ワールドカップ直前の壮行試合というのは、いつの時代も不思議な空気を持っている。
本番を前に何かが見えてくるようで、実際にはほとんど何も見えない。コンディションはまだ整っていないし、監督は手の内を見せたくない。主力が90分出ることはまずなく、試合の流れ自体が、そもそも「試合」と呼ぶには少し乱暴なくらいの代物だ。
それでも、かつての日本のサッカーファンは、そこに一喜一憂した。
5月31日に行われた日本対アイスランドの話題で、最も多くの言葉が費やされたのは試合の内容ではなく、吉田麻也が出場するかどうかという一点だった。記者たちも、サポーターも、だいたいそこに意識が向いていた。
同じ週末、オランダはデ・カイプでアルジェリアとW杯壮行試合を行い、現地では途中出場のアニス・ハジュ・ムーサが86分に豪快なシュートを突き刺し、0-1で敗れた。オランダ戦の話題として現地メディアが最も色をつけて伝えたのは、試合の出来や采配の話ではなく、膝のケガから復帰したジャスティン・クライファートのシュートをルカ・ジダン——あのジダンの息子——が止めた場面だった。
結局のところ、W杯直前の壮行試合とはそういうものだ。話のつまみにできる小さなドラマを探しながら、本番に向けて気持ちを高める装置でしかない。勝敗は誰も本気では受け止めていない。
翻って、以前の日本のファンはどうだったか。
壮行試合で負ければ嫌な予感が漂い、得点できなければ「決定力不足」という言葉がSNSを埋め尽くした。先発メンバーを見て、監督批判が始まることもあった。誰かが好プレーすれば代表のポジション争いは動くと信じ、誰かが不調なら本番も不安だと騒いだ。
その気持ち自体は、愛情の裏返しだから責められない。ただ、W杯直前の練習試合の結果が、グループリーグの命運を左右した例など、歴史的にほとんど存在しない。あの熱量のかなりの部分は、正確には「サッカーへの理解」ではなく「不安の発散」だったと思う。
今回はちがう。
「怪我だけはしないでほしい」という言葉が、今年の壮行試合前後のサポーターの声の中心にある。それは冷めているのとは、まったく別の話だ。
ピッチに立った経験のある人間なら、シーズン末に全力でプレーした後の身体の状態が、どれほど特殊かを知っている。本人は「動けている」と感じていても、細かい判断のズレや、一歩目の遅れが積み重なっている。それを無理に試合形式の緊張感で修正しようとすれば、どこかに皺が寄る。
欧州の主要リーグはW杯直前まで試合が続く。日本代表の主力の大半は、そのタイトなカレンダーを戦い抜いてから代表に合流する。5月の終わりから6月の頭にかけて、彼らの身体がどういう状態にあるか——そこへの想像力が、今の日本のサポーターには育っている。
それは単なる「大人になった」ということではないと思う。見ている選手たちの所属クラブが、ブンデスリーガであり、ラ・リーガであり、プレミアリーグになったからだ。彼らの日常と戦場を、ファンもリアルタイムで共有するようになった。その結果として、「壮行試合の0-1」の持つ意味を、正確に測れるようになった。
オランダがデ・カイプでアルジェリアに敗れたのは、ロナルド・クーマンが後半に大量の交代を行い、試合の連続性が完全に失われたからだと記事は伝えている。それ自体は想定の範囲内の出来事だ。クーマンの頭の中に、この試合の敗戦が占めるスペースは、おそらくほとんどない。
そして6月14日、そのオランダと日本はグループリーグで対戦する。
壮行試合の結果は関係ない。そのことを、日本のサポーターは今回、誰に言われるでもなく自分たちで知っている。
それは静かだけれど、かなり大きな変化だと、私は思っている。
