Koninklijke Sint-Truidense Voetbalvereniging
グローテ・マルクトに面した市庁舎と鐘楼(左)、聖母教会(右)
4月、白い花をつけたハスペンゴウの果樹園(東隣のボルフローン周辺)
世界遺産に登録されているベギン会修道院(ベギンホフ)の建物
写真: FrDr(2021年)・CC BY-SA 4.0・Commons / Johan Neven from Borgloon-Gotem, Belgium(2016年)・CC BY 2.0・Commons / FrDr(2021年)・CC BY-SA 4.0・Commons(いずれもトリミング加工)
ベルギー東部リンブルフ州、果樹園が広がるハスペンゴウ地方の古都シント=トロイデンのクラブ。2017年に日本のDMMグループがオーナーとなってから、冨安健洋、遠藤航、鎌田大地ら30人を超える日本人選手がプレーし、「日本人選手の欧州への入口」として知られる。2025-26シーズンは3位に躍進し、2026-27シーズンはカンファレンスリーグに出場している。現在は谷口彰悟や小久保玲央ブライアンら8人の日本人が在籍する。
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2026-27シーズンのジュピラー・プロ・リーグで15位(18チーム中・勝ち点8)順位表 →
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
1924年2月23日、街の2つのクラブ、ユニオンとゴールド・スターの合併で誕生した。クラブカラーには市の色である黄色と青を選び、愛称の「カナリア」もこの色に由来する。ベルギー協会の登録番号は373。最初の試合の有料入場者はわずか9人だったという。1927年から現在のスタイエンを本拠地とし、1944年の空襲で施設を失いながらも、地元出身のストライカー、ポル・アペルタンスの得点力で下部リーグを勝ち上がった。1957年に初めて1部へ昇格している。
1959年に監督に就任した若きレイモン・ゲタルスのもとで力をつけ、1965-66シーズンにはクラブ史上最高のリーグ準優勝を果たした。1968年には地元出身のオディロン・ポルーニスがベルギー年間最優秀選手(ゴールデン・シュー)に選ばれ、1971年にはベルギー杯の決勝に初めて進んだ(ベールスホットに延長で敗戦)。1974年に2部へ落ちてからは13年間を2部で過ごし、その後も1部と2部を行き来した。1999年にリーグカップで初のタイトルを手にし、同年のインタートトカップで初めて欧州の舞台に立った。2003年には2度目のベルギー杯決勝に進んだが、ラ・ルヴィエールに敗れている。
2000年代後半以降も2008年降格、2009年昇格、2012年降格、2015年昇格と浮き沈みが続いた。転機は2017年。日本のDMMグループが6月に株式の20%を取得し、11月に残りを買い取って、日本企業として初めて欧州1部クラブのオーナーとなった。DMMがベルギーを選んだのは、実質的な外国人枠がないこと、英語が広く通じること、若手が上のリーグへ羽ばたく「ステップアップリーグ」であることが理由だった。2018年1月には元選手・指導者の立石敬之がCEOに就任し、日本人が欧州で活躍するための「中継点」になることを目標に掲げている。
以後、毎年のように日本人選手が加わった。2018-19シーズンには冨安健洋、遠藤航、鎌田大地、関根貴大らが同時に在籍し、その多くがここでの活躍を足がかりにイタリアやドイツ、イングランドへ羽ばたいた。2024年に鈴木彩艶をパルマへ売却した移籍金はクラブ史上最高額とされる。2022年には香川真司、岡崎慎司といった元日本代表のベテランも加わり、岡崎は2024年に現役を引退してクラブのアンバサダーに就いた。2023年2月からはスタジアム名にも日本企業の名(大王わさび)が付き、2025年7月にはジャパネットホールディングスがDMMから株式の19.9%を取得して第2位の株主になった。2025年11月時点で、在籍した日本人選手は計28人にのぼる。
2024-25シーズンは14位で残留プレーオフに回ったが、終盤に就任した地元出身のヴァウテル・フランケン監督のもとで残留を決めた。続く2025-26シーズンは開幕から上位を走り、レギュラーシーズン3位、チャンピオンズ・プレーオフでも3位を守って、1965-66以来の好成績を収めた。フランケンはベルギー年間最優秀監督に選ばれたのち退任し、アシスタントのフレデリック・デ・メイヤーが後任となった。2026-27シーズンはELプレーオフでオモニア(キプロス)に敗れたものの、カンファレンスリーグのリーグフェーズに進出。ELやカンファレンスリーグの本大会出場はクラブ史上初めてだった。一方、国内リーグでは開幕から振るわず、デ・メイヤーは2026年11月に解任された。
愛称: STVV(エス・テー・フェー・フェー) / カナリア(De Kanaries)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | ベルギー1部(ジュピラー・プロ・リーグ) | 9 | プレーオフ進出はならず。香川真司、林大地、原大智、橋岡大樹、シュミット・ダニエルらがプレー[3][9] |
| 2022-23 | ベルギー1部(ジュピラー・プロ・リーグ) | 12 | 岡崎慎司が加入。ベルギー杯はベスト8[3][10] |
| 2023-24 | ベルギー1部(ジュピラー・プロ・リーグ) | 9 | レギュラーシーズン9位、ヨーロッパ・プレーオフで3位。創設100周年のシーズン[2][11] |
| 2024-25 | ベルギー1部(ジュピラー・プロ・リーグ) | 14 | レギュラーシーズン14位で残留プレーオフへ。4月にヴァウテル・フランケンが監督に就任し、プレーオフを1位で終えて残留。アドリアーノ・ベルタッチーニがリーグ得点王[2][6][12] |
| 2025-26 | ベルギー1部(ジュピラー・プロ・リーグ) | 3 | レギュラーシーズン3位、チャンピオンズ・プレーオフでも3位。1965-66の準優勝以来の好成績で、ELプレーオフの出場権を獲得。後藤啓介がリーグ戦10得点[2][6][13] |
地元生まれで、16歳でデビューしたストライカー。1シーズン50得点のクラブ記録を持ち、3部では67得点のシーズンもあった。1948年、STVV在籍選手として初めてベルギー代表でプレーした。[1][2][26]
無名の若手監督として就任し、新しい戦術でチームを鍛え上げて1965-66シーズンにクラブ史上最高の準優勝へ導いた。のちにベルギー代表監督となり、1993年にはマルセイユでCL優勝を果たす名将になった。[1][2][25]
地元出身の「ロン」の愛称で親しまれたアタッカー。1968年にベルギー年間最優秀選手(ゴールデン・シュー)に輝き、1部リーグでの89得点はいまもクラブ最多。のちに監督も務め、2021年に名誉市民となった。[2][20]
STVVでプロのキャリアを始め、その後シャルケでは1997年のUEFAカップ決勝第1戦でゴールを決めて優勝に貢献した。2004-05シーズンには監督としてSTVVに戻り、のちにベルギー代表監督も務めた。[2][21]
地元出身で、STVVでプロになったのち、アンデルレヒトなどを経て2001年に帰還。ベテランとなってもアシストを量産し、2002年と2003年にベルギーのシーズン最優秀選手(マン・オブ・ザ・シーズン)に選ばれた。[2][22]
地元出身。下部組織から18歳で正GKとなり、2009年の2部優勝と1部復帰に貢献。2010年にベルギー年間最優秀GKに選ばれ、サンダーランド、リヴァプールへと羽ばたいた。2024年にシント=トロイデンの名誉市民に。[2][23]
2024年2月にRFCリエージュから加入。2024-25シーズンにリーグ得点王となり、STVVの選手としては1973年のアルフレート・リードル以来の快挙だった。2025年にアンデルレヒトへ移籍した。[2][24]
地元出身の元STVV選手。2025年4月、降格の危機にあったチームを引き継いで残留させ、翌2025-26シーズンは3位に躍進。STVVの監督として初めてベルギー年間最優秀監督に選ばれた。[2][27]
加入から半年で2ケタ得点に乗せた2018年12月、試合に出て結果を残したことで周囲の信頼を得て、気持ちが「すっと楽になった」と振り返った。フランクフルトに残っていたら練習するだけだっただろう、とも語っている。[30]
— 鎌田大地
2022年1月の加入合意時、強い気持ちで決断したと語り、自身のプレーと経験でチームの目標達成に貢献したいと意気込んだ。観客の前でプレーできる日を楽しみにしているとも話した。[31]
— 香川真司
2024年6月の引退会見で、会見の場を設けたDMMとSTVVに感謝を述べた。欧州に拠点があり、選手やスタッフが欧州で戦うチャンスがあることの大切さを日本の人にも知ってほしいと語り、アンバサダーとしてその役割を担う考えを示した。[29]
— 岡崎慎司
首都ブリュッセルの東、リンブルフ州の西端にある街で、フランス語ではサン=トロン(Saint-Trond)と呼ばれる。7世紀にこの地で修道院を開いた聖トルド(トゥルード)にちなむ名前で、修道院への巡礼とともに栄えた。11世紀に建てられた修道院の塔や、聖母教会など、中世からの建物が中心部に残る。
広い中央広場グローテ・マルクトに面した市庁舎の鐘楼は、「ベルギーとフランスの鐘楼群」としてユネスコの世界遺産に登録されている。13世紀の教会が残るベギン会修道院(ベギンホフ)も、「フランドル地方のベギン会修道院群」として世界遺産の一部だ。
街はベルギー有数の果樹地帯ハスペンゴウ(仏語でエスベ)の中心にあり、洋ナシやリンゴ(ジョナゴールド)、サクランボの産地として知られる。春には周辺一帯の果樹園が白い花で埋まる。
1927年から使われている本拠地。「スタイエン」は街の西側の古い地区の名前「スターデン」の方言で、地元の製糖会社の土地に造られた。強豪が何度も敗れたことから、1960年代ごろから「スタイエンの地獄(Hel van Stayen)」の異名を持つ。
2008年から段階的に建て替えが進み、通り側の新スタンドとホテル(20室がピッチに面している)、続いて新しいメインスタンドが完成。2014年に現在の形になり、収容人数は14,600人(うち立ち見3,530人)となった。2011-12シーズンには、ベルギー1部のスタジアムで初めて人工芝を導入している。
2023年2月から、日本の大王わさび農場が命名権を持つ。ベルギーのリーグで日本企業がスタジアムの命名権を得たのは初めて。2026年6月からは最後に残った南スタンドの建て替え工事が始まっており(1,000人収容の予定)、完成は2027年半ばの見込み。同時に欧州カップ戦の基準を満たす改修も行われた。
地元出身の選手が多く巣立ってきた。ヴィルモッツ、ボッファン、ミニョレはいずれもSTVVの下部組織からトップチームに上がり、のちにベルギー代表でプレーした。2025-26シーズンの躍進を率いたフランケン監督も、STVVのユースからトップチームに昇格した元選手だ。
練習場は市内のシント=ヤン通り(Sint-Jansstraat)、市立公園の近くにあり、トップチームとアカデミーが人工芝1面を含む4面のピッチを共用している。
主な出身選手: マルク・ヴィルモッツ、ダニー・ボッファン、シモン・ミニョレ、ペーター・デロルジュ、ヴァウテル・フランケン
スタイエンは格上を倒す「ジャイアント・キリング」の舞台として知られ、1996-97シーズンにはその年の上位5チームすべてをホームで破った。特にアンデルレヒトとの試合は盛り上がる。2部優勝を決めた1987年の最終節には8,000人超が敵地へ駆けつけ、2015年の1部昇格時には優勝争いの大一番に31台のバスで遠征。昇格後は選手とサポーターがグローテ・マルクトに集まって祝った。
日本人選手の多さから日本での知名度も高く、日本語の公式サイト(stvv.jp)やSNSで日本向けにも発信している。
日本からはブリュッセル空港などに入り、鉄道でシント=トロイデンへ向かう。シント=トロイデン駅にはベルギー国鉄のインターシティ(IC-03)が停まり、ブリュッセル、ルーヴェンから乗り換えなしで行ける(ハッセルト、ゲンク方面行き)。
スタジアムは市の西部、ティーネン通り(Tiensesteenweg)沿いにあり、駅からは直線でおよそ1km。
チケットはクラブ公式サイトのチケットページから、販売会社Roboticketのサイトで購入する。窓口で買うと追加料金がかかる。2026年11月のカンファレンスリーグ(ブラン戦)では、大人料金が席種により15〜27ユーロ、注目試合は20〜32ユーロに設定されていた。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。