1. Fußball- und Sportverein Mainz 05 e.V.
旧市街のマルクト広場から見たマインツ大聖堂
赤で埋まったホームの南スタンド。2017年3月、シャルケ戦の日に撮影
写真: User:Matthias Süßen(2013年)・CC BY-SA 3.0・Commons / Nixus Minimax(2017年)・CC BY-SA 4.0・Commons(いずれもトリミング加工)
ライン川沿いの州都マインツを本拠とするクラブ。長く2部以下で戦ったが、ユルゲン・クロップとトーマス・トゥヘルという後の世界的名将が監督としての第一歩を踏み出し、2009年からブンデスリーガに定着した。岡崎慎司・武藤嘉紀がゴールを重ねた日本人FWの系譜があり、2026-27シーズンは中盤の佐野海舟と川﨑颯太がプレーしている。
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2026-27シーズンのブンデスリーガで9位(18チーム中・勝ち点10)順位表 →
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
1905年3月にマインツ市内のカフェ「カフェ・ヌフ」で「1. マインツァー・フースバルクラブ・ハシア1905」として誕生した。創設日は戦後の資料に基づく3月16日が定着しているが、戦前の記念誌には3月27日とするものもある。同年10月に会長となったユダヤ系のオイゲン・ザロモンは一般にクラブの創設者とされ、のちにナチス政権下でドイツを離れ、1942年にアウシュヴィッツで殺害された。1912年と1919年の合併を経て、現在のクラブ名の原型ができた。
戦後は1963年のブンデスリーガ創設まで地域の1部リーグで戦ったが、その後の約40年はおもに2部以下が舞台だった。1982年にはドイツ・アマチュア選手権で優勝し、1988年と1990年には2部(2.ブンデスリーガ)昇格を果たしている。1995〜97年と1998〜2000年に指揮したヴォルフガング・フランク監督は、リベロを置くのが当たり前だった当時のドイツで4-4-2とスペースを基準にしたプレッシングを持ち込み、その後のクラブの土台を築いた。
2001年2月、カーニバルの「ファストナハトの火曜日」に、現役選手だったユルゲン・クロップが監督に抜擢された。2002年と2003年は昇格をわずかに逃したが(2001-02シーズンの勝ち点64は昇格を逃したチームとして史上最多)、創立100年目を迎えた2004年5月23日、満員のブルッフヴェーク・シュタディオンでアイントラハト・トリーアに3-0で勝ち、初のブンデスリーガ昇格を決めた。2005年にはフェアプレー枠でUEFAカップにも出場。2007年に降格し、クロップは翌2008年に退任した。
2009年に1部へ復帰すると、ユース監督から昇格したトーマス・トゥヘルが2014年まで指揮。2010-11シーズンには開幕7連勝(当時のリーグ記録に並ぶ)でスタートし、クラブ史上最高の5位に入った。2011年夏には新本拠地(現MEWAアレーナ)へ移り、ヨーロッパリーグには2011-12・2014-15・2016-17シーズンに出場。この時期に岡崎慎司(2013〜15年)と武藤嘉紀(2015〜18年)が攻撃陣の柱としてプレーした。
2023-24シーズンは途中まで最下位に沈み、2024年2月に就任したボー・ヘンリクセン監督のもとで13位に浮上して残留。翌2024-25シーズンは佐野海舟の加入1年目で6位に躍進し、2016-17シーズン以来となる欧州カップ戦出場権を得た。2025-26シーズンはカンファレンスリーグで準々決勝に進出した一方、リーグ戦では序盤に最下位へ沈み、2025年12月にヘンリクセンが解任されてウルス・フィッシャーが就任。最終的に10位でシーズンを終えた。
愛称: ヌルフュンファー(Die Nullfünfer/「05の人たち」) / カーニバル・クラブ(Karnevalsverein)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | ブンデスリーガ | 8 | DFBポカールはベスト16。ジョナタン・ブルカルトがリーグ戦11得点でチーム得点王[2][7] |
| 2022-23 | ブンデスリーガ | 9 | DFBポカールはベスト16[2][8] |
| 2023-24 | ブンデスリーガ | 13 | スヴェンソン監督が11月に退任し、2024年2月にヘンリクセン監督が就任して残留。DFBポカールは2回戦敗退[2][9] |
| 2024-25 | ブンデスリーガ | 6 | 佐野海舟の加入1年目。ブルカルトがリーグ戦18得点を挙げ、カンファレンスリーグ出場権を獲得[2][10][22] |
| 2025-26 | ブンデスリーガ | 10 | 川﨑颯太の加入1年目。カンファレンスリーグ準々決勝でストラスブールに敗退。12月にフィッシャー監督が就任[2][3][11] |
2度にわたって指揮し、当時のドイツでは珍しかった4-4-2とスペースを基準にしたプレッシングを導入。クロップら後の指導者に影響を与えた。2013年に死去し、2021年には育成拠点を含むブルッフヴェークの施設一帯が「ヴォルフガング・フランク・キャンパス」と名付けられた。[14][32]
選手として11年間在籍し、リーグ戦325試合52得点。FWからDFに転向した。2001年に監督へ転身し、2004年にクラブを初のブンデスリーガ昇格に導いた。のちにドルトムント、リヴァプールで成功を収めた。[3][4][12]
初昇格の2004年に加入し、2007年の降格時も他クラブからの誘いを断って残留したことでファンのカルト的存在に。2007-08シーズンから主将を務めた。[15]
U-19の監督として2009年のドイツ選手権を制し、同年トップチームの監督に昇格。2010-11シーズンに開幕7連勝からクラブ史上最高の5位へ導き、2014年にはヨーロッパリーグ出場権を残して退任した。[3][13]
マインツのユース出身。トップチームでブンデスリーガ66試合20得点を挙げてレヴァークーゼンへ移り、2014年W杯ではドイツ代表の優勝メンバーになった。[19]
2007年にユースへ加入した生え抜きのセンターバック。2023年5月にノヴェスキを抜いてクラブのブンデスリーガ最多出場選手となり、2026年1月に300試合に到達した。[16]
2014年にダルムシュタットからユースに加入したアカデミー出身のストライカー。2025年1月にカリム・オニシウォを抜いてクラブのブンデスリーガ最多得点選手となり、通算41得点を残して2025年7月にフランクフルトへ移籍した。[17][18]
在籍3年目のシーズン終盤、マインツを素晴らしいクラブだと評価。温かいサポーターの後押しが1部残留の大きな力になったと語り、プレー中に力をもらえたことへの感謝を口にした。[30]
— 武藤嘉紀
加入1年目の終盤、クラブの公式インタビューで、マインツのファンの後押しとブンデスリーガのスタジアムの雰囲気を楽しんでいると話した。街での暮らしにも慣れ、お気に入りの日本料理店も見つけたという。[24]
— 佐野海舟
加入発表の際、前シーズンのマインツの試合を見ていたと明かし、攻撃的なスタイルと激しいプレッシングに惹かれたと語った。[26]
— 川﨑颯太
2025年夏のドイツ紙のインタビューで、マインツは日本人選手に何ができるかを理解しているクラブだと評価。佐野と川﨑が古巣でプレーすることを誇りに思うと語り、日本人のハードワークはドイツの気質と相性が良いと分析した。[29]
— 岡崎慎司
日本だと佐賀市(約22.6万人)くらいの規模。どちらも県(州)の中心都市
ライン川の左岸、マイン川が合流する地点の近くに広がるラインラント=プファルツ州の州都で、州内最大の都市。川を挟んだ対岸はヘッセン州の州都ヴィースバーデンで、2つの街を合わせると人口は約50万人になる。フランクフルトを中心とするライン=マイン都市圏の一角でもある。
紀元前13〜12年ごろにローマ軍が築いた宿営地モゴンティアクムを起源とする、ドイツでも最古級の街。活版印刷を発明したヨハネス・グーテンベルクの生まれ故郷で、グーテンベルク博物館にはグーテンベルク聖書の原本が収められている。1000年以上の歴史を持つマインツ大聖堂がそびえ、公共放送ZDFが本拠を置くメディアの街でもある。
19世紀初めからラインラントのカーニバル(ファストナハト)の中心地のひとつで、その規模はケルンに次ぐとされる。温暖な気候に恵まれ、街の周りにはドイツ有数のワイン産地ラインヘッセンが広がる。
市の中心部から離れたブレッツェンハイム地区に建つサッカースタジアム。2009年5月に着工し、2011年7月に開場した。建設費は約6,000万ユーロ。2011年8月7日のこけら落としのリーグ戦ではレヴァークーゼンに2-0で勝っている。住所は「オイゲン・ザロモン通り1番地」で、クラブの創設者とされる初期の会長と同じ名前だ。
命名権により、開場時は「コファス・アレーナ」、2016年からは「オペル・アレーナ」、2021年7月からは業務用リネンのレンタル会社にちなむ「MEWAアレーナ」と呼ばれている。収容人数はクラブ公式で33,305人。ホームのゴールが決まると、マインツのカーニバルの定番曲「ナルハラ行進曲」の冒頭が流れる。
1929年開場のブルッフヴェーク・シュタディオン。2011年5月まで長く本拠地として使われ、最多で2万4,000人を集めた。現在はセカンドチームや女子チーム、ユースが使い、育成拠点と合わせて「ヴォルフガング・フランク・キャンパス」と呼ばれている。
旧本拠地ブルッフヴェークの「ヴォルフガング・フランク・キャンパス」を拠点とする育成部門で、クラブ自身もドイツ屈指の名門アカデミーと位置づけている。U-19はトゥヘル監督のもとで2009年に、ベンヤミン・ホフマン監督のもとで2023年にドイツ王者となり、2023-24シーズンのUEFAユースリーグでは準々決勝まで進んだ。
ドイツ代表でW杯を制したアンドレ・シュールレ、クラブのブンデスリーガ最多得点選手になったジョナタン・ブルカルト、最多出場記録を持つシュテファン・ベルらがここからトップチームへ巣立った。
主な出身選手: アンドレ・シュールレ、ジョナタン・ブルカルト、シュテファン・ベル
会員数は約3万人(2026年3月時点)。カーニバルの街のクラブらしく「カーニバル・クラブ」とも呼ばれ、ゴールの際にはカーニバルの行進曲が鳴り響く。家族的で地域とのつながりが強いクラブであることを、クラブ自身も大切にしている。
2007年の降格時にも主力DFノヴェスキが残留を選んでファンの心をつかむなど、苦しい時期を共にしてきた結びつきが強い。武藤嘉紀や佐野海舟も、サポーターの後押しに感謝や喜びを口にしている。
日本からはフランクフルト空港が玄関口。空港駅からSバーン(S8)や地域快速(RE)に乗れば、マインツ中央駅まで約30分で着く。
試合日はマインツ中央駅前からスタジアム行きのシャトルバスが出ており、終点の「キッセルベルク」から歩いて約10分。路面電車なら51・53系統の「ヤーコプ・ハインツ通り/アレーナ」停留所が最寄り。スタジアムに一般向けの駐車場はなく、車の場合はメッセ(見本市会場)のパーク・アンド・ライドを使う。
チケットはクラブ公式のオンライン・チケットショップで買えるほか、公式の再販サイト「05ER ツヴァイトマルクト」でも探せる。ホームゲームのチケットは地域交通連合(RNN)の公共交通の乗車券を兼ねており、2026-27シーズンから3シーズンは試合当日の往復に追加料金なしで乗れる。最新情報はクラブ公式サイトのチケットページで確認したい。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。