Karlsruher Sport-Club Mühlburg-Phönix e. V.
街の中心、カールスルーエ宮殿と宮殿前広場。手前は大公カール・フリードリヒの像
宮殿を要に街路が扇状に広がる「扇の街」。奥はハルトの森
マルクト広場に立つ街のシンボル、創設者の墓所のピラミッドと市庁舎
写真: Bradley Rentz(2017年)・CC BY-SA 4.0・Commons / Carsten Naber(2016年)・CC BY-SA 4.0・Commons / Sitacuisses(2022年)・CC BY-SA 3.0 de・Commons(いずれもトリミング加工)
ドイツ南西部、宮殿を中心に扇状に街路が広がる「扇の街」カールスルーエのクラブ。1909年のドイツ王者を前身に持ち、1993-94シーズンにはUEFAカップでバレンシアを7-0で破る「ヴィルトパルクの奇跡」を起こして4強まで勝ち上がった。2025年夏にレンタルで加入した福田師王が2026年6月に完全移籍し、改築された本拠地で2部からの挑戦を続けている。
📅 クラブ紹介(歴史・街・スタジアムなど)は2026年11月5日時点の情報です(出典40件)。試合・順位・今季成績は毎日自動で更新しています。
2026-27シーズンの2.ブンデスリーガで13位(18チーム中・勝ち点11)順位表 →
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
ルーツは1894年6月6日、体操クラブ「カールスルーエ・トゥルンゲマインデ」を離れた人たちが結成したカールスルーエFCフェニックス。1900年のドイツサッカー連盟(DFB)創設に加わった古参クラブで、1909年にはブレスラウ(現ポーランドのヴロツワフ)での決勝でヴィクトリア・ベルリンを破り、ドイツ王者になった。1912年にアレマニアと合併し、1923年に現在の本拠地がある「ヴィルトパルク」へ移った。一方、市西部では1933年にFCミュールブルクとVfBカールスルーエが合併してVfBミュールブルクが誕生。この2つのクラブが1952年10月16日に合併して、現在のカールスルーエSCが生まれた。
合併直後の1950年代が最初の黄金期だった。1955年にブラウンシュヴァイクでのDFBポカール決勝でシャルケを3-2で下して初優勝。同年8月には約4万5,000人を集めて新しいヴィルトパルクシュタディオンが開場し、翌1956年には本拠地でハンブルガーSVを3-1で破ってポカールを連覇、ドイツ選手権でも決勝に進んだ。1963年には新設のブンデスリーガに参加したが、その後は1968・1977・1983・1985年と降格を繰り返した。
クラブの名を欧州に広めたのは、1986年に就任したヴィンフリート・シェーファー監督の時代だ。1年目で1部に復帰し、1992-93シーズンの6位で初めてUEFAカップに出場。1993-94シーズンは1回戦でPSVを破ると、2回戦では敵地でバレンシアに1-3で敗れながら、1993年11月2日の本拠地での第2戦で7-0と大逆転した。4得点のエドガー・シュミットは「ユーロ・エディ」と呼ばれ、この試合は「ヴィルトパルクの奇跡」として語り継がれている。続いてボルドー、ボアヴィスタを退け、準決勝でザルツブルクにアウェーゴール差で敗れたものの4強に進出した。オリバー・カーンやメーメット・ショルもこの時代のクラブから巣立った。
1996年にはDFBポカール決勝に進み(カイザースラウテルンに0-1で敗戦)、インタートトカップ経由で3度目のUEFAカップ出場も果たしたが、1998年3月にシェーファーが解任され、その年に11年間守った1部から降格した。2000年には初めて3部へ落ち、2002年には経営危機にも見舞われる。2007年に2部優勝で1部に戻ったものの2009年に降格。2012年には入れ替え戦でヤーン・レーゲンスブルクに敗れて再び3部へ降格し、2013年に3部優勝で即時復帰した。2015年にはハンブルガーSVとの1部昇格プレーオフで延長の末に敗れている。
2017年に3度目の3部降格を経験したが、2019年に2位で2部へ復帰。2020年2月に就任したクリスティアン・アイヒナー監督のもとで2部に定着した。2018年11月からは試合を続けながら本拠地を全面的に建て替え、2023年7月19日にリヴァプールとの記念試合で新スタジアムとして再出発した。2025年夏には福田師王がボルシアMGからレンタルで加入し、翌2026年6月に完全移籍。2025-26シーズン限りでアイヒナーが退任し、2026-27シーズンはオーストリア出身のマクシミリアン・ゼンフト監督のもとで2部を戦っている。
愛称: KSC(カー・エス・ツェー)
1958年W杯で4位に入った西ドイツ代表の中心選手。カールスルーエでリーグ戦53試合に出場し、1961年にイタリアのカターニアへ移った。[30]
選手としても在籍した後、12年間指揮を執った名将。1部定着とUEFAカップ4強、DFBポカール準優勝、インタートトカップ優勝を実現した。のちにカメルーン代表を2002年アフリカ・ネイションズカップ優勝へ導いた。[3][28]
1975年からクラブの下部組織で育ち、ブンデスリーガ128試合に出場。UEFAカップ4強の守護神となり、1994年に当時の記録的な移籍金でバイエルンへ移った。[23]
下部組織出身の攻撃的MF。トップチームでリーグ戦58試合11得点を記録し、1992年にバイエルンへ移籍。その後はバイエルンで長く活躍した。[24]
1993年のバレンシア戦7-0で4得点を挙げた「ユーロ・エディ」。この大会で8得点を挙げ、デニス・ベルカンプと並ぶ大会得点王になった。[7][8][26]
6シーズンにわたってブンデスリーガで145試合29得点。加入1年目の1992-93シーズンは11得点を挙げ、初のUEFAカップ出場権獲得に貢献した。[27]
1990年W杯優勝メンバーの名手。在籍4季でブンデスリーガ118試合28得点を挙げ、在籍中の1996年にはドイツ代表としてEURO1996を制した。[25]
3部時代の2017年に加入し、2019年の2部昇格に貢献。リーグ戦300試合以上に出場し、2024-25シーズンから主将を務める現在のチームの顔。[31]
加入1年目の秋、クラブ公式サイトのインタビューでスタジアムとサポーターを高く評価。ホームでは良い試合を続け、サポーターの後押しもあるのに勝ち切れないのは運がなかったと語り、ドイツ語の冠詞の変化には苦労していると明かした。[18]
— 山田大記
3部降格が決まったシーズン後の退団時、結果は悔しいとしながらも、海外挑戦の場を与えてくれたクラブに感謝し、チームの内外の人と環境に恵まれた3年間だったと振り返った。[19]
— 山田大記
完全移籍の発表時、カールスルーエで大きく成長でき、2部のサッカーにも慣れて次の段階へ進めたと話した。終盤8試合での5得点を土台に、来季もここで成長を続けられることを喜んだ。[12]
— 福田師王
日本だと秋田市(約29.2万人)くらいの規模
ライン川に接するドイツ南西部の都市で、州ではシュトゥットガルト、マンハイムに次ぐ第3の都市。1715年にバーデン=ドゥルラッハ辺境伯カール・ヴィルヘルムが宮殿の塔の礎石を置いて築いた計画都市で、宮殿を要(かなめ)として32本の通りが放射状に延びる街並みから「扇の街(フェッヒャーシュタット)」と呼ばれる。中心部のマルクト広場には、創設者カール・ヴィルヘルムの墓所である砂岩のピラミッド(1823〜25年、建築家ヴァインブレンナーの設計)が街のシンボルとして立つ。
1950年に連邦通常裁判所(BGH)、1951年に連邦憲法裁判所が置かれ、「法の都」とも呼ばれる。1825年創立の工科学校を起源とするカールスルーエ工科大学(KIT)を抱える学術都市でもあり、自転車の原型を発明したカール・ドライスや、自動車の発明者カール・ベンツの出身地として知られる。
路面電車を鉄道線に乗り入れさせる仕組みを先駆けた街で、郊外とトラムで直結している。年平均気温11.0度とドイツでも屈指の温暖な土地で、2003年には40.2度を記録した。
宮殿の裏手に広がるハルトの森(ハルトヴァルト)の中にある、市が所有するスタジアム。前身のフェニックスが1923年からこの地でプレーし、1955年8月7日に約4万5,000人を集めて開場した。1956年のDFBポカール決勝や1978年のインターコンチネンタルカップ、ドイツ代表戦の舞台にもなった。
陸上トラックのある旧スタジアムは、2018年11月から試合を続けながら全面的にサッカー専用スタジアムへ建て替えられた。北スタンドから順に南・バック・東と工事を進め、最後にメインスタンドを完成させて、2023年7月19日にリヴァプールとの記念試合で新装オープン(2-4で敗戦)。最初の公式戦は同年8月6日のハンブルガーSV戦(2-2)だった。総工費は当初計画の約1億2,300万ユーロから約1億6,600万ユーロに膨らんだ。
改築でホームの立ち見席はバックスタンドからゴール裏の南スタンドへ移り、熱心なサポーターはここに陣取る。2021年から地元の銀行BBBankが命名権を持ち、2025年8月時点の収容人数は立ち見を含めて33,180人。
1955年開場の旧ヴィルトパルクシュタディオン(陸上トラック付き、計画収容5万人)。同じ場所で2018年から建て替えられた。
U10からU19までのユースチームとU23、育成途上の選手のための「ペルスペクティーフチーム」を抱えるクラブの育成部門。2019年からリース会社grenkeが命名権を持ち、寮(インターナート)やサッカーのエリート校との連携も備える。ユースの本拠は1964年からヴィルトパルクの敷地内にある。
オリバー・カーンは1975年から、メーメット・ショルは1982年から、ラース・シュティンドルは2000年からこのクラブの下部組織で育ち、いずれものちにドイツ代表になった。
主な出身選手: オリバー・カーン、メーメット・ショル、ラース・シュティンドル
会員数は約2万1,800人(2026年7月時点)、公式ファンクラブは87(2026年9月時点)。複数のウルトラス・グループが2009年に連合「ULTRA1894」を結成し、改築後は南スタンドが応援の中心になっている。ホームゲームの前には地方の歌「バーデナーリート」を歌い、1990年代初めからはゴールのたびにビゼーの『カルメン』の「闘牛士の歌」が流れる。
ヘルタ・ベルリン、シュトゥルム・グラーツ(オーストリア)、ラシン・ストラスブール(フランス)のサポーターと友好関係にある。マスコットは「ヴィリ・ヴィルトパルク」で、背番号は創設年1894にちなんだ94。
日本からはフランクフルト空港を経由するのが一般的。空港からカールスルーエ中央駅まではICEで約1時間で、パリ方面からもTGVが乗り入れている。最寄りの空港は南西約45キロのカールスルーエ/バーデン=バーデン空港。
スタジアムへは路面電車やバスで中心部のドゥルラッハー・トーア、クローネンプラッツ、マルクトプラッツ(ピラミッド)の各停留所へ行き、そこから徒歩20〜25分。試合日はドゥルラッハー・トーアからキックオフ90分前より無料の臨時バスが出る。試合のチケットは当日、地域交通連合(KVV)のエリア内で公共交通の乗車券として使える。宮殿の庭園側からは自転車でも近づける。
チケットはクラブ公式のチケットショップ(要KSC-ID登録)で買えるほか、当日のスタジアム窓口では1枚につき2ユーロの手数料がかかる。売り切れた試合は、クラブ公式で唯一の正規リセール「KSCチケット・ツヴァイトマルクト」で出回ることがある。最新情報はクラブ公式サイトで確認したい。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。