Sport-Club Freiburg e.V.
ドイツ南西部、黒い森の入口にある大学都市フライブルクを本拠とするクラブ。長期政権の監督と自前のアカデミーで地道に力を蓄え、2020年代にはDFBポカール決勝やヨーロッパリーグ決勝まで勝ち上がる常連の欧州カップ戦出場クラブになった。2022年から3年間プレーした堂安律が「我が家」と語った街で、2026-27シーズンは鈴木唯人・長田澪バックハウス・山本理仁・後藤啓介の日本人4人が在籍している。
📅 クラブ紹介(歴史・街・スタジアムなど)は2026年11月5日時点の情報です(出典39件)。試合・順位・今季成績は毎日自動で更新しています。
2026-27シーズンのブンデスリーガで3位(18チーム中・勝ち点16)順位表 →
今季成績は2026-27シーズン(7月1日以降)の公式戦すべての合計です。
ルーツは1904年3月に生まれたフライブルガーFV 04と、その直後に誕生したFCシュヴァルベ(のちのFCウニオン)の2つのクラブ。両者が1912年3月3日に合併して現在のSCフライブルクが誕生した。クラブ自身は5月30日を伝統的な創設日としてきたが、裏付ける史料はなく「1904年3月」とする記録が残るのみだという。長くアマチュアリーグで戦い、1978-79シーズンに2部(2.ブンデスリーガ)へ昇格した。
転機は1991年7月のフォルカー・フィンケ監督就任だった。1993年に2部優勝で初のブンデスリーガ昇格を果たすと、1994-95シーズンには3位に入り初めてUEFAカップに出場。攻撃的で華やかなサッカーは「ブライスガウのブラジル人」と呼ばれた。1997・2002・2005年と3度降格したが、1998年と2003年にはすぐに1部へ戻り、2001年には育成拠点「フライブルガー・フースバルシューレ」を開校。フィンケは16年間指揮を執り、2007年に退任した。
後任のロビン・ドゥット監督のもとで2009年に1部復帰。2011年12月29日には、1995年からユースを指導してきたクリスティアン・シュトライヒがトップチームの監督に就いた。2012-13シーズンには5位でヨーロッパリーグ出場権を獲得。2015年に降格したものの翌2016年に2部優勝で即復帰し、シュトライヒは2023-24シーズン終了まで12年余りにわたってチームを率いた。
2021年10月には新本拠地オイローパ・パーク・シュタディオンが開場。2021-22シーズンは6位に入り、クラブ史上初めてDFBポカール決勝に進出(RBライプツィヒにPK戦で敗戦)。ここから欧州カップ戦の常連となり、2024年夏にはシュトライヒのアシスタントだったユリアン・シュスターが監督に昇格した。2025-26シーズンにはクラブ史上初の欧州カップ戦決勝となるヨーロッパリーグ決勝に進出し、イスタンブールでアストン・ヴィラに0-3で敗れたものの準優勝を果たした。
エンブレムエンブレムは斜めに分割したデザインで、左側にグリフィン(鷲の頭と獅子の体を持つ伝説上の生き物)の頭、右側に「SCF」の文字を配している。グリフィンの頭は、1912年の合併で現在のクラブが誕生した際に取り入れられた。クラブカラーは現在は白と赤だが、1912年の誕生当初は黒・白・黄だった。
愛称: ブライスガウのブラジル人(Breisgau-Brasilianer)
| シーズン | リーグ | 順位 | トピック |
|---|---|---|---|
| 2021-22 | ブンデスリーガ | 6 | DFBポカールでクラブ史上初の決勝進出、RBライプツィヒにPK戦で敗れ準優勝。新スタジアム開場のシーズン[2][5][6] |
| 2022-23 | ブンデスリーガ | 5 | 堂安律の加入1年目。DFBポカール4強、ヨーロッパリーグはラウンド16でユヴェントスに敗退[1][6][30] |
| 2023-24 | ブンデスリーガ | 10 | ヨーロッパリーグはラウンド16でウェストハムに敗退。シュトライヒ監督のラストシーズン[1][6][30] |
| 2024-25 | ブンデスリーガ | 5 | シュスター監督の1年目。最終節で5位が決まりEL出場権を獲得。堂安律がリーグ戦34試合で10得点8アシスト[1][6][10] |
| 2025-26 | ブンデスリーガ | 7 | 鈴木唯人の加入1年目。ヨーロッパリーグ準優勝(決勝でアストン・ヴィラに0-3)、DFBポカール4強[2][6][8] |
3度にわたってフライブルクでプレーし、通算252試合81得点。2020年にペーターゼンに抜かれるまでクラブ最多得点記録を持っていた。のちにドイツ代表監督として2014年W杯を制した。[2][29]
16年間指揮を執り、1993年に初のブンデスリーガ昇格、1995年に初のUEFAカップ出場へ導いた。「ブライスガウのブラジル人」と呼ばれた攻撃的なチームを築いた。[1][4]
2度の在籍で公式戦440試合に出場し、長くクラブの最多出場記録を保持した。フィンケ時代を支えた中盤の象徴。[25][31]
2010-11シーズンにリーグ戦22得点を挙げるなど、在籍2年でブンデスリーガ37得点。2012年1月にニューカッスルへ移籍した。[32]
ユース指導者からトップチーム監督に就き、12年余りにわたって指揮。2部優勝での即時復帰、DFBポカール決勝進出、欧州カップ戦の常連化を実現した。[5][30]
2015年1月にレンタルで加入し、そのまま完全移籍。公式戦277試合105得点でクラブ最多得点記録を樹立し、2016年リオ五輪では銀メダルを獲得した。[5][26][28]
下部組織育ちの主将。2025-26シーズンにツァイアーを抜いてクラブ史上最多出場選手となり、2026年2月時点で公式戦453試合に出場している。[25][31]
セットプレーの名手として知られる攻撃的MF。2025-26シーズンにペーターゼンの105得点を超え、クラブ史上最多得点選手になった。[1][26][27]
加入1年目の前半戦を終えたインタビューで、シュトライヒ監督を「最高」と評価。不満もはっきり示す正直さや、勝てば選手と一緒に大喜びする人柄に惹かれていると語った。[11]
— 堂安律
2024-25シーズンの最終節後、街でファンに会っても温かく接してもらえるなど、欧州の他のクラブでは経験のないほどの愛情を受けたと感謝し、フライブルクを「我が家」のように感じていると語った。[10]
— 堂安律
加入直後、堂安律から素晴らしいクラブだと聞いていたと明かした。シュスター監督が映像を使って自分のプレーと伸ばすべき点を説明してくれたことに好印象を持ち、初めてのホームゲームを楽しみにしていると話した。[12]
— 鈴木唯人
加入発表時、自分にとってフライブルクは大きなクラブだと語り、数か月前から熱心に獲得を望んでくれたことが移籍を決めた大きな理由だと話した。[13]
— 後藤啓介
日本だと山形市(約23.3万人)くらいの規模
ドイツの南西端、黒い森(シュヴァルツヴァルト)の南西の麓に広がる街。市域は標高1,284メートルのシャウインスラント山頂まで及び、スイス国境までは約42キロ。最寄りの空港はフランス領内にある、国境の街らしい立地だ。
1457年創立のフライブルク大学を抱えるドイツ有数の古い大学都市。旧市街には赤い砂岩で造られたゴシック様式の大聖堂(ミュンスター)がそびえ、ほぼすべての通りに沿って「ベヒレ」と呼ばれる小さな水路が流れている。
環境都市としても知られ、1995年以降、市有地では低エネルギー建築に限定。ヴォーバンやリーゼルフェルトといった持続可能性を軸に計画された住宅地があり、太陽光関連の産業も根づいている。旧本拠地ドライザムシュタディオンの屋根にも太陽光パネルが設置されていた。
気候はドイツでも屈指の温暖さで、7・8月はカールスルーエと並んで国内で最も暑い時期を迎える。2003年には当時のドイツ最高気温となる40.2度を記録した。
市の西部、空港に近いヴォルフスヴィンケル地区に建つ新スタジアム。2018年11月に着工し、新型コロナの影響で当初予定の2020年から遅れて、2021年10月7日にFCザンクト・パウリとの親善試合でこけら落としを迎えた。命名権は2021年からテーマパーク「ヨーロッパ・パーク」が持ち、近くの森にちなんで「モースヴァルト・シュタディオン」と呼ぶファンもいる。
空港の高さ制限に合わせた平らな屋根が特徴。南側には途切れのない立ち見席があり、最大8,700人のサポーターがここに陣取る。
1954年から2021年まで本拠地だったドライザムシュタディオン(収容約24,000人)。
2001年に開校したクラブの育成アカデミー。拠点は歴史ある「メースレシュタディオン」で、寮もここにあり、男子の全ユースチームが練習と試合を行う。開校から25年で73人がトップチームに昇格しており、1シーズン平均でおよそ10人のアカデミー出身者がトップチームに名を連ねてきた。
育成方針は、トップチームと密接につながった段階的な育成。プロになれなかった選手にも道が開けるよう、サッカーと学業・職業訓練の両立を重視している。2008年にはU-19ドイツ王者となり、ジュニアのDFBポカールも複数回制した。2026年のヨーロッパリーグ決勝ではアカデミー出身の8人がピッチに立った。シュトライヒ前監督やシュスター監督、スポーツ部門トップのヨッヘン・ザイアーら、クラブの中枢にもアカデミーに関わってきた人物が多い。
主な出身選手: クリスティアン・ギュンター、マティアス・ギンター、ノア・アトゥボル、ケヴィン・シャーデ、ヨハン・マンザンビ、ニコラス・ヘーフラー
会員数は8万5,000人を超え、バーデン地方で最大の会員数を持つクラブ。公式ファンクラブは130以上あり、ホームゲームでは南側の立ち見スタンドがサポーターの中心になる。1988年から試合前にバーデン地方の歌「バーデナーリート」を歌うのが伝統になっている。
クラブ最多得点記録を作ったニルス・ペーターゼンはファンから「フースバルゴット(サッカーの神)」と呼ばれて愛された。2015年に降格した際にも、ファンはチームを支え続けた。
日本から向かう場合、最寄りの空港はフランスにあるユーロエアポート(バーゼル=ミュルーズ=フライブルク空港)。到着後はフランス側の出口へ出て、フライブルク中央駅行きのシャトルバスに乗れば約50分で着く。フランクフルト空港やチューリッヒ空港からは、IC/ICEでフライブルク中央駅まで約2時間。
試合のチケットは、地域交通連合(RVF)のエリア内で公共交通の無料乗車券を兼ねている。中央駅などから路面電車に乗り「Europa-Park Stadion」停留所で降りればスタジアムの目の前。試合日は臨時の路面電車やSバーンも運行される。駐車場は事前のオンライン予約が必要で、自転車置き場は約3,700台分ある。
人気が高く、チケットはまずクラブ会員向けに販売される。一般のファンにとっての主な窓口は公式の「チケット再販市場(Ticketzweitmarkt)」で、ホームゲームの10日前の正午に開き、キックオフまで購入できる。需要がそれほど高くない試合に限って一般販売が行われる。最新情報はクラブ公式サイトのチケットページで確認したい。
クラブ紹介は 2026年11月5日 時点の調査です。試合・順位・成績のデータ提供: API-Football。エンブレムはクラブの識別のために表示しています(権利は各クラブに帰属)。