Leeds United Football Club
エランド・ロード前の「ブレムナー・スクエア」に立つビリー・ブレムナーの銅像
東スタンド(ジャック・チャールトン・スタンド)の外観。屋根を支える鉄骨のトラスが外に組まれている
市中心部の屋内市場カークゲート・マーケット(リーズ・シティ・マーケッツ)。ヴィカー・レーンとカークゲートの角に建つ
写真: Mtaylor848(2025年)・CC BY-SA 4.0・Commons / Mtaylor848(2025年)・CC BY-SA 4.0・Commons / Chemical Engineer(2018年)・CC BY-SA 4.0・Commons(いずれもトリミング加工)
イングランド北部ウェスト・ヨークシャーの中心都市リーズを本拠とするクラブ。ドン・レヴィー監督が率いた1960〜70年代の黄金期に2度、1991-92シーズンにも優勝した3度のイングランド王者で、プレミアリーグ発足前の最後の1部リーグ王者でもある。2024年に加入した田中碧は、1年目に2部優勝とプレミアリーグ昇格の中心となり、チームメイトが選ぶ年間最優秀選手に輝いた。
📅 クラブ紹介(歴史・街・スタジアムなど)は2026年11月5日時点の情報です(出典30件)。試合・順位・今季成績は毎日自動で更新しています。
2026-27シーズンのプレミアリーグで12位(20チーム中・勝ち点11)順位表 →
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
前身は1904年創設のリーズ・シティ。第一次世界大戦中に選手へ不正な報酬を払っていたとしてフットボールリーグから除名・解散させられ、資産が売りに出された1919年10月17日、サポーターたちが集まって新クラブ「リーズ・ユナイテッド」の設立を決めた。1920年にフットボールリーグ入りし、1923-24シーズンに2部優勝で初めて1部へ昇格。1950年代にはウェールズ出身のジョン・チャールズがエースとして活躍したが、1957年に当時の世界最高額でユヴェントスへ移籍した。
黄金期をつくったのは、1961年3月に就任したドン・レヴィー監督だ。就任時のクラブは財政難で2部にいたが、レヴィーは育成を重視し、ユニフォームをレアル・マドリードにならった白一色に変更。1963-64シーズンに2部優勝で1部へ戻ると、1968年にリーグカップとインターシティーズ・フェアーズカップ(現在のヨーロッパリーグの前身にあたる大会)を制し、1968-69シーズンに初のリーグ優勝を果たした。その後も1971年のフェアーズカップ、1972年のFAカップ、1973-74シーズンの2度目のリーグ優勝と勝ち続け、レヴィーは1974年にイングランド代表監督へ転じた。翌1975年にはヨーロピアン・カップ(現チャンピオンズリーグ)決勝に進んだが、バイエルン・ミュンヘンに敗れた。
レヴィーが去った後は徐々に力を失い、1982年に2部へ降格。1988年10月に就任したハワード・ウィルキンソン監督のもとで1989-90シーズンに2部優勝を果たすと、1991-92シーズンには3度目のリーグ優勝を成し遂げた。翌シーズンから1部はプレミアリーグに生まれ変わったため、リーズは旧1部リーグ最後の王者となった。1990年代末からはデイヴィッド・オレアリー監督が若手中心のチームで上位を争い、2000-01シーズンにはチャンピオンズリーグで準決勝まで進んだ。
しかし、欧州大会の収入を見込んだ多額の借り入れが重荷となり、主力を次々に売却。2004年にプレミアリーグから降格し、本拠地と練習場も売却した。2007年には経営破綻(管理手続き)による勝ち点剥奪で、クラブ史上初めて3部へ落ちた。2010年に2部へ復帰した後も、オーナーが何度も代わる不安定な時期が続いた。
転機は2018年6月のマルセロ・ビエルサ監督の就任だった。2019-20シーズンに2部で優勝し、16年ぶりにプレミアリーグへ復帰。1年目は9位と健闘したが、2022年2月にビエルサが退任し、2022-23シーズンに再び降格した。2023年に米NFLサンフランシスコ・49ersの投資部門(49ersエンタープライゼス)がクラブを完全買収し、ダニエル・ファルケ監督が就任。2024-25シーズンに勝ち点100で2部優勝を果たしてプレミアリーグに戻り、2025-26シーズンは14位で残留したうえ、FAカップでは39年ぶりにベスト4へ進んだ。
エンブレム現在のエンブレムは、ヨーク家の紋章でヨークシャーの象徴でもある「ヨークの白バラ」を盾の中に描き、中央に縦書きで「LUFC」の文字を入れたもの。1998年に導入された盾形のデザインが基本で、翌1999年に白バラの中心へサッカーボールが加えられた。クラブ初のエンブレムは1934年に採用したリーズ市の紋章で、その後もフクロウ(市の紋章に由来)、レヴィー時代の1973年に登場したLとUを組み合わせた「スマイリー」、愛称にちなむクジャク入りのものなど、何度も姿を変えてきた。白バラが初めて使われたのは1984年のエンブレムから。
愛称: ホワイツ(The Whites) / ピーコックス(The Peacocks) / ユナイテッド(United)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | プレミアリーグ | 17 | 2022年2月にビエルサ監督が退任。後任のジェシー・マーシュ監督のもと、最終節で残留を決めた[1][3] |
| 2022-23 | プレミアリーグ | 19 | シーズン中に監督が2度交代し、最終節で2部降格が決まった[1][2][3] |
| 2023-24 | チャンピオンシップ(2部) | 3 | ファルケ監督の1年目。昇格プレーオフ決勝でサウサンプトンに0-1で敗れた[1][3] |
| 2024-25 | チャンピオンシップ(2部) | 1 | 田中碧の加入1年目。勝ち点100で2部優勝し、プレミアリーグ昇格[1][2][3][10] |
| 2025-26 | プレミアリーグ | 14 | 残留を確保し、オールド・トラッフォードでのマンチェスター・ユナイテッド戦で1981年以来の勝利。FAカップは39年ぶりのベスト4(準決勝でチェルシーに敗退)[1][2][3] |
2部の財政難のクラブを引き継ぎ、リーグ優勝2回、FAカップ、リーグカップ、フェアーズカップ2回をもたらしたクラブ史上最も成功した監督。指揮した740試合もクラブ最長。エランド・ロードには銅像が立ち、北スタンドに名前が付けられている。[1][4][13]
センターフォワードもセンターバックもこなした万能選手。1953-54シーズンの43得点はクラブのシーズン最多得点記録で、主将として1956年の1部昇格に導いた。ユヴェントスでも成功を収め、英国史上屈指の名選手と評される。西スタンドに名を残す。[1][4][14]
クラブ一筋でプレーしたセンターバックで、クラブ最多出場記録の保持者。レヴィー時代のタイトルをすべて経験し、1966年W杯優勝メンバーでもある。のちにアイルランド代表監督として同国を2度のW杯に導いた。東スタンドに名を残す。[1][4][15]
1965年から主将を務めたレヴィー時代の心臓。正確なパスと激しい守備を兼ね備え、1970年にイングランド記者協会の年間最優秀選手に選ばれた。のちにクラブ史上最高の選手に選ばれ、エランド・ロードに銅像が立つ。[1][16]
強烈なミドルシュートで知られたアタッカーで、クラブ最年少出場記録を持つ。公式戦238得点はクラブ歴代最多。引退後もクラブの役員や大使としてリーズに関わり続けた。[1][17]
2部21位だったチームを立て直し、1989-90シーズンの2部優勝、1991-92シーズンのリーグ優勝を達成。旧1部最後の王者となり、イングランド人監督として最後のトップリーグ優勝監督でもある。練習場ソープ・アーチを構想し、育成組織の土台も築いた。[1][18][24]
カイザー・チーフスから加入したセンターバックで、リーズで公式戦262試合に出場して主将も務めた。南アフリカ代表の主将として2002年W杯にも出場し、代表69試合はリーズ所属選手として最多の代表出場記録。[1][19]
2018年6月に就任し、2019-20シーズンの2部優勝で16年ぶりのプレミアリーグ復帰を実現。復帰1年目も9位に導いた。世界で最も影響力のある指導者の一人とされる。[1][3][20]
日本だと堺市(約81万人)くらいの規模
ペナイン山脈の東のふもと、エア川沿いに広がるヨークシャー最大の都市。中世の市場町から毛織物の集散地として発展し、産業革命期には毛織物や亜麻の工場、鉄工業、機械工業で栄えた。1893年に市の地位を得ている。
現在はロンドン以外では英国最大級の金融・ビジネスの拠点で、法律事務所や金融機関が集まる。リーズ大学など5つの大学があり、学生の多い若い街でもある。ヴィクトリア朝のアーケード街が残る中心部には、欧州最大級の屋内市場カークゲート・マーケットがあり、英国を代表する小売チェーン、マークス&スペンサーは1884年にこの市場の露店から始まった。
王立武具博物館(ロイヤル・アーマリーズ)や、クリケットとラグビーの聖地ヘディングリーもある。気候は穏やかな海洋性で、年間降水量は約660ミリと英国では雨の少ない都市の一つ。
市の南西部ビーストン地区にある、1919年の創設以来の本拠地。もとは1897年にラグビークラブの本拠として使われ始め、前身のリーズ・シティを経てリーズ・ユナイテッドに引き継がれた。かつての名前「オールド・ピーコック・グラウンド」は、向かいに今も建つパブ「オールド・ピーコック」に由来し、愛称「ピーコックス」の元にもなった。
4つのスタンドには、ドン・レヴィー(北、通称コップ)、ジャック・チャールトン(東)、ノーマン・ハンター(南)、ジョン・チャールズ(西)とクラブの英雄の名が付けられている。1993-94シーズンに完成した東スタンドは、当時世界最大の片持ち式スタンドだった。全席座席化された現在の収容人数は約3万7,600人(37,645人とする資料と37,633人とする資料がある)。最多入場者数は1967年のFAカップ、サンダーランド戦の57,892人。1996年の欧州選手権(EURO96)の会場にもなった。
2026年1月8日、リーズ市の計画委員会が収容人数を最大5万3,000人に増やす拡張計画を承認した。西スタンドと北スタンドを拡張する計画で、工事中もスタジアムは使い続ける。シーズンチケットの順番待ちが約2万6,000人に上ることが拡張の理由の一つとされている。
リーズ中心部から北東へ離れたウェザビー近郊の村ソープ・アーチにある練習場兼育成拠点。1988年に就任したウィルキンソン監督の構想で1990年代前半に整備され、2002年には屋内ピッチやプールを備えた育成施設「ザ・バーン」が完成した。天然芝8面と人工芝2面のピッチがある。
ウィルキンソン時代以降の育成組織からは、多くのイングランド代表選手が育った。地元出身で2019-20シーズンの2部優勝の主力となり、マンチェスター・シティへ移籍したカルヴィン・フィリップスもその一人だ。
主な出身選手: ジェームズ・ミルナー、アラン・スミス、ポール・ロビンソン、カルヴィン・フィリップス
サポーターの熱さはイングランドでも指折りで、歴代監督も口をそろえて称えてきた。試合前や試合中に歌われるクラブのアンセムは、1972年のFAカップ決勝に合わせて作られたシングルのB面曲「マーチング・オン・トゥゲザー」。2026年初めの時点でシーズンチケットの順番待ちが約2万6,000人いる。
2017年結成のLGBTのファングループ「マーチング・アウト・トゥゲザー」や、シク教徒のファングループ「パンジャビ・ホワイツ」などもあり、さまざまなファンがクラブを支えている。
日本からはロンドンなど欧州や中東の主要空港で乗り継いで向かう。最寄りのリーズ・ブラッドフォード空港は市中心部から北西へ約13キロ。マンチェスター空港からはリーズ中心部まで直通列車も走っている。
スタジアムはリーズ駅から徒歩で約40分。試合日は駅近くから出るシャトルバス(R2)や、事前購入制のパーク&ライド(郊外の駐車場からのシャトル)が便利。
チケットはクラブ公式の販売サイト(tickets.leedsunited.com)で扱う。人気が高く、ホーム戦の販売は有料会員(My Leeds)向けの段階販売が中心で、会員でも購入が保証されるわけではない。試合ごとの販売スケジュールはクラブ公式サイトの告知で確認したい。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。