Koninklijke Voetbalclub Westerlo
ナイトゲームのヘット・カイピー。黄色と青のクラブカラーで彩られたスタンド(2018年)
町内のトンゲルロー地区にあるトンゲルロー修道院(2011年)
写真: PitchdGroundhopping(2018年)・CC BY-SA 4.0・Commons / Johan Bakker(2011年)・CC BY-SA 3.0・Commons(いずれもトリミング加工)
ベルギー北部、アントウェルペン州のカンピーヌ(ケンペン)地方にある人口2万6千人ほどの町ウェステルローのクラブ。収容8千人あまりの小さな本拠地「ヘット・カイピー」を拠点に、2001年のベルギー杯優勝で欧州カップ戦にも出場した。2019年にトルコ人実業家オクタイ・エルジャンがオーナーとなり、2022年に1部へ復帰。2023年の松尾佑介に続き、現在は坂本一彩・木村誠二・齋藤俊輔の日本人3人がプレーしている。
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2026-27シーズンのジュピラー・プロ・リーグで8位(18チーム中・勝ち点14)順位表 →
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
クラブの起源は1917年、地元の学生たちが「デ・ビスト」と呼ばれる土地で始めたスポルトクリング・デ・ビスト・ウェステルローにさかのぼる。この土地は現在もクラブが本拠地としている場所だ。1922年にいったん活動が止まり、1931年に同じ土地で「ビスト・スポルト」が再出発。1933年にはベルギー・サッカー協会に加盟した「スポルトクリング・ウェステルロー」と、そこから分かれた「ウェステルロー・スポルト」(協会登録番号2024)の2クラブが町に並び立った。1942年5月に両クラブが合併して「フットバルクラブ・ウェステルロー」となり、登録番号2024を引き継いだ。これが現在のクラブで、協会への登録から数えて1933年を創設年とするのが一般的だ。
長く州リーグで戦った後、1968年に初めて全国リーグ(当時の4部にあたる「プロモーション」)に昇格し、翌1969年には優勝して3部へ上がった。その後は降格が続いて州リーグまで落ちたが、1993年に3部で優勝して初めて2部へ。1995年に王室から「コーニンクレイケ(王立)」の称号を授かって現在のKVCウェステルローとなり、1997年にプレーオフを勝ち抜いて1部昇格を果たした。
1部では1997-98シーズンから15季連続で戦い、1999-2000、2003-04、2008-09シーズンの6位がクラブ最高順位。2000-01シーズンにはベルギー杯決勝でロンメルを1-0で破り、初の主要タイトルを獲得。決勝点を決めたのは、のちにクラブ最多出場記録を作るイェフ・デレンだった。この優勝で翌シーズンに初めて欧州カップ戦(UEFAカップ)に出場し、1回戦でヘルタ・ベルリンに敗れた。2011年にもベルギー杯で決勝に進んだが、スタンダール・リエージュに0-2で敗れている。
2011-12シーズンに15位で2部へ降格し、2013-14シーズンに2部優勝で1部へ復帰したものの、2016-17シーズンに再び降格した。2部(1部B)時代の2019年6月18日、トルコ人実業家オクタイ・エルジャンがクラブを買収し、会長に就任。経営難に陥っていたクラブを救った人物として知られ、練習施設などに1,000万ユーロ以上を投じたと報じられた。2021-22シーズンは1部Bで2位以下に大差をつけて優勝し、5季ぶりの1部復帰を決めた。
1部復帰後は、2022-23シーズンに7位に入るなど中位で戦い、毎季「ヨーロッパ・プレーオフ」(レギュラーシーズン7〜12位のグループ)に進んでいる。監督は2023-24シーズンに3人が入れ替わり、2024年夏にティミー・シモンス、2025年6月にイサメ・シャライが就任した。日本人選手の獲得にも積極的で、2023年の松尾佑介、2025年の坂本一彩と木村誠二、2026年の齋藤俊輔と続いている。
愛称: デ・ケンプハーネン(De Kemphanen)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | 1部B(チャレンジャー・プロ・リーグ) | 1 | 2位RWDMに大差をつけて優勝し、5季ぶりに1部へ自動昇格[3][8] |
| 2022-23 | ジュピラー・プロ・リーグ | 7 | 1部復帰1年目。プレーオフ2(欧州プレーオフ)は4位。エースのライル・フォスターが1月にバーンリーへ移籍し、1月には松尾佑介が加入[3][9][18] |
| 2023-24 | ジュピラー・プロ・リーグ | 11 | シーズン中に監督が2度交代。ヨーロッパ・プレーオフは5位[3][10] |
| 2024-25 | ジュピラー・プロ・リーグ | 9 | シモンス監督の1年目。1月に坂本一彩が加入。ヨーロッパ・プレーオフは2位で、欧州カップ戦出場にはあと一歩届かず[3][11][23] |
| 2025-26 | ジュピラー・プロ・リーグ | 9 | シャライ監督の1年目。夏に木村誠二、1月に齋藤俊輔が加入。ヨーロッパ・プレーオフは4位[3][12] |
クラブ・ブルッヘで活躍し、1986年W杯でベルギー代表の主将として4位に入った名選手。ウェステルローの監督を2度務め、2001年のベルギー杯優勝とクラブ初の欧州カップ戦出場に導いた。[14]
1999-2000シーズンに30得点で1部の得点王(同数で2人)。クラブ在籍中にベルギー代表に選ばれた唯一の選手で、代表7試合はすべてウェステルロー時代のもの。[2][15]
2001年のベルギー杯決勝で唯一の得点を挙げた左サイドの選手。現役最後までの12季をウェステルローで過ごして主将も務め、通算375試合はクラブ最多。「カイピーの王」と呼ばれた。[6][13][19]
ヘンクからのレンタルで1シーズン在籍し、2部優勝と1部復帰に貢献。のちにブライトン、アーセナルでプレーし、ベルギー代表の主力となった。[17]
2021-22シーズンの1部B優勝メンバー。2023年1月にバーンリーへ移籍し、移籍金は南アフリカ人選手の最高額と報じられた。[18][30]
日本だと山梨県の富士河口湖町(約2.7万人)くらいの規模
アントウェルペン州の南東部、ネーテ川(グローテ・ネーテ)が流れるカンピーヌ(オランダ語でケンペン)地方の町。ウェステルロー、トンゲルロー、ゾールレ=パルウェイク、オーフェルの4地区からなり、面積は約55平方キロ。
町の顔は、15世紀末からこの地を治めた名門メロード家の城。中世の城館に加え、1910年代に伯爵夫人ジャンヌ・ド・メロードが建てたネオゴシック様式の「新城」があり、1973年から町役場として使われている。クラブの本拠地がある通りも「デ・メロードドレーフ(メロード並木道)」と名付けられている。
トンゲルロー地区にはプレモントレ会のトンゲルロー修道院があり、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の古い複製画を所蔵していることで知られる。
町の中心部から歩いて10分ほどの「デ・ビスト」と呼ばれる土地にあるサッカー専用スタジアム。クラブの前身が1917年にこの土地でプレーを始め、1922〜1931年の中断を除いて今も同じ場所を本拠地にしている。住所はデ・メロードドレーフ189番地。収容は8,035人(うち立ち見が約2,300人)で、1部のスタジアムとしては小さい部類に入る。
ベルギーでいち早くスタンドの柵(ドラングヘッケン)を撤去したクラブの一つとされ、2008-09シーズンからはピッチの暖房設備を備える。2024年には認知症の人にやさしいスタジアムとしてアルツハイマー協会(フランデレン)の認定を受けた。2001年のベルギー杯優勝後の欧州カップ戦もここで開催された。
カンピーヌ地方に根を下ろした伝統的な町クラブで、クラブカラーは黄色と青。2022年の1部復帰が近づいたときには、ファンがヘット・カイピーに集まり、町じゅうが昇格を祝う準備をしたと報じられた。
日本人選手はクラブ内でも評価が高い。2026年9月にメヘレンに0-4で快勝した試合では坂本一彩と齋藤俊輔が得点し、シャライ監督は坂本に日本代表を目指すよう求めた。クラブ側も坂本の残留を「最高の補強の一つ」と表現している。
日本からはブリュッセル空港などを経由して向かう。ウェステルローの町には鉄道駅がなく、スタジアムへは近隣の駅からデ・ライン社(De Lijn)の路線バスかタクシーで向かうことになる。車の場合は高速道路E313(アントウェルペン〜リエージュ)のヘール・ウェスト出口から約4キロ。
チケットはクラブ公式サイトのチケットページで販売される。購入にはアカウント登録が必要で、チケットは記名式。16歳以上はシーズンに1回の本人確認(itsme または Onfido)を済ませないとチケットをダウンロードできない。スタジアム内はネット環境が不安定なことがあるため、チケットは事前にダウンロードしておくよう案内されている。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。