Liverpool Football Club
試合のない日のアンフィールドのスタンド内(2013年3月撮影)。赤い座席に白い鳥の模様が描かれている
港沿いに並ぶ「スリー・グレイセス」。左からロイヤル・リヴァー・ビルディング、キュナード・ビルディング、ポート・オブ・リヴァプール・ビルディング
赤レンガの倉庫が水面に映るアルバート・ドック
写真: Ank kumar(2013年)・CC BY-SA 4.0・Commons / Elliott Brown from Birmingham, United Kingdom(2013年)・CC BY-SA 2.0・Commons / Anthony Parkes(2018年)・CC BY-SA 2.0・Commons(いずれもトリミング加工)
イングランド北西部の港町リヴァプールを本拠とする、イングランド屈指の名門。国内リーグ優勝20回はマンチェスター・ユナイテッドと並ぶ最多タイで、欧州チャンピオンズカップ/チャンピオンズリーグも6度制している。2020年に南野拓実がクラブ史上初の日本人選手として加わり、2023年からは遠藤航がプレー。遠藤は2024年のリーグカップ優勝と2024-25シーズンのプレミアリーグ優勝を経験した。
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2026-27シーズンのプレミアリーグで5位(20チーム中・勝ち点15)順位表 →
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
クラブの誕生は、隣人エヴァートンとの決裂から始まった。アンフィールドは1884年からエヴァートンの本拠地だったが、地主でクラブ会長のジョン・ホールディングと理事会の間で賃料などをめぐる対立が起き、1892年3月にエヴァートンはスタンレー・パークの反対側(のちのグディソン・パーク)へ去った。スタジアムだけが残ったホールディングは新クラブを立ち上げ、1892年6月3日に商務省の認可を受けた。クラブはこの日を創設日としている。最初のシーズンにランカシャー・リーグで優勝し、1893年にフットボールリーグ(2部)へ加盟。1894年には青と白のシャツから赤に替えた。
1900-01シーズンに初のリーグ優勝を果たし、1905-06、1921-22・1922-23の連覇、戦後最初の1946-47シーズンにも頂点に立った。しかし1953-54シーズンに最下位で2部に降格。1959年12月、2部にいたクラブの監督に就いたスコットランド人ビル・シャンクリーが、1961-62シーズンの2部優勝で1部へ引き上げ、リーグ優勝3回、クラブ初のFAカップ(1965年)、UEFAカップ(1973年)をもたらした。
1974年にシャンクリーの後を継いだ参謀ボブ・ペイズリーの時代(1974-1983年)は、リーグ優勝6回、欧州チャンピオンズカップ3回などで欧州の頂点に君臨した。一方で1985年のヘイゼルの悲劇(ブリュッセルでの欧州チャンピオンズカップ決勝前、主にユヴェントスのファン39人が死亡)でイングランドのクラブは欧州の大会から締め出され、1989年4月にはFAカップ準決勝のヒルズボロ(シェフィールド)で観客席の過密によりリヴァプールのファン97人が亡くなった。この惨事はイングランドの上位リーグのスタジアムを全席指定にするきっかけになった。
1989-90シーズンのリーグ優勝を最後に国内タイトルから遠ざかったが、欧州では2005年のチャンピオンズリーグ決勝(イスタンブール)で0-3から追いつき、PK戦で5度目の欧州制覇を果たした。2010年10月に米国のフェンウェイ・スポーツ・グループ(FSG)がクラブを買収。2015年に就任したユルゲン・クロップ監督のもとで2019年にチャンピオンズリーグとクラブW杯を制し、2019-20シーズンには30年ぶりのリーグ優勝を果たした。
クロップの退任後、2024年に就任したアルネ・スロット監督は1年目の2024-25シーズンにリーグ優勝し、通算20回目でマンチェスター・ユナイテッドの最多記録に並んだ。翌2025-26シーズンは5位に終わり、スロットは2026年5月30日に解任。6月にアンドニ・イラオラが新監督に就任した。2025-26シーズン限りでは、9年間で数々の記録を残したモハメド・サラーもクラブを去った。
エンブレムエンブレムの中心は、リヴァプール市のシンボル「ライヴァー・バード」。くちばしに海藻をくわえた鵜のような姿で描かれ、海藻(laver)が街の名前に掛けられている。起源は中世の町の印章に刻まれた鳥(本来はワシだったとみられる)で、港に面したロイヤル・ライヴァー・ビルの塔の上にも1911年から2羽の像が立つ。クラブでは1892年に旗に描かれたのが最初で、1950年のFAカップ決勝ではアウェーシャツ、1955年からはホームの赤いシャツにも付いた。現在のエンブレムは両脇にヒルズボロの犠牲者を悼む炎をあしらい、上部にはスタジアムの「シャンクリー・ゲート」にちなむクラブの賛歌の題名「You'll Never Walk Alone」を掲げる。
愛称: レッズ(The Reds)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | プレミアリーグ | 2 | FAカップとリーグカップの2冠。チャンピオンズリーグは準優勝。南野拓実はカップ戦で得点を重ね、両カップの勝ち上がりに貢献した[5][16] |
| 2022-23 | プレミアリーグ | 5 | チャンピオンズリーグはラウンド16で敗退[5] |
| 2023-24 | プレミアリーグ | 3 | 遠藤航の加入1年目。リーグカップ決勝でチェルシーを1-0で破って優勝(遠藤は120分フル出場)。ヨーロッパリーグは準々決勝で敗退。クロップ監督のラストシーズン[5][18] |
| 2024-25 | プレミアリーグ | 1 | スロット監督の1年目で、通算20回目のリーグ優勝。リーグカップは準優勝、チャンピオンズリーグはラウンド16で敗退[2][5] |
| 2025-26 | プレミアリーグ | 5 | 開幕前の2025年7月にディオゴ・ジョタが交通事故で亡くなり、背番号20は永久欠番に。チャンピオンズリーグは準々決勝でパリ・サンジェルマンに2戦合計0-4で敗退し、FAカップはベスト8、リーグカップは4回戦で敗退。シーズン後にスロット監督が解任された[5][6][7] |
2部に沈んでいたクラブを1962年に1部へ引き上げ、リーグ優勝3回、FAカップ2回、UEFAカップを獲得。現在につながる強豪の土台を築いた。アンフィールドの「シャンクリー・ゲート」に名を残す。[9][28]
選手、トレーナー、シャンクリーの参謀を経て監督に。9シーズンでリーグ優勝6回、欧州チャンピオンズカップ3回、UEFAカップ、リーグカップ3回など計20のタイトルを勝ち取った。[10]
リヴァプール市トクステス生まれ。2部時代から欧州制覇までを経験し、公式戦857試合出場はクラブ歴代最多。リーグ優勝5回、1977年の欧州チャンピオンズカップ初優勝の決勝にも出場した。[8][19]
1977年に当時の英国最高額の移籍金でセルティックから加入し、公式戦515試合172得点。1985年からは選手兼監督として1985-86シーズンのリーグとFAカップの2冠を達成した。ヒルズボロの惨事の後は犠牲者の葬儀に数多く参列した。[11]
ユヴェントスでの1シーズンを挟む2度の在籍で公式戦346得点を挙げた、クラブ歴代最多得点者。FAカップ決勝での通算5得点は大会記録。[8][12]
地元マージーサイド出身で、9歳でクラブの育成組織に入った。2003年から主将。2005年のチャンピオンズリーグ決勝では0-3からの反撃の口火を切るゴールを決め、試合の最優秀選手に選ばれた。[13]
2019年にチャンピオンズリーグ、UEFAスーパーカップ、クラブW杯を制し、2019-20シーズンにはクラブに30年ぶりのリーグ優勝をもたらした。南野拓実と遠藤航を獲得した監督でもある。[14][16][20]
ローマから加入し、9シーズンで公式戦の通算得点はラッシュ、ロジャー・ハントに次ぐクラブ歴代3位。プレミアリーグ得点王4回で、2024-25シーズンのリーグ優勝の原動力となった。[8][15]
加入翌日の2023年8月のデビュー戦後、ウォームアップ中にファンが自分の名前を歌ってくれたことを振り返り、アンフィールドでプレーできて本当に幸せだと語った。[22]
— 遠藤航
2024年11月、ホームで逆転勝ちしたブライトン戦の後、アンフィールドの雰囲気には特別な力があり、ファンの後押しで「1人多い状態」で戦っているようだと話し、サポーターに感謝した。[23]
— 遠藤航
2026年8月、モナコの一員としてアンフィールドに戻った際、ここは自分にとってとても特別な場所だと語った。一番の思い出には2021年12月のリーグカップ、レスター戦の終了間際の同点ゴールを挙げ、子どもの頃からの夢だったリーグ優勝も特別な瞬間だったと振り返った。[24]
— 南野拓実
日本だと宇都宮市(約51万人)くらいの規模
マージー川の河口の東岸に広がる港町で、ロンドンからは北西へ約286キロ。1207年に町として成立し、18世紀には大西洋の奴隷貿易にも深く関わりながら港として急成長した。19世紀の産業革命期には、ランカシャーの紡績工場へ運ぶ綿花の荷揚げ港として、また北米へ渡る移民の出発港として世界的な重要性を持った。
港に面したピア・ヘッドには、塔の上にライヴァー・バードの像を載せたロイヤル・ライヴァー・ビルが建ち、街の顔になっている。1960年代には「マージービート」と呼ばれる音楽シーンからビートルズが世界へ羽ばたき、2002年には市の空港が街出身のジョン・レノンにちなんで「リヴァプール・ジョン・レノン空港」と改称された。2008年には欧州文化首都に選ばれている。
市の中心駅ライム・ストリートは、現役で使われている幹線の駅としては世界最古とされる。マンチェスターとは約35マイル(約56キロ)の距離にあり、産業革命以来の経済的な対抗意識は、両市のクラブのライバル関係の背景にもなっている。
市の北部、スタンレー・パークのそばに建つ。1884年に開場し、1892年まではエヴァートンの本拠地だった。クラブ創設以来、リヴァプールはずっとここで戦っている。最多観客は1952年2月のFAカップ、ウルヴァーハンプトン戦の61,905人。
ゴール裏の名物スタンド「ザ・コップ」は、南アフリカの丘「スピオン・コップ」にちなむ名前で、1994年に一層式の全席指定スタンドに建て替えられた。2016年9月にメインスタンドの増築が完成して収容は約5万4,000人に、2024年にはアンフィールド・ロード側スタンドの増築で約7,000席が加わり、6万1,000人を超えるイングランド有数の規模になった。
スタジアムの周りには、1982年に建てられたシャンクリー監督をたたえる「シャンクリー・ゲート」や、ヒルズボロの惨事の犠牲者97人を悼む記念碑(2016年にメインスタンド前へ移設)がある。
1998年に、それまでの比較的くだけた育成の仕組みに代わって開設された育成組織。市の北東に隣接するノーズリー自治区のカークビーにある。FAユースカップは1996年、2006年、2007年、2019年の4度制している。
スティーヴン・ジェラード、ジェイミー・キャラガー、ロビー・ファウラー、マイケル・オーウェンら、クラブと代表の中心になった選手を数多く送り出してきた。近年ではトレント・アレクサンダー=アーノルドやカーティス・ジョーンズもここで育った。
主な出身選手: スティーヴン・ジェラード、ジェイミー・キャラガー、ロビー・ファウラー、マイケル・オーウェン、トレント・アレクサンダー=アーノルド、カーティス・ジョーンズ
クラブの賛歌は「You'll Never Walk Alone」。1945年のミュージカル『回転木馬』の曲で、地元リヴァプールのバンド、ジェリー&ザ・ペースメーカーズが1963年に出したカバーが同年10月に全英1位となり、1960年代初めからコップで歌われるようになった。今もアンフィールドでは毎試合キックオフ前にスタジアム全体で歌われる。
遠藤航には加入直後からファンが名前を歌い、遠藤自身もアンフィールドの雰囲気を「1人多い状態」と表現している。
日本からは欧州などの主要空港で乗り継いで市南部のリヴァプール・ジョン・レノン空港へ入るか、ロンドンなどから鉄道で市中心部のライム・ストリート駅へ向かう。
スタジアムは市の北部にある。鉄道ならライム・ストリート、サンドヒルズ、カークデールの各駅が最寄りの玄関口になる。試合日はライム・ストリート駅近くのコミュテーション・ロウから急行バス「917」が出ており、所要は約15分。近郊鉄道マージーレールのサンドヒルズ駅からはシャトルバス「サッカーバス」がキックオフ2時間前から試合終了90分後まで運行する。市中心部からは徒歩ルートの案内も出ている。
チケットの購入や抽選への登録には、クラブ公式の会員制度「All Red」への加入が必要。販売のスケジュールは試合ごとに公式サイトで案内される。会員でなくても買える公式のホスピタリティ(ラウンジ付き観戦)パッケージも販売されている。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。