トップチームでリーグ戦94試合に出場し、2021年の昇格後に移籍。のちにドイツ代表として2022年W杯とEURO2024に出場した。[2][26]
日本だと東京都小金井市(約13万人)くらいの規模
バイエルン州北部、フランケン地方の街。東隣の大都市ニュルンベルクとは1899年から市域が接し、両市の中心部は約7キロしか離れていない。1922年にはニュルンベルクへの編入の是非を問う住民投票が行われ、約65%の反対で否決された。いまもニュルンベルク、エアランゲンと一体の都市圏をなし、ニュルンベルクの地下鉄(Uバーン)で行き来できる。
1835年、ドイツ初の鉄道がニュルンベルクとの間に開通した街。第二次世界大戦の空襲被害が比較的少なく、旧市街の歴史的な町並みがよく残っていて、人口あたりの文化財建造物の数はドイツの大都市で有数だ。秋には800年以上の歴史を持つ「ミヒャエリス・キルヒヴァイ」が開かれ、バイエルン州でも最大級の路上の祭りとして知られる。
17世紀から大きなユダヤ人共同体があり、かつては「フランケンのエルサレム」とも呼ばれた。フュルト出身の元米国務長官ヘンリー・キッシンジャーは少年時代からのSpVggファンで、クラブの名誉会員でもあり、2012年9月にはブンデスリーガ初挑戦中のホームゲームを観戦した。戦後は通信販売大手クヴェレや家電メーカーのグルンディッヒが本社を置いた。
1910年9月11日に開かれ、クラブは100年以上同じ場所で戦い続けている。開設当時は国内最大級のスポーツ施設で、1951・52年のニュルンベルクとのダービーでは3万人以上の観衆が詰めかけた。1983年に借金のため売却され、現在は賃借して使っている。命名権の売却で「プレイモービル・シュタディオン」「トローリ・アレーナ」などと呼ばれてきたが、2016年から伝統の「ロンホーフ」に地元出身の不動産業者トーマス・ゾマーの名を添えた現名称になった。
ピッチとスタンドが近い、昔ながらの小ぶりなサッカー専用スタジアム。屋根付きの立ち見席が並ぶ北スタンドに熱心なサポーターが集まり、2017〜18年に新しいメインスタンドが完成した。現在の収容は16,626人で、バックスタンドを建て替える計画も公表されている。
2003年に合併した地元クラブ、トゥスポ・フュルトの跡地に置かれた育成拠点で、約200人のユース選手が所属する。2000年代にはハイコ・ヴェスターマンやロベルト・ヒルベルト、ニコライ・ミュラーら若手を次々と1部クラブへ送り出し、その移籍金が2部で戦うクラブの財政を支えた。
近年もダヴィド・ラウムとジェイミー・レヴェリングの2人がのちにドイツ代表となり、ガーナ代表のアブドゥル・ラーマン・ババはアウクスブルクを経てチェルシーへ移った。U-23(セカンドチーム)は4部のレギオナルリーガ・バイエルンに所属している。
主な出身選手: ダヴィド・ラウム、ジェイミー・レヴェリング、ロベルト・ヒルベルト、アブドゥル・ラーマン・ババ
最大のライバルは隣町の1.FCニュルンベルク。両者の対戦「フランケン・ダービー」は1904年から270回以上行われ、ドイツで最も多く行われてきたダービーとされる。戦前は国内屈指の強豪同士の対決で、1924年の代表戦では両クラブの選手が列車の車両を分けて移動したという逸話も残る。2012-13シーズンには約49年ぶりにトップリーグでのダービーが実現し、アウェーで1-0の勝利を挙げた。
ファンクラブは58、会員は約2,500人で、多くがフランケン地方の人たち。熱心なサポーターはゴール裏の北スタンドに陣取る。マスコットは2005年から緑のドラゴン「エディ」。合併で生まれた現在のクラブ名を、伝統の「SpVggフュルト」に戻そうというファンの運動もあり、クラブは2026年11月8日に臨時会員総会を開いて名称変更について審議する。
空の玄関口は隣のニュルンベルク空港で、路線バス33番がフュルト中心部まで直接結んでいる。フュルト中央駅はニュルンベルクの地下鉄(Uバーン)やSバーンの乗り換え駅で、ニュルンベルク中央駅からもすぐ。
スタジアムはロンホーフ地区にあり、旧市街から歩いて20分ほど、中央駅からはさらに10分ほどかかる。クラブは公共交通での来場を勧めており、試合のチケットは地域交通連合(VGN)の当日乗車券としても使えて、スタジアムへの往復が無料になる(VIPチケットは対象外)。
チケットはクラブ公式オンラインショップのほか、試合当日にスタジアムの窓口でも買える。駐車場は数が限られ、メイン駐車場P1はオンラインショップでの事前購入制。最新情報は試合ごとにクラブ公式サイトに掲載される「ホームゲーム情報」で確認したい。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。