Turn- und Sportgemeinschaft 1899 Hoffenheim e.V.
丘の上の古城ブルク・シュタインスベルクから見たスタジアムと、その奥に広がる住宅地
写真: Photographs by Radosław Drożdżewski (User:Zwiadowca21)(2016年)・CC BY-SA 4.0・Commons(いずれもトリミング加工)
ドイツ南西部の丘陵地帯クライヒガウにある人口3,000人余りの村から、SAP創業者ディートマー・ホップの支援を受けて8部相当のアマチュアリーグからブンデスリーガまで駆け上がったクラブ。2008年の1部昇格以来トップリーグに定着し、ユリアン・ナーゲルスマン監督のもとでチャンピオンズリーグにも出場した。2012-13シーズンの宇佐美貴史に続き、2025年夏から町田浩樹がクラブ2人目の日本人選手としてプレーしている。
📅 クラブ紹介(歴史・街・スタジアムなど)は2026年11月5日時点の情報です(出典32件)。試合・順位・今季成績は毎日自動で更新しています。
2026-27シーズンのブンデスリーガで12位(18チーム中・勝ち点9)順位表 →
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
1899年7月1日、体操クラブ「トゥルンフェライン・ホッフェンハイム」として誕生した。のちに村にはサッカークラブ「FVホッフェンハイム」もでき、1945年に両者が合併して現在の「TSG 1899 ホッフェンハイム」となった。その後も長く地元のアマチュアクラブで、1988年にクライスリーガAからベツィルクスリーガへ昇格したものの、翌1989年には再び降格している。
転機は1990年。ハイデルベルクで生まれホッフェンハイム村で育ち、少年時代にこのクラブでプレーしたディートマー・ホップが支援を始めた。ホップは1972年にソフトウェア企業SAPを共同創業した人物。支援を受けたクラブは1992年にランデスリーガ、1996年にフェアバンツリーガ、2000年にオーバーリーガへと昇格を重ね、2001年には3部相当のレギオナルリーガ・ジュートに到達した。2003-04シーズンにはDFBポカールで準々決勝まで勝ち進んでいる。
2006年にラルフ・ラングニックが監督に就任すると、2006-07シーズンにレギオナルリーガ2位で2部へ、2007-08シーズンには2部2位でブンデスリーガへと2年連続で昇格した。初挑戦の2008-09シーズンは前半戦の17試合で18得点を挙げたヴェダド・イビシェヴィッチらの活躍で首位に立ち、ウィンターブレイクを首位で迎えた(最終順位は7位)。2009年1月には新本拠地ライン・ネッカー・アレーナ(現SNPアレーナ)が開場した。2012-13シーズンは16位に終わったが、入れ替え戦でカイザースラウテルンを2試合合計5-2で下して残留した。
2016年2月、当時28歳のユリアン・ナーゲルスマンがブンデスリーガ史上最年少の監督として就任。残留争いを切り抜けると、2016-17シーズンに4位、2017-18シーズンにはクラブ史上最高の3位に入り、2018-19シーズンにはチャンピオンズリーグのグループステージを戦った。一方でホップの資金力で急成長したクラブは他クラブのファンから批判を浴びることも多く、2020年2月のバイエルン戦ではホップを中傷する横断幕が掲げられて試合が中断する騒ぎも起きた。
ホップは2015年に50+1ルールの例外として議決権の過半数を認められていたが、2023年にクラブ(登録協会)へ返還した。2024-25シーズンは途中でクリスティアン・イルツァー監督が就任したものの15位に低迷したが、2025-26シーズンは5位に躍進し、ヨーロッパリーグ出場権を手にした。
愛称: クライヒガウの人々(Die Kraichgauer) / ホッフェ
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | ブンデスリーガ | 9 | 第25節時点では4位だったが、終盤の9戦未勝利で欧州カップ戦出場を逃した。DFBポカールはラウンド16でフライブルクに敗退。シーズン後にセバスティアン・ヘーネス監督が退任[2][6] |
| 2022-23 | ブンデスリーガ | 12 | 2023年2月にブライテンライター監督を解任。後任のマタラッツォ監督のもとで終盤に3連勝し、残留を決めた[2][7] |
| 2023-24 | ブンデスリーガ | 7 | 7位でヨーロッパリーグ出場権を獲得[2][8] |
| 2024-25 | ブンデスリーガ | 15 | 2024年11月にイルツァー監督が就任。ヨーロッパリーグはリーグフェーズで敗退、DFBポカールはラウンド16でヴォルフスブルクに敗退。ブンデスリーガでクラブ史上2番目に悪いシーズンとなった[2][9] |
| 2025-26 | ブンデスリーガ | 5 | 勝ち点61で5位、ヨーロッパリーグ出場権を獲得。加入1年目の町田浩樹は開幕戦で左ひざ前十字じん帯を断裂し、出場は2試合にとどまった[2][10][22][25] |
アマチュア時代のホッフェンハイムで約30年プレーし、200点以上を挙げたクラブ史上最多得点者。[2]
3部相当のレギオナルリーガから2年連続昇格でクラブを初めてブンデスリーガへ導き、1部初年度は前半戦を首位で折り返した。[1][11]
1部初挑戦の2008-09シーズン前半戦に17試合18得点を挙げ、昇格組の快進撃を象徴した。公式戦135試合54得点。[1][14]
2011年1月に加入し、公式戦153試合49得点。2013-14シーズンにリーグ戦16得点を挙げ、2015年にリヴァプールへ移籍した。宇佐美貴史とは2012-13シーズンにチームメートだった。[13][20]
28歳でブンデスリーガ史上最年少の監督に就任。4位・3位とクラブ最高成績を続けて残し、初のチャンピオンズリーグ本大会出場に導いた。[1][12]
2014年に加入した守護神で、2022年から主将。2022-23シーズンにクラブのブンデスリーガ最多出場記録を塗り替えた。[2][16]
2016年1月にレスターからレンタルで加入し、同年に完全移籍。2019年3月にクラブのブンデスリーガ最多得点者となり、その後も記録を伸ばし続けている。2018年W杯準優勝メンバー。[1][2][15]
加入1年目の前半戦を振り返り、監督交代で求められることや選手の配置がまったく変わったため、自分が順応していく必要があると語った。ガンバ大阪では周囲に助けられていたが、ドイツでは自分で居場所をつくらなければならないとも話し、どの監督のもとでも起用される選手を目指すとした。[26]
— 宇佐美貴史
加入発表時、ホッフェンハイムを非常にエキサイティングで野心的なクラブだと表現し、キャリアの次のステップとして新しいチームメートと戦い始めるのが待ちきれないと語った。[21]
— 町田浩樹
大けがで2試合の出場に終わった加入1年目を精神的にも大きな挫折だったと振り返る一方、リハビリの最初の5か月を支えてくれたクラブと、練習復帰まで手助けしてくれたスタッフに感謝を示した(kicker のインタビューより)。[25]
— 町田浩樹
ジンスハイム市全体で、日本だと富山県黒部市(約3.7万人)くらいの規模
クラブ名のホッフェンハイムは、ジンスハイム市の一地区の名前。もとは独立した村だったが、1972年7月1日にジンスハイム市へ編入された。ジンスハイムはハイデルベルクとハイルブロンの間、なだらかな丘陵が続く「クライヒガウ」と呼ばれる地方にあり、エルゼンツ川沿いに市街地が広がる。中心部と12の地区からなる市で、ホッフェンハイム地区の人口は約3,400人(2024年末)。
歴史は古く、770年の記録に「スンニスハイム」として登場し、1192年に皇帝ハインリヒ6世から都市の権利を与えられた。のちにプファルツ選帝侯領、19世紀にはバーデン大公国に属した。丘の上の古城ブルク・シュタインスベルクは街のシンボルになっている。
現在のジンスハイムは、コンコルドやツポレフTu-144といった旅客機を展示する「ジンスハイム自動車・技術博物館」や、大型温浴施設「バーデヴェルト・ジンスハイム」で知られる。ホッフェンハイムの本拠地スタジアムはアウトバーンA6のそばにあり、最寄り駅の名前は「ジンスハイム・ムゼウム/アレーナ(博物館/アレーナ)」。
ジンスハイム市の南、アウトバーンA6のジンスハイム南インターチェンジのそばに建つスタジアム。ホップと地元企業の資金で約22か月かけて建設され、2009年1月24日の開場記念試合でこけら落としを迎えた。収容人数は30,150人で、うち6,750人分が立ち見席。国際試合では立ち見席を座席に変えるため、約4,500人分少なくなる。
開場時の名称は「ライン・ネッカー・アレーナ」。命名権によって2011年からヴィルゾル・ライン・ネッカー・アレーナ、2019年からプレツェロ・アレーナと名前を変え、2026-27シーズンからはハイデルベルクのソフトウェア企業SNPが命名権を持つ「SNPアレーナ」になった(契約は2028年6月まで)。2011年の女子W杯や2016年のU-19欧州選手権決勝の会場にもなった。
1999年にホップの資金でホッフェンハイム地区に建てられたディートマー・ホップ・シュタディオン(収容5,000人)。1部初年度の2008年の前半戦は、マンハイムのカール・ベンツ・シュタディオンを仮の本拠地にした。
2001年に始まった育成プログラム「アンプフィフ・インス・レーベン(人生のキックオフ)」が育成の土台で、隣町ツーツェンハウゼンに育成拠点を置く。2008年には提携校とともにDFBの「サッカーエリート校」の認定を受けた。2010年春には約1,500万ユーロをかけて改装したツーツェンハウゼンのアグネスタール城に、トレーニングとクラブの拠点を移している。
U-17は2008年、U-19は2014年と2024年にドイツ王者になり、UEFAユースリーグでは2018-19シーズンに4強入りした。ドイツ代表DFのニクラス・ズーレは下部組織を経て2013年にトップチームでデビューし、トム・ビショフは2022年に16歳264日でクラブ史上最年少出場を記録した。
主な出身選手: ニクラス・ズーレ、トム・ビショフ
組織的なファン活動が始まったのは、レギオナルリーガに昇格した2001-02シーズン頃。最初の公式ファンクラブ「ツヴィンガー・クラブ」が生まれ、現在ではオーストラリアなど国外も含めて100を超える公式ファンクラブがある。ホームゲームではスタジアムの南ゴール裏(ジュートクルヴェ)が応援の中心で、マスコットはヘラジカの「ホッフィ」。クラブ会員は約1万3,000人(2026年7月時点)。
小さな村から富豪の支援で急成長したクラブとして、他クラブのファンから批判を受けることもある。2020年2月にはバイエルンのファンがホップを中傷する横断幕を掲げて試合が中断し、両チームの選手が残り時間をボール回しで過ごしてホップへの連帯を示した。
ジンスハイムには長距離列車が止まらないため、ドイツ国内の長距離列車でハイデルベルクかマンハイムまで行き、Sバーンや普通列車に乗り換えてジンスハイムへ向かう。
スタジアムの最寄りはSバーンの「ジンスハイム・ムゼウム/アレーナ」駅で、歩いて10分ほど(約1キロ)。試合日には臨時列車が増発され、ジンスハイム中央駅からはシャトルバスも出る。
ホームゲームのチケットは、ライン・ネッカー交通連合(VRN)とハイルブロン・ホーエンローエ交通連合(HNV)の全域で、往復の公共交通機関(2等)の乗車券を兼ねる。適用条件は大会によって異なることがあるので、チケットの記載とクラブ公式サイトで確認したい。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。