かつてのオランダなら、違った。
2010年の南アフリカ大会で顔を合わせたとき、向こうの論調はシンプルだった。普通にやれば勝てる、と。実際そうだった。クラスが違った。ピッチに立てば分かる、あの力の差というのは、戦術でどうにかなるものじゃない。
だから、今回の論調の変化には正直驚いた。
ファン・デル・ファールトが言っている。オランダは準決勝まで行ける、と。そのくらいの自信があるチームが、なぜ日本をわざわざ警戒するのか。
スナイデルが、そしてファン・デル・ファールト自身が、日本を「通過点」として片付けていない。インテルで長友のチームメイトだったスナイデル、レアル・マドリードやトッテナムでプレーしたファン・デル・ファールト——欧州の現場を知る人間たちが、日本を同等以上の扱いで警戒している。
それは社交辞令じゃない、と思う。
欧州のトップリーグで長年生きてきた人間の目は、案外正直だ。舐めていい相手なら、そう言う。言葉を選ぶ必要なんてない。にもかかわらず、彼らは言葉を選んでいる。
数字だけ見れば、差は確かにある。
ファン・ダイクはリバプール。フレンキー・デ・ヨングはバルセロナ。ダンフリースはインテル。そういう選手たちが並ぶクラブの一覧は、日本とは隔たりがある。これは事実として認めるべきだし、認めた上でどう戦うかを考えるのが誠実な向き合い方だ。
ただ、チームとしての日本は別の話をしている。AFC最終予選を3試合残して突破し、非開催国として最速でW杯の切符をつかんだ。その事実の重みは、メンバー表の顔ぶれとはまた別の次元にある。
スタメンの格と、チームとしての完成度は、別物だ。ピッチに立ったことがある人間なら、それは分かる。個人技で勝る側が必ず勝つなら、サッカーはもっとつまらないスポーツになっていた。
一つ、残念なことがある。
ファン・ダイクと遠藤航が、入場シーンで並ぶはずだった。FIFAランク7位のオランダのキャプテンと、日本代表のキャプテンが、ダラスのピッチへ並んで歩いてくる。それを見たかった。
でも、遠藤は離脱した。
試合直前の離脱発表。キャリアの中で積み重ねてきた時間を考えると、その重さは本人が一番よく分かっているはずだ。外から何かを言えることは何もない。
ただ、佐野海舟がいる。
遠藤の代わり、という文脈で語るのは少し違う気もする。あれはあれで、完成した仕事だった。佐野は佐野の仕事をするはずだ。遠藤以上のものを期待されている、というより、まったく違う種類のものを期待されている、と言った方が正確かもしれない。
6月15日、ダラス。
FIFAランク7位の相手が、準決勝を狙うつもりでグループリーグに入ってくる。そして、その相手が日本を「通過点」として処理しきれていない。それが今の空気だ。
こういう試合は、見ていて怖い。怖いけど、だからこそ面白い。
実力がガチンコでぶつかる試合というのは、予定調和がない。どちらかが格上で、どちらかが格下で、それでも何かが起きるかもしれない——そういう緊張感が、朝早く起きてテレビをつける理由になる。
かつては「普通にやれば勝てる」と思われていた日本が、今は「普通にやったら分からない」と思われている。それだけで十分じゃないか、とも思う。
あとは、ピッチが答えを出す。
