数字だけ見れば、それほど悲惨には映らないかもしれない。
ラ・リーガとコパ・デル・レイで26試合、1,689分。2ゴール、4アシスト。スタメンを外れた時期があったとはいえ、ベンチを温め続けたわけでもない。
でも、ピッチに立ったことのある人間には分かる。「出場機会を失う」というのは、単純に試合に出られないということじゃない。自分のリズムが壊れ、信頼が少しずつすり減り、回復のたびに「本当に戻れているのか」と疑問を抱えながらプレーする——そういう重力が、体より先に頭にのしかかる感覚だ。
今シーズンの久保建英は、そういうシーズンを過ごした。
ASの報道によれば、久保は長期離脱後に出場機会を失い、スタンドで過ごす時間が増えた。ペッレグリーノ・マタラッツォ監督は直近5試合中4試合で先発起用することで立て直しを図っているが、最も輝いていた頃の決定力はまだ戻ってきていない、と記事は伝えている。
「最も輝いていた頃の決定力はまだ戻っていない」
この一文の重さが、今シーズンを象徴している。
レアル・ソシエダに加入した2022年以降、久保は間違いなくこのクラブの顔だった。スペインでのローン生活を経て——マジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェと転々とした5年間があったからこそ——ソシエダで手にした安定した居場所は、ただのクラブ移籍ではなかった。根を下ろす、という感覚に近かったはずだ。
それが今、揺らいでいる。
W杯開幕時点で25歳。2度目のW杯になる今夏、久保は「証明」よりも「回復」のフェーズにいる。
それ自体は決して珍しいことじゃない。長いシーズンの末、満身創痍でW杯に向かうアタッカーなど、どこのクラブにもいる。だが久保の場合、少し事情が複雑だ。
2029年まで契約が残り、レアル・マドリードは将来の売却益の50%を受け取る権利を持っているとASは伝えている。つまり久保の身の振り方は、本人だけでなく複数のクラブの算盤にも乗っている。
本人は将来について沈黙を守っており、あらゆる可能性を残している——と記事は書く。
その「沈黙」を、弱さと読む人もいるだろう。だが私には違って見える。
何かを強く主張できる立場にないとき、人は黙る。シーズンが証明できなかった分、W杯で示す。その順番を、本人が一番よく分かっているのではないか。
大舞台に向けて調子が上がらないまま臨む、というのは選手にとって最悪のシナリオではない。本当に最悪なのは、機会そのものを失うことだ。
招集がある。それだけで、扉は開いている。
マタラッツォに先発で使われ続けているという事実も、完全に見捨てられてはいない証拠だ。監督が「まだ使える」と判断するからこそ、ピッチに送り出す。根拠のないお情けでスタメンに入れるほど、ラ・リーガのプレッシャーは甘くない。
アノエタでのホーム最終戦(バレンシア戦、5月17日)を経て、エスパニョール戦でシーズンを終え、その後W杯へ。スケジュールだけ並べればシンプルだが、その一つひとつが久保にとってどんな意味を持つかは、見る者によって全く違う重さで映るはずだ。
ソシエダで最も苦しいシーズン、という言葉は記事の見出しにある通りだろう。でもそれは、終わりを意味しない。
サッカーキャリアの中で、どん底と感じた年が後から「転換点だった」と語られることは少なくない。もちろん逆もある。ここから落ちていく選手も、現実にはいる。
どちらになるかは、W杯が終わった後の夏に、ある程度の答えが出るはずだ。
久保が今何を考えているかは分からない。本人が語らないから。
でも、黙ったまま大会に向かうその背中には、言葉より多くのものが詰まっている気がしてならない。
