南野拓実と三笘薫の名前が並ぶたびに、どこか守りに入った文脈で久保建英が語られる。「二人が欠場する中で、久保に負担が集中する」——海外メディアはそう書く。
でも、それは少し違うと思っている。
6月4日、久保建英は25歳の誕生日を迎えた。バルセロナの下部組織にいた頃の久保は、本当に規格外だった。あの年代でメッシと比較されるというのは、文字通り世界中でひとりかふたりにしか起きないことだ。その後、日本に戻り、16歳でFC東京とプロ契約。横浜F・マリノスでも経験を積み、18歳でスペインに渡った。
そこから先は、一言で言えば「旅」だった。
マジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェ、レアル・ソシエダ。短い期間に複数のクラブを渡り歩きながら、久保は適応し続けた。本人は「監督やチームに求められることに合わせてカメレオンのようにプレーを変える」と語っていた。その言葉を聞いたとき、正直なところ、複雑な気持ちになった。
日本人の美徳と呼べる側面がある。空気を読み、組織に溶け込み、求められる役割を果たす。でもピッチの上で、それが必ずしも正解ではない瞬間がある。ラ・リーガのレベルに適応しようとするあまり、もともと持っていたドリブルの技術——相手がどれだけ接触を仕掛けても揺るがないあのテクニックと推進力——が少し影を潜めているように見えた時期があった。強さやスピードといった「ないもの」を補おうとする焦りが、「あるもの」を少し曇らせていた、と言えばいいか。
その感覚は、ピッチに立ったことのある人間なら分かると思う。自分の武器を封印して周囲に合わせようとすればするほど、かえってプレーが小さくなっていく。自信とは、自分の型を押し通す経験の積み重ねの中でしか生まれてこないのだ。
ここ一、二年の久保は、明らかに違う。
狭いスペースでボールを受け、素早い動作でラインの間を抜けていく。高い強度の中でも焦らず、落ち着いて技術を出せるようになってきた。体力と技術のバランスが取れてきた、というのが正確な表現だろう。ドリブルでのチャンスメイクに関しては、リーグでも屈指のレベルに到達している。
アジア最終予選では11試合で4ゴール・8アシストを記録したと原記事は伝えている。数字そのものより、この内訳が雄弁だ。チャンスを作るだけでなく、自分でも仕留められる選手になってきた。
レアル・ソシエダにおける役割は、どちらかといえばチャンスメイク寄りだ。だからゴール数だけ見ると物足りなく映ることもある。でも日本代表は、そのソシエダとは違う環境を彼に用意している。
伊東純也、堂安律、中村敬斗、鈴木唯人——チャンスを作れる選手たちが周囲に揃っている。南野と三笘がいないことを「穴」と捉える見方があるのは分かる。ただ、この4年で日本代表の層は間違いなく厚くなった。誰かひとりの欠場が即、チームの崩壊に直結するような構造ではもうない。
久保はその中で、ゴールに近い位置でプレーできる。チャンスを作るだけでなく、仕留める側に立てる。それは彼のキャリアの中で、ほぼ初めて経験する環境かもしれない。
「カメレオン」という言葉が、久保自身の口から出たとき、私はどこか切なく感じた。天才と呼ばれた少年が、適応のために自分の色を薄めていく。それが成長の過程でもあると分かっていても。
でも今は、その脱皮が終わりに近づいている気がする。
適応しながらも失わなかったもの、それを武器として、ようやく高いレベルで堂々と使えるようになってきた。25歳。遅くはない。むしろここからが本番だ。
三笘と南野がいないことへの不安より、久保を中心とした今の日本代表への期待の方が、私には大きい。
