キックオフ前から、なんとなく無意識に想像していたシーンがいくつかあった。
ファン・ダイクがセットプレーでヘディングゴールを決める。日本は押される時間が長くなる。そして——中村敬斗が左サイドからカットインして股抜きシュートを決める。
これ、本当に起きた。
もちろん、偶然。試合の予言なんてできない。でも試合を見ながら、どこかで「あ、これは知っている」という感覚がずっとあった。
2013年11月、ベルギーで行われた日本対オランダの親善試合を覚えているだろうか。
ロッベンが右サイドから内側に切れ込み、左足を振り抜いた。守備はなす術がない。「これは止めようがない」と素直に思った。どんなポジショニングをとっても、あのコースには蹴れてしまう。あれはもう、守る側が最初からあきらめるしかないゴールだった。
今大会、64分のサマーフィルのゴールを見たとき、頭に浮かんだのが真っ先にそのシーンだった。右サイドからのカットイン、左足、ディフェンスノーチャンス。ロッベンとサマーフィルは世代も立場も違うが、やっていることは同じだった。オランダのサイドアタックには、時代を超えた様式がある。
そして、57分の中村敬斗のゴール。
左サイドからカットインして、右足で股を抜いた。待ってましたとばかりに決まった。試合前にぼんやりと「こんなゴールが見たい」と思っていたシーンが、本当に現れた。
偶然だと分かっている。
でも、なぜそれを想像できていたのか。
ファン・ダイクの話をしよう。
身長195センチ。今シーズン、ほぼヘディングだけで複数点を記録している。セットプレーが来るたびに「このヘッドは止まらない」と思っていた。実際、51分に先制点を許した。
ただ——これも「想定の範囲内」だったとも言える。
驚かなかった、という意味じゃない。痛かった。でも慌てなかった。なぜなら頭の中に「ファン・ダイクにこういうゴールを決められる」という映像が先にあったから。
これは見ている側の話だ。では、ピッチの中の選手たちはどうだったのか。
ここからは完全に妄想の話をする。
日本代表のディフェンダーたちも、あのサマーフィルのカットインを「知っていた」としたら、どうだろう。ロッベン式の攻撃パターンは、オランダサッカーの遺伝子に刻まれたものだ。分析すれば必ず出てくる。頭に入れて試合に臨んでいた。
決められた。でも「想定内」だった。
そうだとしたら、あのゴールを許した後のベンチの表情も、選手の顔つきも、パニックではなかったはずだ。実際、88分に追いついた。あの鎌田のゴール——正確にはコーナーキックから小川のヘッドをかすったものだが——は、2-1で負けている状況で、最後まであきらめなかったチームにしか生まれないゴールだ。
「想定していた展開」だったから、慌てなかったのではないか。
根拠はない。完全に外側からの推測だ。でも、サッカーをやった経験から言えば、頭の中に「この展開はあり得る」というイメージがある選手と、まったく予期していない選手とでは、同じ失点でも体の動き方が違う。想定していれば、次の手が速い。
NOS(オランダの公共放送)の報道によれば、ファン・ダイクは引いて守ったことを「ゴールをしっかり守っていた」と擁護した。
クーマン監督は試合後、こう語っている。
"満足できる。ここから何かつかめる"
オランダ側の言葉は、勝ちを逃した悔しさよりも、手応えに重きを置いている。それはそれで正直な感想だろう。
でも、日本が1点ビハインドの状況から追いついた事実は変わらない。引いて守られたことで、外から見ていても「このままは終わらない」という空気が漂っていた。
コーナーから、小川がヘッドで合わせ、鎌田がかすめた。劇的でも、奇跡でもない。ただ、最後まで信じて体を動かし続けた結果だ。
試合前、オランダのサイドアタックとファン・ダイクのヘッドと、中村のカットインを想像していた。
すべて起きた。
こんなことが本当に起きるのか、という気持ちと、やっぱりそうなったか、という気持ちが同時にあった。
だとしたら、選手の頭の中にも似たような絵が描かれていたかもしれない。それが「慌てない」という体の動きにつながり、最終的に勝ち点1という結果になったのかもしれない。
妄想だ。
でも、そういう妄想が許される試合だった、とは言えると思う。
オランダ戦は、不思議なくらい「知っている」感じがした。
