Kieler Sportvereinigung Holstein von 1900 e.V.
キール・ウィーク(キーラー・ヴォッヘ)の帆船パレード。外輪船フライアとフリードリヒゾルト灯台
夏のキール港の岸壁。大型客船や造船所のクレーンが並ぶ
写真: Siegbert Brey(2023年)・CC BY-SA 4.0・Commons / Virtual-Pano(2022年)・CC BY-SA 4.0・Commons(いずれもトリミング加工)
バルト海に面したドイツ最北の州都キールのクラブ。1912年にドイツ王者となった古豪で、長い下部リーグ暮らしを経て2024年に州のクラブとして初めてブンデスリーガへ昇格した。2018-19シーズンの奥川雅也、昇格と1部の舞台で得点を重ねた町野修斗に続き、2026-27シーズンは2部で髙橋仁胡・関根大輝・安部大晴の3人がプレーしている。
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2026-27シーズンの2.ブンデスリーガで17位(18チーム中・勝ち点8)順位表 →
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
クラブの起源は2つある。1900年10月7日、体操クラブ「キール男子体操協会(キーラーMTV)」のサッカー部門が独立して「第1キール・フースバル・フェライン」が生まれ、1902年には上級実科学校の生徒たちが「キール・フースバル・クラブ・ホルシュタイン」を作った。第一次世界大戦で弱った両クラブは1917年6月7日に合併。創設年は1900年を引き継ぎ、名前・グラウンド・ユニフォームの色はホルシュタイン側のものが受け継がれた。
1910年から1912年にかけて北ドイツ選手権を3連覇し、1910年のドイツ選手権決勝ではカールスルーエFVに延長の末0-1で敗れたが、1912年の決勝で同じカールスルーエFVを1-0で破って全国制覇を果たした。1930年にも決勝へ進み、ヘルタBSCに4-5で敗れて準優勝。1941年にはドイツカップ(現在のDFBポカール)でベスト4に入っている。
戦後は北ドイツの1部リーグ(オーバーリーガ・ノルト)に1963年まで在籍し続けたが、最終シーズンを5位で終えてブンデスリーガ発足メンバーには入れなかった。1964-65シーズンには当時2部のレギオナルリーガ・ノルトで優勝したものの、昇格決定戦で敗退。1973年には借金のため本拠地の施設を市に売却し、1978年から3季は2部北に在籍したが、その後は3部・4部が長く続き、1994年には再び破産寸前に追い込まれた。
2009年に4部のレギオナルリーガ・ノルトを制して新設の3部(3.リーガ)に上がるも1年で降格。2013年に再昇格し、2017年5月にはクラブとして36年ぶりの2部復帰を決めた。2018年夏にはザルツブルクから奥川雅也が期限付きで加わった。2部では2018年と2021年に1部昇格をかけた入れ替え戦へ進み、ヴォルフスブルク、ケルンに敗れて涙をのんだ。2020-21シーズンのDFBポカールでは2回戦で前回王者バイエルン・ミュンヘンをPK戦で破り、クラブ史上初の準決勝(ドルトムントに0-5)まで勝ち上がった。
2021年10月に就任したマルセル・ラップ監督のもと、2023年夏に湘南ベルマーレから町野修斗が加入。2024年5月11日、ホームでフォルトゥナ・デュッセルドルフと1-1で引き分けて2位以内を確定させ、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州のクラブとして初めてブンデスリーガへ昇格した。初の1部は勝ち点25の17位で1年で降格。2025-26シーズンは2部で苦しみ、2026年2月にラップ監督を解任して、2018-19シーズンにも指揮したティム・ヴァルターを呼び戻した。リーグは12位に終わったが、DFBポカールではハンブルガーSVをPK戦で破るなどしてベスト8に進んだ。2026-27シーズンは2部で戦い、同年10月にはスタジアム改築の起工式が行われた。
エンブレム現在のエンブレムは1919年3月にデザインされ、同年4月9日に採用されたもの。合併した2つの前身クラブの紋章を組み合わせ、キール市の紋章を下敷きにしている。1921年からユニフォームの胸に付けられている。クラブカラーは州の旗の色にならった青・白・赤で、1911年ごろから青のシャツ・白のパンツ・赤のソックスがホームの装い。
愛称: シュテルヒェ(Die Störche=コウノトリ)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | 2.ブンデスリーガ | 9 | 10月にマルセル・ラップが監督に就任。DFBポカールは2回戦でホッフェンハイムに1-5で敗退[1][2][6][8] |
| 2022-23 | 2.ブンデスリーガ | 8 | DFBポカールは1回戦でヴァルトホーフ・マンハイムにPK戦で敗退[1][2][9] |
| 2023-24 | 2.ブンデスリーガ | 2 | 町野修斗の加入1年目。2位でクラブ史上初の1部昇格。DFBポカールは2回戦でマクデブルクにPK戦で敗退[1][2][10][20] |
| 2024-25 | ブンデスリーガ | 17 | 初の1部は勝ち点25で1年で降格。町野がリーグ戦11得点。DFBポカールは2回戦でケルンに0-3で敗退[1][2][11][21] |
| 2025-26 | 2.ブンデスリーガ | 12 | 2月にラップ監督を解任し、ティム・ヴァルターが復帰。DFBポカールはヴォルフスブルク、ハンブルガーSV(PK戦)を破って準々決勝へ進み、シュトゥットガルトに0-3で敗退[1][2][6][12] |
1912年のドイツ選手権優勝時の守護神で、北ドイツ選手権3連覇にも貢献。ドイツ代表として13試合に出場し、1912年ストックホルム五輪の16-0の大勝(代表史上最大差)にも出場した。[1][14]
オーバーリーガ・ノルトとレギオナルリーガ・ノルトで計261試合134得点を挙げたストライカー。1961-62シーズンにはウーヴェ・ゼーラーと並ぶ28得点を記録し、クラブの歴代最多得点者として名前が挙がる。[1][13]
1967年から地元キールの育成組織で育ち、ウイングからGKに転向。トップチームでリーグ戦72試合に出場した後に羽ばたき、1996年の欧州選手権で正GKとして優勝、同年のIFFHS世界最優秀GKに選ばれた。[2][15]
公式戦104試合23得点。2021年1月のDFBポカール2回戦バイエルン戦ではフル出場してPK戦のキッカーも務め、クラブ初の準決勝進出に貢献した。のちに韓国代表で100試合以上に出場。[16]
シャルケやトッテナムでプレーした元ドイツ代表MF。2023-24シーズンは5得点7アシストで1部初昇格の原動力となった。在籍4季で公式戦107試合に出場。[17]
ホッフェンハイムのU-19監督から2021年10月に就任し、2023-24シーズンにクラブ史上初のブンデスリーガ昇格を達成。町野修斗を主力に育てた。2026年2月に退任。[6][7]
北海道の港町・函館市(約23万人)より少し大きい規模
キールはドイツ最北の州、シュレースヴィヒ=ホルシュタインの州都で、ハンブルクの北東約90キロ。バルト海から深く切れ込んだ入り江「キーラー・フェルデ」に沿って街が広がる、ドイツ最大のバルト海沿岸都市だ。1665年創立のキール大学がある学生の街でもある。気候は海洋性で、冬は穏やか、夏は涼しい。
1865年にプロイセンがバルト海艦隊の拠点を置いてから軍港として発展し、1918年には水兵の反乱がドイツ革命の引き金となった。第二次世界大戦の空襲で旧市街の8割以上が破壊され、現在の街並みの多くは戦後の再建によるもの。港からはオスロ(ノルウェー)やヨーテボリ(スウェーデン)へ毎日フェリーが出ている。
毎年6月最後の週には、1882年に始まった世界最大級のセーリングの祭典「キーラー・ヴォッヘ(キール・ウィーク)」が開かれ、帆船のパレードや街を埋める屋台で賑わう。1936年と1972年の五輪ではセーリング競技の会場になった。北海とバルト海を結ぶ世界有数の交通量を誇る運河「北海・バルト海運河(キール運河、1895年開通)」の出口の閘門はキール北部のホルテナウにあり、スタジアムからも遠くない。
市中心部から北へ約5キロ、キール運河にほど近いヴィーク地区にある市所有のスタジアム。1911年10月15日に「ホルシュタイン・プラッツ」として開場し、1965年に現在の名前になった。クラブは100年以上同じ場所でプレーし続けている。公式記録の最多観客は1951年3月23日のハンブルガーSV戦の31,342人(約3万人とする資料もある)。
許可上の収容人数は17,400人だが、安全と快適さのためクラブは15,034人に抑えている。2017年の2部昇格以降、照明やスタンドの増設を重ね、2024年の1部昇格時には照明の増強やアウェー席の拡大などの緊急改修が行われた。2026年10月には新しいメインスタンドの起工式が行われ、総事業費7,500万ユーロで、2030年までに2万2,000人超を収容するスタジアムへ段階的に建て替える計画が進んでいる。
2007年からドイツサッカー協会(DFB)公認の育成センターとなり、2016年10月にはトレーニング拠点「CITTI フースバル・パルク」が完成。2019年には育成施設の評価で最高ランクの3つ星を受けた。U-19チームは2003-04シーズンからU-19ブンデスリーガに参戦している。
1990年の世界王者で1996年欧州王者のGKアンドレアス・ケプケは、地元キールの育成組織で12年間を過ごした。フィン・バルテルスやファビアン・レーゼら、のちにブンデスリーガでプレーした選手も輩出している。
主な出身選手: アンドレアス・ケプケ、フィン・バルテルス、ファビアン・レーゼ、シドニー・サム、マックス・クリスティアンセン
会員は約1万2,000人(2026年3月)で、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州で最も会員の多いスポーツクラブ。愛称は「シュテルヒェ(コウノトリ)」で、2006-07シーズンからコウノトリのマスコット「シュトレ」がスタジアムを盛り上げている。
最大のライバルは同じ州のVfBリューベック。「州のナンバーワン」をかけたダービーで、2017年時点の通算対戦は123試合(キールの65勝)。北ドイツの大都市ハンブルクの2クラブとも古くから対戦を重ねており、FCザンクト・パウリとはリーグ戦で99試合(2026年8月時点)を戦っている。
日本からはハンブルクを経由するのが便利。ハンブルク中央駅からキール中央駅までは、ICE(高速列車)や快速列車(RE7・RE70)の直通便がある。キールはハンブルクの北東約90キロ。
キール中央駅からスタジアムへは、市バス91番・X91番が直行する。6番・11番・12/13番・32番のバスで「ハンセン通り(Hanssenstraße)」か「ベルヴェデーレ(Belvedere)」で降り、徒歩約5分でも行ける。チケットはクラブ公式サイトのオンラインショップで購入できる。改築工事中は収容人数が減る見込みなので、早めの購入がおすすめ。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。